Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

不思議な「バレンタイン・デーおめでとう」

2008年02月29日 | バリ
 2週間前のバレンタイン・デーなんてもうはるか昔の話のようで、きっと今、デパートではホワイト・デーで盛り上がっているのだろう。なんだかイベントというのは、開催される前にはさんざん盛り上がるのだが、終ってしまうとまるで何事もなかったように日常に戻るというのが面白い。
 バリの写真の整理を始めたのだが、バレンタイン・デーの翌日に撮影した不思議な写真があったことに気が付いた。村に行く道はとにかく畑、村、畑、村と交互に続く退屈な道で、それもほとんど車は通らないので、ゆっくりと景色を楽しみながらバイクで走ることにしている。そんなバイクでの途中、ある村を通りかかり、集会場の横を通り過ぎると、バレンタインと書かれた「何か」の存在に気が付いた。しかしバイクは一瞬でその横を通り過ぎてしまう。「あれはいったい何だったのだろう」と考えているうちにバイクはすぐに100メートルくらい走ってしまうものだが、たぶん400メートルほど先に進んでから、私はその「何か」に対する好奇心を抑えられずに、道を引き返し再び集会場の前に戻って停車した。
 そこには意味不明の「ハッピー・バレンタイン・デー」があったのだ!なんとも強烈なオブジェである。バロンともいえず、ランダともいえず、まあシンガ(龍)の顔なんだろうか?それにしてもユニークだ。バリの図像もとうとうバレンタインに利用されてしまっている。この村では、集落の集会場にこのバレンタイン・デーのオブジェが飾られているわけで、ある意味集落全体がバレンタイン・デーを祝っているようだ。そして、ありがたい神仏に「バレンタイン・デーおめでとう」と低い声で言われているようで、「ありがとうございます。あなた様のおかげです」と思わず手を合わせたくなるような厳かなオブジェである。



封を切ること

2008年02月28日 | 家・わたくしごと
 新しく買ったものの封を切る、というのはたいていドキドキするものである。たとえば、海外から通販で購入して、待ちに待っていたCDが届いた時。CDを誰の息にも触れさせないようにしているがごとく密封されたビニールをはずすだけでも胸が高鳴り、このCDの1曲目を聴くときなどは、胸が張り裂けそうにドキドキするものである。
 そんな「封を切る」品物があることを、かみさんから昨晩知らされた。なんとイノダコーヒーで買った密封されたレギュラーコーヒーである。その存在を知っただけで結構、胸が高鳴った。コーヒーというのは、その密封状態から放たれた瞬間、待ってました!といわんばかりに、その香しきローストされたコーヒー豆の香りを一気に放出するからである。その香りのすばらしいことといったら、もうどの香りにも匹敵しないくらい感動的なものだ。とにかく私は今朝、その封を切るのを楽しみにしていたのだ。
 さて朝になって「ねえ。イノダコーヒーどこある?」とかみさんに聞くと、「まだ、前のものが残っているから、それ飲んでから新しいコーヒーを使ってね。」と言われる。そんなことは百も承知である。とにかく私はイノダコーヒーの封が切りたいだけである。「そのコーヒーはどこにあるの?」ときくと、「台所にあるでしょう?」と答えが返ってきた。
 台所を見ようと振り返ったその瞬間、私は「大ショック」、「超ショック」を受けたのだ!なんとかみさんが封を切ってしまっているのである。昨日まで、密封されて堅くなっていたコーヒーが、今ではもう粉になっている・・・。私の今朝の楽しみがかみさんにあっけなく奪われたのだ!といっても、「後のまつり」である。しかたないので、しばらくそのビニールに鼻をつっこんでクンクン香りをかいでいたが、なんだかビニール袋に鼻先をつっこんで、はずれなくなったアライグマを想像して、空しくなり、そっとコーヒーを机の上に置いた。たぶん、かみさんはきわめて機械的に、つまりはマヨネーズの封を切るようにコーヒーを開けたんだろうと思うとちょっと寂しかった。いやいや、ちょっと待てよ。そうではないかもしれないぞ。もしや、かみさんもまた「コーヒーの袋を開けた瞬間の香りフェチ」なのでは?となると、今回は時間差で私の敗北である。


