人生二回目の「果物狩り」をした。沖縄のタンカンとよばれるミカン狩りである。タンカンとは、ポンカンとオレンジをかけ合わせた沖縄のミカンである。数日前になんとなく「行ってみよう」ということで、実に久しぶりに家族でお出かけをしたのであった。ちなみに一回目の果物狩りは、子どもの時に行った久能山のいちご狩りだった。まだイチゴがそれほど甘くない時代なので練乳をつけて食べるのだが、ほんの少ししか練乳がないので、好きなだけ食べていいよ、と言われても練乳がなくなった後のイチゴを食べるのは、苦行だった思い出がある。
今回のタンカン狩りであるが、まさにタンカンは今が旬。入園料金は250円で好きなだけ食べられて、持ち帰り分は一キロ250円。楽しめて安い!ちなみにタンカンの木には、たわわとミカンが実っているのだが、木によって少しずつ味が異なるので、まず食べてみて、気に入ったらその木のタンカンをいくつか採り、更に次のタンカンの木を探す。宝探しのようである。
子どものようにはしゃいで、タンカンを食べまくり、たくさん採って車に戻る。しかし問題発生!タンカンの食べすぎである。だいたい短時間で10数個のタンカンなんて食べたことがない。スーパーで買ってもこの時期は、5つで300円くらいだもの。でも、これは貧乏性から食べたわけではなく、あくまでも「タンカン狩り」のための味のチェックのための試食である。その後、ぼくは食堂で分別なく「みそ汁定食」を食べた結果、お腹が撃沈したのであった。
ドイツで長く研究していた同僚の教員が、ライプツィッヒのお菓子屋に通販で頼んだクリスマス用のシュトーレンが昨日、大学に届いた。クリスマスからすでに一ヶ月が経過して届いたシュトーレン。季節はずれのシュトーレン。
大きな箱から、期待を裏切らないような大きなシュトーレンが現れた。1ヶ月も経過してしまったけれど、幸いにも長期保存がきくケーキは、いまだ賞味期間。さっそく端を切っておすそ分けをいただく。甘く、フルーツの香りが口に広がる。季節はずれのクリスマスの味。
その後、聞くところによると、助手たちは、今年1回目のクリスマスパーティーを開いたと聞く。船便でやってきた1ヶ月遅れのクリスマスの使者は、冷たく、寒い沖縄の大学の空気をしばらくの間、暖めてくれた。季節はずれのシュトーレンは幸せな時間を運ぶ……。
昨今、世界中ではface bookやtwitterが氾濫し、ニュースよればアフリカ北部で展開されている反政府運動は、こうしたマスメディアにより運動が助長されているという。わずかな字数により携帯電話から人から人へと、瞬時に広がっていく情報。コミュニケーションにとって、face bookやzwitterは無視できない存在なのである。
私は、そうした新たなメディアの現状を嘆いているわけではない。しかし「つぶやく」には、「つぶやく」ルールというものがある。もし心に中にある他人に対する鬱屈とした感情をネットに「つぶやく」とすれば、それは結果的に裏サイトを表サイトで行うに行為に他ならない。
「つぶやき」を『広辞苑』で調べてみると、「つぶやきをもらす」という例文が出ている。そして「つぶやき言」には、「くどくど言う独り言」とある。私は、「つぶやき」がすべてネガティブなことばかりでないことはわかっている。しかし本来、一人でつぶやくべき「他者に対するぼやき」をすべて、ツイットしていいと勘違いしているユーザーはいないだろうか?
私が言いたいことはこういうことだ。
「アナログでつぶやくべき内容と、ネットでつぶやく内容の区別ができない者には、face book やtwitterを使う資格はない」ということだ。アナログでつぶやき続けよ! いつでも、どこでもつぶやき可能なアナログtwitterを利用せよ! そう、私のように……。
博士論文の審査、自分の原稿の締め切り、学部の卒論口頭試問、そして明日が修士論文の口頭試問。明日の試験が終わると、やっと一息つけます。毎年この時期、ほんとうにいろいろな論文を読みますが、今回は数日の間に自分の原稿の締め切りと胃カメラ付の人間ドックが重なり、とにかくバタバタでした。
こうして人間は、日々、「明日やってくるもの」に追われながら人生を生きていくんですね。でも、目前に迫る(これは時間的にみれば未来に位置づけられる)存在に「追われる」という表現は、なんとなく不思議な感じがします。
いや、もしかしたら「別に?」と答えがかってくるかもしれません。いろいろなことを短時間に頭に詰め込んでいるせいでしょうか、あらゆることに「鋭敏」に反応するようです。とにかく、「明日やってくる」あと一つに今晩は追われます。
わが家の1月の玄関に飾られた手拭いは、RAAKの「ポチ袋」です。残念ながら今はもうポチ袋を渡す側になってしまって久しいのですが、やっぱり、お正月は「ポチ袋」。小学6年のとき、もらったお年玉を使って、吉祥寺のレコード屋で買ったビートルズの赤盤を思い出します。
RAAKは京都にある染物屋さんで、手拭いをはじめ、私が好きなデザインのさまざまな商品が売られています。東京では新宿の丸井に入っていましたが、最近、羽田空港の国際線ターミナルに出店しました。東京に行くことが多い私にはありがたい一方で、やっぱり京都で買いたいというのが本音です。
ちなみに今年の祇園祭の山鉾巡業の前日、京都のホテルを予定できました。今年は日曜日が巡業にあたるので、前日の土曜日はどのホテルもほぼ満室。今から7月中旬が楽しみです。
