Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

昭和ですかね?

2013年11月28日 | CD・DVD・カセット・レコード
 最近、学生に何か映像を見せたり、音楽を聞かせたりすると「昭和ですね」と言われる。確かに「昭和」の映像であり、音楽なのだが、それでは「平成」の映像や音楽との違いはいったいどこにあるんだろう。ちなみに私が紹介した映像は、昭和50年代、60年代のもので、昭和初期なんかじゃないのだ。私が生まれ育った「昭和」の後半は今の世代から見るともう歴史の一コマである。パンタロン・ジーンズと長髪なんてもう映画の世界に存在しているだけだし、聖子ちゃんカットなんて、もうはやらない。確かにそんな「流行」は目に見えてわかることだけど、音楽は具体的にどんな表現をすればいいのだろう?
 もちろん電子楽器、コンピューター、そんな分野は飛躍的に進歩した。今じゃあパソコンで歌も音楽もつくれちゃう時代だもの。でもやっぱり人が歌を歌って、ギターやベースやキーボード、ドラムがあって演奏するスタイルは変わらない。そういう点じゃ、昭和後半も平成もかわりゃしない。ぼくの子供のころからバンドに夢中になる少年・少女たちはいたし、今だってハイウエー・スターを練習してるじゃないか?
 昭和とか平成とか、ぼくはそんな言い方で線引きするのは好きじゃない。そんなの植民地宗主国の都合によってアフリカにひかれた国境みたいで気持ちが悪い。国境を越えたって同じ言語を共有し、同じ音楽を楽しむ民族が住んでるんだからね。ぼくは「昭和」が強調されるたびに、自分の時代が過去の産物みたいに語られる気がしてなんとなく居心地が悪い。だから文化現象として、ちゃんと実証的に語ってもらたいわけだ。単に「昭和」「平成」で線引きするんじゃなくてさ。
 冬になったな、何か「冬」に浸れる音楽はないかしらとCDケースを見てみたら、松任谷由実の季節ごとに分類された編集物のCDを発見。いつ買ったか記憶にない。だいたい沖縄じゃ「冬」なんて季節のCDは聞かないものね。久しぶりに聞いてみた。いわゆる「昭和」な音楽なわけだが、さて何が「昭和」なのか?一つ思い出したのが、このCDに入っている何曲かが使われていた映画「わたしをスキーに連れてって」。確かにあの映画、昭和だったな、と苦笑い。だって今、あの時代ほど「スキー」って元気じゃないものね。そういう私、昭和から平成の境を、かぐら・みつまたスキー場で迎えたんだよ…。だから不謹慎にも平成の初日は一日スキーしてた(でもスキー場に到着してたんだからどうしようもなかった)。昭和と平成の敷居を、ぼくはスキーに乗ってあっという間に滑走しちゃったから、いまだにその違いがわからないのかもね。あの日、スキー場はユーミンの音楽どころか、音楽もなく静寂に包まれていたけれど……。
 

イリア・ラシュコフスキーピアノリサイタル

2013年11月23日 | 浜松・静岡
 昨晩は昨年の浜松国際ピアノコンクールの優勝者、イリア・ラシュコフスキーのピアノリサイタルに行ってきました。感想は、と言われればもう「感動」の一言でした。久しぶりにすごいピアノを聞きました。ロシア人らしくベートーヴェン、ショパンのプログラム以外は、スクリャービン、ストラヴィンスキー。どれもすごかったけど、ストラヴィンスキー、組曲《火の鳥》は特に圧巻でした。息をのむ演奏、聞いてる方は息を止めちゃう演奏ですね。音色の七変化とか、ぺダリングの妙技とか、もうどれをとっても魅了されました。
 すごく盛り上げて、アンコールの最後は、突然、バッハのコラール、たぶんケンプが編曲した《主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ》だったと思います。シーンとしたコンサートホールで、あのゆっくりしたコラールを演奏するとなんだかあっというまに会場が緊張して、もう誰もがゆっくり奏でられるピアノの音、一音一音を味わい尽くしたのだと思います。思わず涙ポロリでした。
 音楽は本当にぼくを幸せな気分にしてくれます。浜松のアクトからバイクで5分で家に到着。なんだかもっと街を歩いて、あの余韻を味わっていたかったというのは本音です。 

冬うつ?

