Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

どうして7月に?

2011年07月31日 | 家・わたくしごと
 昨日、東京のガムランの世界で活躍していた仲間の訃報が届いた。もちろん私よりも若い。
 この1年で、ガムランの仲間を3人亡くした。すべて7月である。今、ぼくは7月が嫌いだ。だから早く今日が終わって新しい月にかわってほしいと思う。

途中で退出

2011年07月31日 | 
 昨日は午後から大阪の国立民族学博物館で研究会だった。今日、日曜日は勤める大学のオープンキャンパスのため、日帰りの大阪である。それにしても那覇から吹田市にある民博に日帰りで出張するのは難儀である。なぜなら、朝早く沖縄から大阪に行く便、夜、沖縄に戻る便はどの航空会社も関西空港発着なのだ。関西空港はほとんど和歌山県であり、特に大阪の北部に行くにはたいへんだ。どんなに早くても2時間はかかる。
 二つ目の発表の質疑応答で盛り上がっているとき、私の民博滞在時間はタイムアップ。あーあ、せっかくいいところなのにな。なんだががっかりして万博記念公園を横切ってモノレールの駅へ向かう。ちょうど太陽の塔の背中が見える。伊丹空港だったらモノレール一本ですぐなのに。ないものねだりでため息、ため息……。
 

ハート型マンゴー

2011年07月28日 | 家・わたくしごと
 今、沖縄はマンゴーの季節真っ盛りである。空港のお土産屋はもちろん、ジモティー行きつけのスーパーにだってたくさんの贈答用のマンゴーが化粧箱に入って並んでいる。しかし沖縄に住む人々の口には、こんな贈答用のマンゴーは入らないのである。じゃあ、沖縄に住んでいる人はマンゴーを食べないのかと言われれば、答えはNOである。
 形がいびつだったり、色が均等でなかったり、見た目に問題のありそうなマンゴーは贈答用には使えないため、その種のマンゴーが贈答用とは比較にならないほど安価に手に入るのである。わが家も季節になるとそんなマンゴーを探し求める。そして今回購入したのが、二つのマンゴーが一つになって育ったようなハート型(かみさんが言うにはお尻の形)マンゴーだった。二つがくっついているのでかなり大きいが、形が不良品なので500円程度。かなりお得感があるのだ。
 すでに味わったのだが、味は「エナッ・スカリ(むちゃくちゃ旨い)」であった。ちなみに観光客だってこうしたマンゴーを買うことができる。できるだけ観光地から離れたスーパー(できればA-COOP)に行ってみよう。今なら、贈答品にならないマンゴーだってパパイヤだって手に入ること間違いなしである。

バリ舞踊「レゴン・サブダ・カサ Legong Sabda Kasa」

2011年07月27日 | 東京
 今年亡くなったバリの舞踊家ジェラダさんが創作したレゴン・サブダ・カサという創作レゴンを東京と大阪に住むバリ舞踊家達が5名で、この夏に行われる阿佐ヶ谷バリ舞踊祭(8月6日)で踊ることになった。私はこの舞踊の歌い手兼語り手(ダラン)として参加する。
 ジェラダさんは、私が大学生のころからともにバリ芸能と関わってきた友人の先生だった。バリに留学中だった友人に連れられて、ジェラダさんに何度か会ったこともある。舞踊家として活躍し、多くの踊り手を育てた私の友人は、ちょうど一年前の7月に、そしてジェラダさんもまた先月に亡くなった。
 舞踊の音楽は録音を使うために、それにぼくの歌をかぶせて、語りを入れることに最初はとまどいもあったが、今日の練習ですべてが吹っ切れた気がした。縁というのは不思議なものだ。この阿佐ヶ谷の舞踊祭で、亡くなった友人が日本で踊った創作レゴンが再演され、踊り手ではないぼくがそれに参加するなんて。
 もともと、レゴンにはセリフをはっきり入れるようなダランは必要ないし、それは舞踊であって演劇ではないと思っている。しかし踊り手たちの発案で、今回はストーリーの展開を言葉で表現することにした。後半はちょっぴりスンドラタリのように上演される。亡くなった友人はそんな新しい演出をどんな思いで観てくれるだろう。
「君とぼくは、若かったころ、大きなイベントをいくつも立ち上げてきた。もしかしたら、そんなイベントを開いていかったら、この阿佐ヶ谷だってなかったかもしれないよ。君はいつもぼくを驚かせるような案を持ってきた。そしてそれらはすべて緻密に計画されていたね。今回の演出も君ならうなずいて観ていてくれるだろう? 阿佐ヶ谷で君に会うのを楽しみにしているよ。ぼくは君に会いたくて初めて阿佐ヶ谷に出ようと決めたんだからね。だからこのレゴンだけじゃなくて、君の古巣でもあるスカル・ジュプンの演奏にも久しぶりに加わることにしたんだ。君に会いたいと思っているのはぼくだけじゃないよ。多くの教え子も友人もきっと君を待っているはずだよ。」