文明生活

2008年02月27日 | 家・わたくしごと
 2月4日のブログに書いたわが家のテレビ事件以来、ほとんど3週間、テレビはつけられたままで、たまに間違って消してしまうと、スイッチが入るまで側面を叩き続けるという極めてプリミティブな昭和40年代のお茶の間の光景を繰り広げてきたが、ついに本日、わが家は文明生活の仲間入りをしたのだ。写真をご覧あれ!「ここにおわすは、天下の液晶テレビ37インチであるぞ、頭が高い!控えおろう!」
 控えたらテレビが見えないので、「面をあげよ!」。いやはや、これはもの凄い現代メディアである。もう嬉しくて朝から会う人ごとに「今日、液晶テレビ来るんですよ」といい続けたが、「まあ、先生もブルジョアの仲間入りですわね。」なんて言う人もあり、朝からご機嫌である。
 それにしても画面はきれいだし、一気にチャンネルが10チャンネル以上増えたのだから、もう驚愕である。テレビの画面を見ている限り、沖縄から東京に戻ったような気分だ。ちなみに息子は、横浜に住むおじいちゃんに新しいテレビがきたことを電話で話すと、「ほどほどにしないとだめだよ」と言われたそうだ。実に的確な指摘である。まさしくテレビを見るのをほどほどにしなくいけない。
「この紋所が目に入らぬか。控えおろう!」と息子とかみさんを一喝する日は近いか?

 

何に注目?

2008年02月26日 | バリ
 ここに写っている人々は儀礼の参加者たちである。この「おっさん達」は妙に楽しそうに、何かに注目しているのだ。さて、ここ中の人々のうち青いポロシャツを着ている人々はこの儀礼でガムランを演奏する人々。ちなみに、この時、彼らのすぐ後ろではトペン・ワリとよばれる儀礼のための仮面舞踊が上演されているため、ガムランも演奏されているのだが、この人たちはその演奏をさぼって、ここで楽しげに何かを見つめているのである。白っぽい服をきた他の人たちは皆、儀礼を主催する家族の人々である。
 彼らが注目しているもの、それは闘鶏である。闘鶏といっても、娯楽のための賭け闘鶏は条例で禁止されているのだが、その闘鶏が儀礼のための供儀として行われる場合は許されている。ちなみに最初のうちは、「賭け闘鶏じゃないから」と誰もが言っていたのだが、さて闘鶏の15分前にもなれば、誰かが仕切り屋をかって出て、すぐに「どちらの鶏にかけるか」ということになる。これが始まると、男たちはにわかに忙しくなり、なにげなく胸ポケットから紙幣を出し、どちらかの鶏に賭けるのである。
 男の私としても、やはりこれを傍観しているだけではつまらない。じっと二羽の鶏の「生きの良さ」を確認した後、この「儀礼」に参加することにした。賭けというのは、賭けに参加するか、傍観するかによってその見え方は全く違うものだ。ちなみにこの「おっさん達」はほぼ全員、賭けの参加者たちである。この和やかな表情は、すでに勝負がほぼ決まった時点であり、喜びの笑顔、あきらめの苦笑が混在している。1分前にはこの「おっさん達」の顔は、今にも鶏にとびかかりそうなおっかない形相だったのである。
 さて私の賭けた鶏であるが無事に勝利し、4日分の夕食代をそれでまかなうことができたのであった。


礼拝中につき注意

2008年02月25日 | バリ
 首里の円覚寺の礼拝で道路が渋滞し、あげくのはてにはパトカーまで出動して大賑わいになったことを昨日のブログに書いたが、ふと二週間前の金曜日に、バリのモスクの近くで撮影した写真のことを思い出した。「礼拝所あり、注意」と書かれた看板である。
 ここでいう礼拝所はイスラームの礼拝の場であるモスクのことである。ヒンドゥーを信仰する人々の多いバリでは少数派であるが、もちろんバリにもイスラームの人々はいる。むしろ、外の島から観光地のバリへ出稼ぎにやってくるインドネシア人が増え、イスラームの人々の数は以前よりも増加していると想像できる。
 私がたまたまモスクの前を通りかかった金曜日はイスラームの集団礼拝の日である。そのためどのモスクも礼拝の服装でたくさんの人々が集まってくる。当然のことながらモスク周辺は車、バイクで大混雑し、路上駐車もいっぱいである。そんな礼拝の日には必ず警察官が交通整理をしたり、時には道路を通行止めにする。写真の看板こそ、その時に用いられる写真の看板なのである。たった1枚の看板にせよ、その効果は絶大である。