2013年11月21日 | 家・わたくしごと
 寒くなると太るのである。これはもう例年のことでこの時期になると以上に眠くなって、甘いものが食べたくなり、当然のことながらどんどん体重が増えていく。多かれ少なかれ、結構な割合で冬になると太る人ってのはいると思うのだが、私の場合は毎年、半端なくしっかりと大きくなっていくのである。
 特に家にいるとやばい。とにかく甘いものを我慢できず、なければ買いに出てしまう(大学にいても売店に走るから同じか)。数日前も百円ローソンで、ものすごく数が入っているマレーシア産のウエハースを買ってほぼ二日で食べきってしまった。しかも朝は常に5時起きの生活だったのが、突然、6時半くらいまでぐっすり眠ってしまう。夜も12時前になると確実に睡魔に襲われる時間がやってくる。
 なんだか心配になってネットで調べたら、「冬うつ」なる病があるらしい。無気力になるわけではないのだが(というか、忙しすぎて無気力になんてなったら、大勢の方に大迷惑をかけることになるから不可能)、とにかく過食、眠気なのだ。もちろんこの病気にはこの項目もしっかり書かれている。つらい季節である。とにかくこの季節に勝つためには、甘いものを断ち切ることだ。しかし、このくそ忙しい毎日に甘いものがなくなったら、ぼくはどうなってしまうのか?つらい、つらい、つらい…。

インドネシア~沖縄~浜松がつながるとき

2013年11月18日 | 家・わたくしごと
 人生って面白いなあとつくづく思う。東京で生まれて、そこで30年以上も暮らし、その間にインドネシアに2年留学して、オランダの空気を吸って、沖縄に住んで、そして今、浜松で時を刻んでる。転勤族なんてもっと激しい移動なのだろうけれど、これは転勤と違って誰かに命じられて流転したわけじゃない。すべては自分の意思だ。それも強い意志。
 浜松に来て、一人でぶらりと出かけたのが浜松の駅から歩いて30分近くかかる郊外のインドネシア料理屋。なんでこんなところにあるのか、そのときは全くわからなかったが、それでも知り合いもほとんどいない浜松でインドネシア語が話せることはある意味「癒し」だった。浜松でもインドネシアとつながった瞬間。
 今、思い出しても思わず微笑んでしまうのだが、「沖縄から来たんです」とインドネシア語で話した瞬間、店屋の人たちが慌てふためき、携帯電話で「誰か」を呼び寄せた。それが、沖縄から来た息子のお嫁さん。インドネシア~沖縄~浜松がつながった瞬間。断ち切ったはずの沖縄と再びこんなところで、しかも「浜松のインドネシア」で出会うなんて!
 先週の土曜日、浜松に住むインドネシア人の友人と彼女の結婚披露バーティーが沖縄であった。二年前に結婚はしていたものの沖縄での披露パーティーはこれが初めてだという。浜松に住んでいるぼくが、こんな機会に浜松やインドネシアと繋がっていながら、また沖縄に戻っていること!嬉しいよ。嬉しいよ。浜松でぼくがやるべきこと。それはインドネシア~沖縄~浜松を固い絆で結ぶこと。何ができるだろう。何をすればいいだろう。でもぼくは浜松と、そして今も沖縄と、そしてもちろんインドネシアと関係を持ち続けることができるんだ。結婚式恒例のカチャーシーを見ながら、不思議ととても幸せになれた。それは彼らからお裾分けしてもらった幸せだけではなくて、浜松の中でこれから成し遂げたい夢を抱えきれないほど持つ自分のことをぼんやり考えて……。

がんばった時はこれ

2013年11月14日 | 家・わたくしごと
 先週は学会の準備で毎晩、午前様の日々でしたが、「今日はがんばった!」というときはカップアイスをいつも買って、夜の2時、3時にこれを食べて寝てました。これが旨いんですよね。夜中のアイス。バニラじゃなくてチョコがいいわけです。
 学会が終わり、今度は書きかけの論文を終わらせなくちゃいけない。この数日、頭を切り替えてがんばって、がんばってなんとか本日、終わりまでたどり着きました。締切は18日だから今度は赤入れで修正に入ります。
 アイスがすごーく食べたいのですが、家に帰って仕事をしていると、今度は寒くて外に出たくない!「冷たいアイスが食べたい!でも外には出たくない!」ってのは、なんだか矛盾しているようで、でも、していないのが「アイス」なんだな。で、これからどうしようか。厚着して買いにいくか、あきらめて寝るか…。

学会の全国大会終了!

2013年11月11日 | 家・わたくしごと
 実行委員長を務めた学会大会が終了!昨晩は寝ました。学会始まる前の三日間の睡眠時間はほんとうに一日3時間もなく、まあ、よく体が持ったと思います。たくさんの方に支えられてなんとか最後までたどり着いてほっとしてます。まだ残務処理山積みだけですけれど。
 今朝、いつものベランダの場所に立つと素敵な朝日が!ちょっぴり寒さに震えながら写真をパチリ。「学会終わったらね」といろいろいな人に「ゴメンネ」をしてきましたが、考えてみたら今日からそれ以外にもやること山積みです。まだ「ゴメンネ」と逃げ続けられるだろうか…。まあ、やるしかないね。
 今週はいくつかパーティーがあるので沖縄です。暖かいかな?