しばらく、ブログを書くために切り替えられる「あらゆる隙間」がありません。時間がないわけではないのですが、とにかく考えることややるべきことが多すぎて、切り替えられないのです。チャンネルを切り替わらなくて、昔風に言えば、テレビのダイヤルが回らない(今風にいえば、リモコンがきかない)ような状態です。いえいえ、チャンネルが多すぎて、優先順位が低いブログのチャンネルまで回ってこないというべきかもしれません。
1年に何度もやってくる「とんでもない時期」の到来です。寒いと体調も絶好調とはいえないし。1月末まで続くあと2週間をなんとか乗りきらないといけません。残念ながら、まだ2月の光はほんのわずかも望めません。とにかく時間よりも半歩先へ、前に前にと進まないといけないんです。
今日のガムラン練習の休み時間(おやつの時間)で、おしゃべりをしている時、バリ人の別れ方が「クール」だという話題になった。どの留学生もほぼ例外なく、帰り際のバリ人のクールな態度を経験をしているのである。クールは、「冷淡」と解するのではなく、「じゃあね」みたいな、いつもと変わらない表現という意味である。要は、「ウルルン体験記」みたいに抱きついて両者が涙を流す「絵になる別れ」がない、という意味である。二年間、生活をともにした私の先生も一言、「おい、今度はいつ来るんだ?」なんて調子だったのだ。こっちは泣きそうだったのに、そんな風に言われるとなんだか別れの気分が冷めてしまうものだ。
「でも沖縄って、バリと違って熱いよね」と誰かが言い出した。するとメンバーの一人で留学経験者がこういったのだ。
「私なんか留学から帰ったとき、那覇の空港で家族が大きな紙におかえりなさい、って書いて待っていたのだから」と言ったのだ。よく聞くと、「本人の名前」と「おかえりなさい」が書かれた大きい文字が印刷された紙を親戚の子どもたちがもって、空港の出口で待っていたというのだ。しかもハワイに着いた観光客のように、帰ってきた本人の首に、レイがかけられたというのである。まるでヨン様が、日本の空港に着いた時みたいだ。確かにこの話を聞くと、沖縄はバリとは眞逆で「ホット」な感情を表現するのだ。
「今度、ぼくがバリに出かけるときとか、帰るときときとか、空港でやってくれないかなあ」と私は冗談交じりに言ってみたが、メンバーのこんな一言。
「先生がバリに行くのなんか普通すぎるでしょ。」
確かにその通りである。だいたい、もし空港の出口に親族が縦幕をもって待っているのがわかったら、ぼくはその出口から出ずに、絶対他の出口から隠れるように(逃げるように)出て行くだろう。ぼくは、バリ人の「クール」な感情表現に賛同である。
沖縄では旧暦の12月8日にムーチーという菓子を食べ、無病息災を祈る。実は昨日の1月11日が旧暦の12月8日で、この日にあわせて、ムーチーをつくる家も多く、大学では学生たちが食べている光景を何度か目にした。専攻の教員が集まる部屋にも、ちゃんとムーチーが置かれていた。
実は、このムーチーを私は食べることができない。なぜなら、この菓子は月桃とよばれる葉で蒸すのだが、私は基本的に強く香る香草系の匂いが苦手だからである。セロリもレモングラスもシャンツァイもことごとく苦手である。月桃の葉はこれらにまして匂いが強い。もう葉を開いただけで、匂いでむせてしまうのである。家に帰ると、家には近所の方からいただいたムーチーが置かれていた。かみさんと息子は好きなので、あっという間になくなるだろう。
ところで、10日に息子が一日早いムーチーをスーパーで二個買ってきたそうである。一つは母親に、もう一つは自分のためだが、その事実は私なりにちょっと衝撃だった。沖縄で育った息子は、旧暦のこの時期とムーチーは切ってもきれない関係なのである。息子は東京で生まれたとはいえ、ある意味「沖縄っ子」なのだから当たり前だろう。なんだか、自分の息子が自分から遠い場所に行ってしまったような不思議な感覚を覚えたのだった。
「お父さんは、ムーチー嫌いなんだよね」と、昨晩、息子にニコニコして言われたのだが、「そうだね」とうつむき加減に答える自分が、なぜだかとても恥ずかしかった……。郷に入れば、郷に入れない自分に対して、そして地域に順応していく息子に対して。
夕方、万博記念公園を歩くと、西日で太陽の塔の半分が輝いている。冬のこの時期に見れる光景。寒々とした人気のないひっそりとした公演の中の太陽の塔が、今日一番の微笑みを浮かべる時間だ。10数年前、ぼくは何度かこんな光景を目にして感激したものだ。
時が経つのは本当に早いもの。でも、今もぼくはそんな太陽の塔からたくさんのエネルギーをもらって、家に帰る。昔は東京だったのだけれど、今は沖縄……。さよなら、と心で呟く。
昨日、梅田のカレー屋かららっきょうが消えてしまったことをブログに書いたが、ぼくは、千里中央にある同じカレーのチェーン店も同様にらつきょうが無くなってしまったのかどうか気になって仕方がなかった。
国立民族学博物館での研究会が終わり、関空に向かう途中にぼくは気がかりな千里中央駅の地下商店街にあるこのカレー屋の前を通り、中をのぞいてみた。すると「ある」のである。らっきょうが!
まだ5時半にもかかわらず、ぼくは反射的に店の中に入ってしまったのだった。どうせ関空か帰り道で食事をしなくてはならないのだ。2時間くらい早くたっていいだろう。ということで、ぼくは夕食にらっきょうと福神漬け両方のあるおいしいカレーを食べたのだった。要するに同じチェーン店で二日続けて夕食にカレーを食べたということだ。でも満足……。