16日正月

2008年02月24日 | 那覇、沖縄
 明日から入学試験で、その準備のために日曜日も出勤である。ところが大学に行ってみると、大学前の道路は路上駐車の車でいっぱいである。ちょうど大学構内から出てきた警備員に聞いてみると、16日正月で、首里城の下にある円覚寺に「拝み」にきているからだという。この正月は、旧暦の正月の16日後に行われる「あの世」の正月であり、グソー正月とか、ジュールクニチとよばれる。
 円覚寺は、15世紀末に建立された臨済宗の寺院であり、鎌倉の円覚寺にならった建築物だったという。琉球王朝の第二尚氏の菩提寺でもあったが、沖縄戦で焼けてしまって、現在では1960年代に復元された山門が残るのみである。しかしこの山門だけの寺院の後に、ひっきりなしに人々がおとずれ、食べ物(お重)を持ってきては、山門の前にそれを置いて拝んでいく。もちろん拝んだあとは備えた食べ物も持ち帰る。
 祈りというのは、日本の場合、神社や神棚とか、仏像、仏壇に祈ることが一般的である。しかしここでは、門の向こうは何もない「空き地」である。かつては豪華な寺社があったにせよ、今は何もない。しかし「拝み(うがみ)」に来た人々は、そこに仏を感じ、心の中に仏を感じるのだ。まさにバリでいう目には見えない超自然的存在「ニスカラ」に対する崇拝のようだ。
 そんな宗教的な光景を眺めていると「ここに車を置いているドライバーは、すぐに車を移動しなさい。ここは駐車禁止です。すぐに動かしなさい。」と繰り返し叫ぶパトカーがやってくる。そりゃ、観光地でこんな車を止められたらタクシーやレンタカーには迷惑なのかもしれないが、今日は「儀礼」である。バリのように「儀礼!注意 Hati-hati! ada upacara」の看板がない日本は、儀礼に対して極めて後進国であることを実感する。



チョコレート

2008年02月23日 | バリ
 2月14日はインドネシアに滞在していた。バレンタイン・デーはインドネシアでも、花やチョコレートを贈答する日である。といっても女性から男性という一方通行の贈与行為が行われるだけでなく、両方向的である。ようするにどっちから渡してもいいわけだ。ちなみにジャカルタでは、バラの値段が、国内産で50パーセント、輸入もので30パーセントの高騰だとニュースで言っていた。それほど盛んに行われているということだろう。
 この日、村での調査から夜10時前に戻り、パソコンを開いて調べたことの整理を始めようと思ったとき、ホテルのドアを叩く音がする。「こんな時間に誰?」と思ったが、日本語で「先生」という声が聞こえたので開けてみると、現在インドネシアの大学で勉強しているガムランの教え子である。
 「バレンタイン・デーなので、チョコレート持ってきました」と箱を渡される。バリ・ベーカリーの大きい箱である。開けてみると、小さなチョコレートがたくさん入っているではないか!
 学生が帰っていって、もう一度、箱を覗いた。調査とか研究とか、そんな生活をおくっていて、バレンタインなど全く自分とは無関係だと感じてしまう「日常」と少々かけはなれた生活をしていた中、私はこの箱の眺めることで、突然、「日常」に引き戻されたようだった。しばらくそんな「日常」の余韻を楽しみながら、無我夢中になって一日中調査に明け暮れる自分の姿を見つめながら、苦笑いしてしまう。


