Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

gendang beleq

2013年09月30日 | 

 今回、ロンボックでどうしても見ておきたかった芸能の一つがグンダン・ブレッ gendang beleqだった。数年前まで競技会などが行われて盛り上がっていたらしいのだが、最近は下火らしく文化局に連絡をしても「PASTI ADA 必ず(競技会は)ありますよ」と言うわりには、「じゃあ、いつあるの?」と聞いても、「まだ未定」とか調子のいい返事が返ってくるだけである。
 向こうの研究者が、「乾季の土日、東部地域がねらい目」と教えてくれた。というのは、ロンボックでは結婚すると新郎・新婦のお披露目で大行列が行われ、その行列にはさまざまな芸能が行われるからだ。といっても最近はグンダン・ブレッは少なく、「まだ伝統的色彩の強いロンボック東部ならあるかもね」ということだった。というので、いろいろ調べて、とうとう記録することができたのだ。
 それにしても太鼓がでかい。クンダンではなく、グンダンである。持ってみたが、当然のことながら重い。さらにチェンチェンがバリのチェンチェンの1.5倍の重さ(当然大きい)。バリ版ブレガンジュルなのだが、とんでもなくでかい音がするのである。ちなみにあまりの重さに耐えかねて、ゴングはすべて鉄である。彼らはまるで負け惜しみのように「青銅のゴングはすぐ壊れるけど、鉄は壊れない」とか「青銅の方がはるかに値段が高い」とかいうが(もちろんそれは事実である)、ある少年は、「重いから嫌だ」と素直な気持ちを吐露してくれた。大人に騙されちゃいけない。
 彼らの衣装はバリの演奏者のようなのだが、実はイスラムの人たちである。ロンボックを調査する以前は、ロンボックの儀礼衣装はバリの儀礼の衣装とぜんぜん違うと思っていたのだが、実はロンボックのイスラムもヒンドゥーも衣装は全部これ。やはりロンボックのバリ文化の影響はきわめて大きいのである。
それにしても、重さをおくびにも出さずに演奏するロンボックの若者たちに感心。デンパサールに住むバリ人だったらこの重さに耐えられるかな? 


本日、浜松インドネシア・フェスティバル vol.1

2013年09月28日 | 浜松・静岡

 二つ前のブログの文章に書いた「浜松インドネシア・フェスティバルvol.1」は本日、9月28日(土)の夜7時開演です。今回は14人で演奏しますが、私ともう一名以外はすべて学生です。今回は安田冴さんの踊るバリスの演奏だけですけれど、ほぼ自分たちだけで担えるようになったことは嬉しいことです。Suara Candaは少しずつ成長しています。
 別に本番の日だから、ということもなくいつもと同じように5時過ぎに目を覚ましたら、今日は特に朝焼けがきれいでした。でもベランダに出たらヒンヤリで、もう秋到来なんですね。浜松での二度目の秋。昨年はなんだかバタバタしているうちに一年を過ごしてしまいましたが、今年はしっかりと浜松の美味しい季節を「賞味」したいと思っています。
  


沖縄でのゼミ合宿を終えて

2013年09月27日 | 那覇、沖縄

 今週は月曜日からゼミ合宿で古巣の沖縄へ3泊4日で出かけていました。ブログの更新も滞ってしまいました。ゼミ合宿ですから、もちろん沖縄の芸術文化政策とかかわる組織へ出かけて話を聞いたり、いっぱいのメニューで学生たちはだいへんだったと思います。私もゼミ合宿なんて人生初めての経験でしたし、正直、最後までゼミ合宿が何かよくわからず終了しましたが、でも学生たちが沖縄の滞在を通して芸術文化政策の現場やその中で育まれる芸能に触れて何か考えるきっかけになればそれでいいと思っています。やはり、大学の講義という座学ではわからないものが、沖縄にはたくさん息づいているような気がするから。
 最終日、海に行きました。別に泳いだわけでなく、ちょっと寄っただけですが、久しぶりの沖縄の真っ青なサンゴ礁の海をみて、なんだか優しい気持ちになりました。学生たちがそんな美しい海に驚愕している姿を見て、とても嬉しかったし、きっと自分だって最初に見たときは表現こそ違えど、やはりきっと思うことがあったに違いないのです。
 今回、私はつたないながらも、ゼミの学生たちに「沖縄の文化」について、初めて説明をしました。なんだか別な意味で沖縄が見えた気がします。これまでは説明を聞くばかりだったからね。離れたからこそ沖縄にたくさん、たくさん触れて、そんな場所や文化や芸術のことを頻繁に考えるようにもなりました。だから、今の私と沖縄の距離、実は案外と気に入っているのです…。