絶対に読めません

2011年07月26日 | 
 小玉川で宿泊した施設が、この看板の宿。ふり仮名がなければ、絶対に読むことができません。この宿舎に並んで、川入荘という宿もあり、どちらも鉄分をたっぷり含んだ温泉です。温泉好きの方、要チェック!
 この二つの宿の関係はよくわかりませんが、梅花皮(かいらぎ)荘に宿泊している客は、川入荘の露天風呂を利用できるしくみになっています。この露天風呂の下に流れる川と山の景色はすばらしく、超マイナスイオン攻撃により、体も心も癒されること間違いなし。
 ちなみに私は、温泉に関しては「ぬるめで、長時間入浴派」。ゆっくり川入荘の露天風呂につかって、ちょっぴり熱い梅花皮荘の内風呂で仕上げ、というパターン。おかげでお肌はツルツル、スベスベです。この夏、どこに行こうか悩んでいる方、是非、小玉川に行きましょう。この宿舎周辺には超アットホームな民宿もあり、それぞれに合った小玉川を体験できます。なんだか、知らないうちに小玉川観光協会那覇支部の「まわし者」になってしまいそうです。

ガムランの村にて

2011年07月25日 | 
 週末は2年ぶりに山形県の小玉川という集落を訪れて、ガムランの演奏をした。小玉川はマタギの村として有名だが、過疎化が進む。小学校も廃校になり、数少ない子ども達は離れた学校まで通わなくてはならない。温泉があったり、釣り客が訪れたりすることから、宿泊施設はあるのだが、交通の便も決していい場所ではない。
 さてこの村であるが、日本でただ一つしかないユニークな特色がある。なんと、バリ島のガムラン、ゴング・クビャルを一セット所蔵していることである。かつてさまざまな経緯から教育委員会が手に入れて、今なおここに保管されていて、時々、こうして演奏されるのである。村の人々もただ保管しているのではなく、多少演奏もできるし、今回のように規模の大きな演奏会があれば、ちゃんとメンテナンスをしてくれる。そのためガムランは「現役」なのである。
 今回の震災で、小玉川は南相馬から原発被害を逃れてやってきた被災者の避難所になった。現在もまだそうした人々が一部、この村で暮らしている。今回の演奏は、被災者支援を目的にしたものではないが、それでもそんな方々のもとにもガムランの音が響いたのだろう。
 舞台の最後に、私たちのグループの踊り手と村の人々とともに大勢でルジャンとよばれる奉納舞踊をさまざまな思いを込めて踊る。普通は最初に踊られることの多い舞踊なのだが、演目の最後に厳かな気持ちになった。ガムランの音も、演奏者や踊り手個々人の思いも、この小さな山村から、目には見えない存在に対して届いたのだと思う。舞台を企画してくれた方々、舞台を作ってくれた方々、本当に多くの人々に感謝、感謝である。

