ネット環境が悪いのと、時間がなくて現地でブログを更新するのはなかなかたいへんです。これからロンボックに行くため、朝4時起き、ホテルを5時に出て空港に到着したのですが、なんとムルパテイ航空のロンボック・プラヤ空港行きのフライトは1時間半遅れ。朝食もたべていないので、はじめてバリの空港の国内線の有料のラウンジを利用しています。
60,000ルピアで少々お高いですが、食べ物、飲み物は種類豊富だし、ネットはお隣のガルーダのラウンジのWIFIのパスワードを教えてくれて使い放題(いけないラウンジです)。ここでたまった80件近いメールを読み、処理することがなんとかできています。
それにしてもこのラウンジ、冷房のサービスがいきとどいて(行き届きすぎて)寒く、長袖をトランクに入れてしまったことを後悔しています。空港には知人の迎えを頼んでいて、ゴング制作や流通のインタヴューや動画撮影を始めます。(一つ前のブログ、写真をアップしました。)
バリに来て、とにかく時間がないので最初からかなり飛ばして、締めに知りあいのやっているワルンでカチャン・イジョを食べる。ジャワ人なのでカチャン・イジョもジャワ風。緑豆を似たものに、コンデンスミルクやら砂糖水、もち米やパンが入る。ひっきりなしにテイク・アウトの注文。大繁盛といった感がある。
私は甘いものが好きだが、このカチャン・イジョが特別好きである。まあ、インドネシアの「おしるこ」と言っても間違いではない。日本でももち米を「餅」にして入れるからこちらでもち米をいれるのとほとんど変わらない。今は5,000ルピア。昔とくらべるとかなり高くなったが、それでも今のレートで48円くらいか。
現在、インチョン空港での乗り継ぎ待ちです。この数日、学会の関係などの仕事があり怒涛のような忙しさで、さすがにブログを更新する元気がありませんでした。今朝、浜松を発って中部国際空港経由で韓国まできました。19時の便でデンパサールに向います。来週末からはロンボックで調査です。
那覇と東京を行き来しているころは、機内が休養の場でした。沖縄時代の最後の数年はほとんど機内で寝続けて、離陸を知らず、着陸で目覚めるというのが普通でした。最近、飛行機にめっきりのらなくなったせいか、休息の場を失った気がします(今の大学では研究室のソファーに横になれるのですが、ソファーが身長よりかなり短いので体が痛くなります)。インチョンまできて、そのことを思い出しました。さっきは、機内で食事の間は起きていましたが、それ以外はほぼ寝ていましたから。
次は7時間近いフライトですが、何時間寝られるか。でも寝すぎるとデンパサールに到着してから眠れなくなるし。サリンジャーの小説を持ってきていますから、ゆっくり本も読めるし、とにかく今、必要なのは休息ということで、デンパサールまでの時間をそれに当てます。インドネシアでも時々、更新できると思います。インドネシアはだいぶ涼しいようですから、それを期待しています。
私の勤務する大学には「静岡」という文字が入るのだが、実際の所在地は浜松であり、静岡に大学があるわけではない。言い換えれば、静岡県内にあるものの県庁所在地である静岡にはない。だいたい地理感などというものは住んでみなければわからないもので、浜松は静岡よりも名古屋の方が近い。そういう意味で、たとえ東海道線や新幹線があったとしても、静岡までの心の距離は、決して近くはないのである。
昨日、静岡大学でバリのガムランの演奏活動をしている学生が、私たちの大学の学生と連絡をとりあって、わざわざ浜松まで来て練習に参加してくれた。夏休みだからこそ可能な企画である(1名は浜松出身でちょうど帰省中でしたが)。
ところがこの二つのガムラングループ、同じバリのガムランを演奏しているが、静大はゴング・クビャル、浜松の大学はアンクルンなのでレパートリーが重ならない。つまり一緒に練習しなければ同じレパートリーを共有できないわけだ。これだけ距離が離れていると合奏は容易ではない。しかし、彼らにとってそれ以上に重要なのは、「ガムラン好き同士」のたわいもない会話や芸術や音楽についてのお互いの熱い思いを語ることであって、17時半から始まった交流会は、それはそれは盛り上がり、私なんて1時間程度で帰るつもりだったのが、結局面白くて最後まで同席してしまったほどである。