手書きというマニュアル感

2013年11月07日 | 大学
 先週の大学祭で学生たちがチラシをデザインした。学内に張ったり、配ったりしていたらしい。その一枚が私の研究室のレターポケットにも入れられていた。たぶんガムラン関係の学生が私にプレゼント?してくれたのだろう。
 はじめはなにげなく見て、「へえ、やっぱり描かれているガムランには四つしか鍵板がないや」とか「パユン(傘)よく書けてるなあ」とか、デザインに関心しながらも机の上に放置されていたのだが、ある瞬間、このチラシの「カラー」に意識が向かった瞬間、

 「えー!、これ絵具?」

 と驚いてしまったのである。一昔前だったら「じぇじぇじぇじぇじぇじぇ」くらい言ったと思うが、すでに死語になりそうなのでそこはこらえて、冷静に東京人として「驚いた」のであった。
 この時代、チラシの色なんてパソコンで簡単につけることができる。ぼかしだってなんだって、たいていのことはやってくれて、しかも一気に何百枚もプリントアウトしてくれるのである。そんな時代に手書き、しかも絵具、何色使ってるんだ!
 「暖かさ」というのはこういうものから感じるのだと素直に思った。こんな時代だから手書きのマニュアル感がまたいいのだ。考えてみれば、私だって1980年代の大学時代、そうして絵具やポスターカラーで一枚一枚色をつけていたじゃないか。枚数は作れないかわりにポスターのぬくもりや演奏への熱意がしっかりと伝わる…。舞台終わっても捨てられないポスター。いいじゃないかい。君たち、よくやったよ。ほめたる!

あきらめ~イライラ~あきらめ…

2013年11月05日 | 浜松・静岡
 何の工事かは知りませんが、きっと必要な工事なのですから。だから仕方がないと思っています。

 先週からいろいろな音がしてきましたが、今日は道路のアスファルトを破砕する音がひどく、私はもう気が狂いそうになってます。きっとしばらくこの音が続くんでしょう。マンションのほぼ真下の工事だから。今日は夜、学会の仕事を家でこなそうと作業を始めた矢先の大騒音。なんでこんなに運が悪いのでしょうね。いやいや、こんな音に負けちゃだめだ。「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言うじゃないか。集中だ、仕事に集中だ!~だめだ、だめだ、やっぱり聞こえてしまう!(ヘッドフォンをしてみたがそれでも聞こえる!)それにしてももう夜の12時をまわっているというのにいったいいつまでやり続けるというのだ! 

 でもね、何の工事かは知りませんが、きっと必要な工事なのですから。だから仕方がないと思っています。

(こうして僕の思考回路もずっとループしています。あきらめ~イライラ~あきらめ~イライラ~あきらめ…)

ツーショット!

2013年11月04日 | 大学
 一つ前のブログをアップした直後に、学生が写真を送ってくれました。その中の一枚、東京から来てくれた踊り手OさんとPのツーションットです。雨を心配していた私にO氏は「僕は晴れ男ですから、雨は降りません」とピシャリ一言。たぶん雨が降らなかったのはOさんのおかげです。結果的に今回私は、Oさんの言葉を信じ、バンケンで使ったマントラは封印しました。すごいなあ。
 ところで、今週は学会の大会が大学あり、私は実行委員長でその準備しなくちゃなりません。切り替え、切り替え!
 

感無量…

2013年11月04日 | 大学
 昨日、勤務先の大学の大学祭に一緒に演奏してきた学生の仲間たちと初めて出演しました。たった20分の出演時間でしたけれど、やはり、はじめて出演する大学祭で、たくさんの学生たちにガムランを見ていただけるわけだから、とても感無量でした。今回は演奏者13名。助っ人なし。すべて一緒に練習してきた仲間です。毎週こつこつ練習を積み重ね、夏休みは始めたばかり学生たちがお互いに教えあって自主練をして、昨日の舞台に至りました。
 沖縄の大学で、まだガムランがなかった頃、皆で私の個人の楽器を使ってバテルで出演したときのこと、家に帰ってから思い出しました。あの時と全く同じ気持ちでした。14年たってしまったけれど、学生たちとガムランに接する気持ちは今も変わっていません。今度は新しい「彼ら」とたくさん、たくさん、いい夢を見て、素敵な音楽を作っていけたらと思います。
 沖縄でも、浜松でも、やっぱり誰かが手を差し出してくれて、大学としてガムランを用意してくれました。私たちはたくさんの人たちが用意してくれた道具を使って、それを使って切り開きながら、前に進んでいるだけなんです。今回の大学祭も同様だったと思うのです。実績もほとんどない団体に場を与えてくれた人々がいるわけだし、なんといっても雨の予報の中、それを止めてたくれたたくさんの目に見えぬ存在がいることも忘れてはいけません。
 これで気が抜けたわけじゃありません。これから出発だよ。来週からまた次の練習が始まります。
(そうそう、写真がまったくないので、本番前に栄養をつけようと食べたチョコの空箱、控室のカギ、供物のおすそわけ、頭に着けていた花、お線香などなど手元にあったものが本日の記念写真です。誰か昨日の舞台の写真くださ~い。)