カリスマ・ミュージック

2008年02月22日 | バリ
 バリ芸能を学ぶ人々にとって、カリスマ・ミュージックといえば、伝統音楽取り扱いミュージックテープ屋のカリスマ的存在である。もともとカリスマとは「神の恵み」を意味する言葉であったらしいが、確かにそのような「恵み」を思わせる品ぞろいのミュージック・ショップといえる。
 といっても、クレナン市場の前に建つ年中無休の小さな店で、中国系のおやじさんと二、三人の若い女性従業員で切り盛りしている。また、このおやじさんも店員も妙にマニアックで、〇〇村のグンデルの演奏が欲しい、1987年のゴング・フェスティバルの録音が聞きたいといえばものの数十秒で、数百本あるテープの中から的確に必要なテープを指さす。「カリスマ美容師」なんていう言葉があったが、この店の店員は、「カリスマ販売員」なのだ。なんとも伝統音楽を学ぶ人々にはありがたい店である。
 ウブドでまったりしながら伝統音楽を学び、観光地のカセット屋でガムランのテープを買うのもいいが、「カリスマ・ミュージック」に来れば、ウブドの店にはいかに観光客に売れるようなテープしか置かれていないかということがわかるはずだ。さあ、バリで伝統音楽を学ぶ諸君!排気ガスが充満するデンパサールの街に旅立ち、カリスマ・ミュージックへ向かおう!そのとき、カリスマ・ガムラン奏者、カリスマ舞踊家への道が開けるのだ!


師匠と弟子

2008年02月21日 | バリ
  人形劇ワヤンの伴奏をしている演奏者の二人は師匠と弟子の関係である。どっちが師匠かといえば、鍵板に目も向けず人形芝居を見ながら演奏する方が師匠、芝居どころではなく、師匠の手を見ながら必死に演奏する方が弟子である。師匠と弟子といっても落語や演歌の世界と違って、住み込みで師匠の身の回りの世話をするわけではなく、時間のあるときになんとなく師匠のところにやってきては、演奏しては帰っていくという「通いの弟子」で、もう10数年そうして勉強を続けている。私の知る限り、弟子は師匠に謝礼を払うことはないが、テーラーを経営する弟子は、師匠の家の儀礼には必ずやってきて、自らの技術を生かした手伝いをする。師匠もそれをありがたく受け入れる。なんとなく、目に見えない絆のようなものが二人の間に感じ取れるのだ。
 芸術大学に勤めていると、「弟子」ということばを頻繁に耳にする。正直、私は弟子という言葉は好きではない。ゼミ生は教え子であり、弟子とは考えたことも無い。先生とゼミ生の関係は、写真の二人のような関係とは大違いだ。師弟関係ではないので「入門」も「破門」もない。ある意味、出入りは常に自由であるし、その関係は「授業料」という「入場料」を払って成立するのである。
 「冷たい奴だ」と言われるかもしれないが、それが師匠と弟子、教員と教え子の関係との大きな違いである。ある芸談中で「弟子は師匠のパンツを洗う」という言葉に出会ったことがある。これはある種の比喩にすぎないだろうが、弟子というならば、相互にこうした「私」に立ち入った関係を意味するのではないか?
 ワヤンの演奏をする二人の関係は、相互にグサリと「私」の領域に立ち入っているわけでもなく、だからといってただ、習う側、教える側という関係でもない。ほとんど話をすることもなく、互いに無口に10数年の日々を楽器に向かい続ける二人のバリの師弟関係というのは不思議な関係であるのだが、私には理想の演奏パートナーのありようである。

聖水くれ!

2008年02月20日 | バリ
 バリの宗教は別名「水の宗教」である。とにかく「聖水」がないと「浄化」されないのである。そのため、僧侶と名のつく者はマントラ、花、線香を用いて聖水を準備する。ちょっとした浄めであれば、ペットボトルの水(アクア)でもかまわない。とにかく「水」がないとだめなのである。
 1週間前、ある儀礼に参加した。この儀礼にはプダンダとよばれる高僧が一段高い場所に座り、高僧が聖水を準備して、穢れた人々を浄めて儀礼は終了したのだが、ここからが聖水獲得デッドヒートの開始である。
 要するにプダンダの用意した残りの聖水の「おこぼれ」にあやかるためにプダンダの周りに儀礼の参加者が殺到するのである。当然、残りは少ないためにわれ先にと高僧プダンダの周りに殺到し、一滴でも聖水をもらおうと手を伸ばす。だからといって、バーゲンセールのワゴンに人の隙間から手を伸ばしてとにかく何かを毟り取る、といったような「粗野な」行為をすることは厳禁である。なんといっても、プダンダは「神」なのだ。
 「おれにも、わたしにも聖水くれ!」そんな言葉が聞こえてきそうである。しかし、ぐっとこらえて、微笑みながら手を伸ばす。これが神の前での礼儀である。