浜松と静岡の物理的な距離を縮めることはできないが、こうした人と人との交流、ネットワークは心の距離をどんどん縮めてくれるものだ。彼らがいつの日かともに同じ舞台で演奏できることを夢見て、私なりにがんばっていこうと思う。次は浜松から静岡へ。ゴング・クビャルを目の前にして鍵板の多さに戸惑う浜松の学生たちの様子が目に浮かぶ…。
(昨晩はその交流会のせいで、帰宅して23時前に寝てしまい、目が覚めたのは4時50分。まだ外は薄暗かった。それでも陽が昇る時間、少しずつ遅くなってきていている。この時間に起きると秋になっていく気配を感じるものだ。今はまだ、大好きな暑い夏に浸っていたい気持ちだけれど。)
早朝に目が覚めてベランダに出てみたら、雨上がり。いつもは熱気でむっとした空気に体全体が包まれるはずが、今朝はちょっと不思議な、少し湿って、でもスーッとするような何かが体に充満して、風邪がなおらなくて不快なはずが、やんわりやわらいだような感覚に陥ります。
インドネシアに発つ前にまだやらなくてはならないことが山のようにあって、ぜんぜん気が抜けません。あと5日か。そう思うより「まだ5日もある」と考えることにします。まずは風邪を治さないと。今日の浜松も暑そうだな……。
浜松の昼下がり、バイクで大学を抜け出して浜北にある自動車免許センターに国際免許をとりにでかけました。平日の昼、いいですね。浜松は道が広いし、お盆で車少ないし、もう僕のための道みたいな感じです。沖縄では夏には日焼けもするのであまり遠出はしませんでしたが、大学生のころは、でかいバイクでよく相模湖や富士五湖に出かけました。僕の中でバイクと夏は相性ばっちりです。
さて午後2時過ぎに新しい国際免許も手にして、昼飯でも食おうっかと、久しぶりに「すき家」に入っちゃいました。京都の北野天満宮に行った帰り、息子と二人で入ったのはもう数年前か?だいたい京都でそんな店入るか、と言われそうですが、僕は京都で王将だってすき家だって「入るんです」。毎日、高級料亭で食事なんてでけへん(入ったことほとんどないけど)。
牛丼並(基本は、七味と紅ショウガをトッピング)とサラダセット。なんてヘルシーでしょう。30年前なら大盛りに生卵だったのになあ。なんだか嬉しいなあ。そして食べ始めようとしたところで、天野春子の《潮騒のメモリー》がBGMで流れるじゃないですか?じぇじぇじぇじぇ。この音楽、どう聞いても70年代後半から80年代前半風に作られてますよ。新曲なのはわかってますよ。朝ドラ見てるしー。でもね、こういう店入って、80年代風の音楽聞いたらノスタルジックな気分になっちゃいます。なんだか涙ぐみそうになり、血圧のことなんて忘れて、昔のように思わず紅ショウガ大盛りにしてしまいました。
あのころのメット(ヘルメット)は、SHOEIのバリバリかっこい赤のメットだったなあ。まあ今はカブに乗ってるから仕方ないけど、なんだかこの写真、少し寂しいね。ステッカー、I LOVE HINDUと清明神社だし。お前、ヒンドゥーと陰陽道の混淆宗教信仰してんのか、なんて言われそうだし。いいさ、いいさ、どうせ「おじさん」だもんな。でもなー、若いやつにはまだまだ負けへんでー。
なんだか《潮騒のメモリー》を聞きながら、ノスタルジックの気分に浸ったと思いきや、えらいテンションがあがり(たぶん血圧もあがっただろう)、帰りはもうバリバリにバイクをぶっとばして大学に戻ったのでした。この時だけは、なんて楽しい一日だろうと思いました。2時間足らずの出来事ですが…。
真夏に「お暑いですね」と言われた長州藩士村田蔵六(大村益次郎)は真面目な顔をして「夏は暑いのがあたりまえです」とそっけなく答えたという。(って司馬遼太郎『花神』に書いてあった気がする。)そりゃあ、夏は暑いものだ。冬は寒いのが当たり前である。