親子丼

2011年07月22日 | 
 京都で食べる「上等な食事」の一つは、蕎麦屋「権兵衛」の親子丼である。蕎麦屋で親子丼?と思われるかもしれないが、確かに「うまい」のである。蕎麦屋だからこそ、そのダシのうまさもあるのだろうが、トロリとした卵も最高である。
 さて、この親子丼を食べている最中、厨房から店員に声がする。
「ごはんはもうありません。」
 ということは、私たちの後の人はこの親子丼が食べられないということだ。もし店に入るのが10分遅かったら……なんて思ったらぞっとしてしまった。そのくらいに親子丼を食べることが重要なのだ。
 「今回は八坂神社下の餃子の王将には行かなかったんですか?」なんて質問が聞こえてきそうだが答えはNO。ちょっぴり贅沢をさせてもらった。祭りだしね。

ひと休み

2011年07月21日 | 
 暑い山鉾巡行の一コマです。巡行の順番のくじ改めを行なう時、山鉾と一緒に歩く人々の行列は5分程度立ち止まります。すぐにお兄さんたちが折りたたみのイスを出して、子どもを座らせます。大きな傘の下で一休み。でも誰も水を飲んだり、ジュースを飲んだりすることはありません。
 暑い、暑いと言っているのは見学する者たちだけ。巡行する人々はただだまって静かに動き出すのを待ちます。「動なる観客」と「静なる巡業」という対照的な構図です。観客が「俗」であれば、巡行する人々は「聖」。手を伸ばせば届きそうな巡行の世界には、異なる空気や時間が流れているようです。

新撰組

2011年07月20日 | 
 祇園祭の宵山にお行なわれるイベントた儀礼までに時間があったので、ホテルの近くの壬生寺に行って見た。壬生寺は壬生狂言が行なわれる場所として有名であるが、実のところ、私は「壬生」といえば、最初に知ったのは「新撰組」」である。清川八郎率いる浪士組が京都に上洛したとき、多摩出身の近藤勇たちのグループが分宿した場所が、この壬生だったのだ。
 壬生寺を入って驚いたのだが、新撰組の隊士の格好をした人々が大勢いるのである。いつも週末はこんなイベントをしているのかと驚いてしまう。しかし、寺の人によくよく聞いてみると、祇園祭の宵山は「池田屋事件」の日だったのである。私はそのことをすっかり忘れていた。
 寺院で行なわれていたのは、新撰組隊士やこの池田屋事件でなくなった攘夷派浪士達の慰霊祭だった。偶然そんなイベントにめぐり合った。これも縁だと、亡くなった隊士たちの墓の前で手を合わした。

犬も歩けばうちわに当たる

2011年07月19日 | 
 祇園祭の宵々宮、宵宮、山鉾巡行と三日間、京都四条通り周辺をよく歩いたが、あちこちで配られていたのが風俗のティッシュでもコンタクトレンズの宣伝チラシでもなく、なんと「うちわ」である。くそ暑い京都の夏にはうってつけの品で、配っている場所には人が並んでいる。そんな列に私も並んで、もらったうちわでパタパタと扇ぎながら、街を歩いた。
 この配られているうちわだが、初めは同じ柄だと思っていたが、どうやら街を歩いている人の持っているうちわの柄や文字が多種多様である。ということは何種類も配られているということだ。収集癖のある私は、配られている場所を見つけるたびに、もらったうちわをカバンに「隠して」、さも何も持っていないフリをして、新たなうちわをゲットした。
 写真は1時間足らずで集めたうちわである。なんと骨の部分がすべて竹でできたものもある。ほとんどのうちわには祇園祭の文字と山鉾の絵が添えられていて、その逆の面には企業の宣伝(会社名やキャッチコピー)が印刷されている。ようするに販促品、宣伝として配っているわけだ。皆、捨てずにパタパタとしているわけで、たぶん販促品、宣伝として十分な効果が期待できるのだろう。
 さて、このうちわだが、来年作る企業に一つアドバイス。やはり山鉾の場所がわかるような地図が印刷されていると実に使い勝手がいいのである。いくつかその種のうちわもあったのだが、企業の宣伝の面に地図が印刷されていれば、あなたの会社の名前とキャッチコピーを1時間に十回以上は見ること間違いなしである。