しかしだ。昨日の浜松の最高気温39.8度。まじ、暑いだろ。リアルに暑いだろう。リア暑。外に出て歩くと息苦しくなるくらいである。しかし上には上があるもので、甲府は40度超え?こんな日に冷房ががんがんはいった店で「ほうとう」を食べると旨いだろうな。
とうとう、家に冷房を入れる。現在朝8時過ぎ、室内の気温30度。実に涼しい。快感だ。そしてこの写真をとろうとベランダに出た瞬間、「うっ」て感じ。これは沖縄よりはるかに暑い。こんな日、村田蔵六だって「夏は暑いのが当たり前です」なんて言いやしないだろう。彼だって「この夏は暑すぎて異常です」と真顔で応えるはずである。ぼくは、これからこの「リア暑」の空気の中、大学へ出勤である(「リア充」という言葉を数日前にラジオから学んだPは、すぐに類似の言葉を造語したくなるのだった。わかる、わかる、使い方が違うっていいたいんだろ?)。
ジャワ島のジョグジャカルタに留学している沖縄時代のゼミ生が一時帰国の折、実家の四日市からわざわざ浜松まで会いに来てくれた。久しぶりの再会。なんだか研究室で向かい合うと修士課程を終えるまでの4年間のゼミの光景が蘇る。いろいろ研究テーマに悩みながらも論文を書き、修了後しばらくしてからインドネシアに留学した。研究テーマはインドネシアでなかったにも関わらず。
留学から戻ってからの人生設計などやはり悩みは多いだろう。誰もがぶつかる壁。自分だって同じだったから。学んできたことをすぐに生活と結びつけるのは大変なことだ。
そんな姿と向き合って、自分も初心に戻らないといけないと思った。人生の先輩として、教員としてアドヴァイスはできるけれど、そういう自分だってしっかり地に足をつけて彼女と同じように前に進まなくちゃならない。それができているかな、とちょっぴり歯がゆい一日を送る。
今、彼女に送る言葉があるとすれば、まだまだやりたいことはたくさんできるよ、だから焦らないでしっかり今ジャワでしか学べないものをたくさん吸収して、でも今だけを見るのではなく半歩先も見て歩きなさい、ってこと。同じこと、自分にも同じようなこと言い聞かせているから…。
(写真はいただいたお土産です。ありがとう。)
真夏の暑い外の空気を吸ってみようとベランダに出てみたら、遠くで花火があがっていました。遠すぎて音が聞こえないので、音もなく上がり花開く花火……。
なんでしょうね。今日は一日、寂しい気がします。いい大人なのに、一人がこんなに寂しく感じるなんてね。これまでが賑やかすぎたんです、きっと。花火なんてあっという間に闇の中に溶けてしまうし。
遥か彼方の花火のせいってことにしとこうか。それとも浜松のせいにしてしまおうか。せめて音が聞こえればいいのにね。花火のあがる音が…。音のない花火なんて悲しすぎるんだよ。どうして一日の最後までそんな酷な風景に出会わされるんでしょう…。
一年中、ワヤンの上演をしていますが、バリのように屋外で公演することは決して多くありません。もちろん外でできない季節もありますし、ワヤンは暗くならないとできませんから、結果的に夜公演となると、今度は(それほど大きな音はしないにもかかわらず)、近隣への音の配慮からやはり屋外公演は難しいものです。
8月7日に、みなとみらいホールの屋上庭園で、久しぶりに外の空気をたくさん吸いながらのワヤン上演をしました。写真はリハの様子ですが、やはり芝の上はいいですね。香りがまったくちがいますし、楽器の音も天高く響くようです。それにこの場所、ビルに囲まれていますから、「苦情」という問題はまったくないし。
本番は子供たちがたくさんいて、縁日のように飲み物や食べ物も売られて、なんだかお客さんはリラックスできすぎる環境でした。もちろんたくさんのお客様のおかげでワヤンの公演も大成功。演目「天女スプラバ使者に立つ」はこれで一区切りです。秋は久しぶりにラマヤナ物語から「クンバカルナの戦死」を新解釈の演出で、また12月からは仏教説話「スタソマ物語(前編)」です。