浜松インドネシア・フェスティバル Vol. 1 Indonesian Night

2013年09月19日 | 浜松・静岡

  5月末か6月初旬くらいだったと思いますが、浜松で何かインドネシア関係の催しをやりたいよね、ロック評論家、ラジオパーソナリティーのバグース長谷川さん、ギタリストのSeki Showさんと夜中までカフェで話をしてたんですが、それが現実になりました。その名も「浜松インドネシア・フェスティバル Vol.1~音と舞踊によるバーチャルトリップ~Indonesian Night。静岡大学のインドネシア人留学生によるサマンダンス、さらに静岡文化芸術大学のガムラン・アンクルングループ演奏で安田冴さんの踊るバリス、そして、あの「グンデル・トゥンジュク」による演奏、そしてSonic Cafeのインドネシアン・ヒーリングミュージックと盛りだくさん。いろいろなインドネシアが楽しめるオムニバスイベントです。
 ところで、私たち静岡文芸大のグループは、これまでSUAC x gamelan ensembleで活動してきたんですが、名前が付きました。SUARA CANDAです。実は、これは短縮形SUACにこだわりました。SUAC(スアック)は、私たち大学の省略で、インドネシアでよくつかわれるISIとか、DISBUDとか、そんなたぐいの言葉です。結構、浜松では大学名がSUACで理解されたりするわけです。
 Sizuoka University of Art and Culture のSUACなんですが、今回は、SUAra Canda の省略形。インドネシアにはよくある省略形の作り方です。ちなみにSUARA(バリ語表記をすると、SUWARA、あるいはSWARAとなりますが)は、声、音など。CANDAは、バリ語で「演奏する」、「遊ぶ」、「戯れる」という意味です。インドネシア語でCANDAをひくと、「冗談」の意が強いと思いますが、あくまでもバリ語です。ちなみにカウィ語では聖歌を意味する言葉で、やはり音楽に関わる単語です。グループ名は「音と戯れる、音と遊ぶ」という意味。これはスダルナ夫妻が私のリクエスト「SUAC」から、考えてくださいました。おかげで素敵な名前になりました。ということで、名前がついてから初めての舞台です。
 前売りは一般2,500円、学生は2,000円です。定員140名くらいのこじんまりしたホールです。そうそう、もちろん進行役、ナビゲーターはバグース長谷川さん、楽しいお話を聞けるはずです。浜松周辺の方、ぜひいらしてください。(明日、FM haro! ロック向上委員会の21時から始まるザ・インドネシアのコーナーでは、バグースさんとPが楽しく、このイベントの話をしています。ぜひ、お聞きくださいませ。ちなみに冒頭で、JKT48のヘビー・ローテンションがかかります。もちろんインドネシア語だよ。21時冒頭から聞こうね。)

9月28日(土)
浜松地域情報センター/ホール
 (浜松市中区中央1丁目12-7 遠鉄「遠州病院前」下車2分、JR浜松駅徒歩10分)
18時30分開場、19時開演
チケット:予約・前売り 2,500円/当日 3,000円 (学生2,000円/小学生以下無料)

出演
在日インドネシア留学生協会(PPI Shizuoka)
Sonic Cafe
SUAC (Suara Canda) gamelan ensemble +安田冴(舞踊)
Gender Tunjuk

ご予約は info@sekishow.jp まで 「お名前」「人数」を明記のうえ、お送りください。
 
 

 


ロンボックのクタ海岸

2013年09月18日 | 

 バリ通に「クタ」といえば、「あー、あのクタね」となるだろう。最近は渋滞はひどいし、用もないので、お気に入りのテーブルクロスを買いに行く以外(それもクタの南)ほとんど足が向かないのだが、本日のお話はロンボックのクタ海岸のお話。
 実はロンボックにはスンギギとよばれるビーチがあって、ビーチ沿いには五つ星ホテルが並んでいる。ロンボックを訪れる観光客は(といってもそうたいした数ではなさそうだが)、ほとんど島の東側のスンギギに宿泊するはずだ。泊まったことはないが、落ち着いたビーチリゾート地といった景観である。一方、クタはロンボック南部の海岸、現在、空港がプラヤに移ったので、そこから車で5キロ程度で行ける。だからといって、私は正直のところクタ海岸に全く興味がない。というよりロンボックは楽器や音楽調査に行くところで、今のところ、観光地にはほとんど用がないのである。
 私がお世話になっているドライバーは、ロンボックに住むバリ人で、普段は州都マタラムの大型ホテルに宿泊するインドネシア人観光客を案内している。しかし私をのせるようになってから、ここ何年もの間、私が行く場所は山の中の村とか、車を駐車して30分歩く村落とか、そんな場所ばかりで、彼は最近、「少しはロンボックの観光地も見たら」とつぶやくようになったのである。もちろん、こちらがチャーターしているので、そんな場所に行く必要はないのであるが、それでも空港に戻るまでに少し時間があって、彼がどうしてもクタ海岸を見て欲しい、バリと比べてほしい、と懇願するような目つきで語るので、仕方がなく、クタ海岸に付き合ったのであった。
 この写真がクタ海岸。まあ、どこにでもありそうな南国の海岸である。確かにバリのクタよりはずっと海は静かだし、サヌールと比べたって、くらべものにならないくらい人がいない。「まじこれ、観光地?」といいたいくらい。せめて、「全部1,000円!」とかいう物売りがいないと「張り合い」がないのである。ドライバーは、「どうだ?」というから、「きれいだね、美しいね、バリよりずっと静かだね。」と答えると、「そうだろう、そうだろう」と満面の笑みである。でもだよ、沖縄の海もきれいだぜ。ロンボックには負けないよ。そうそう、沖縄に来てごらん?びっくりするよ。ということで、僕の中では沖縄>ロンボック>バリという順で海の美しさは整理できているのであった。


決断

2013年09月16日 | 那覇、沖縄

 金曜日から会議で那覇に滞在でしたが、本土に台風18号接近。沖縄は台風と無関係とはいえ、やはり羽田空港や中部国際空港がマヒすれば、当然のことながら沖縄便にも影響を与えるのは必至。しかも僕のフライトは羽田便。さあどうする?
 やっぱり長年の経験ってやつですかね。16日の便だったら欠航は必至とみて、昨日の便に変更して帰国。なんとか戻れましたが、浜松に台風が直撃でえらいことでした。まあそうとはいえ、帰れないで空港で足止めよりはずっと良かったわけで。
 チケットはその種別により変更できるものとできないものがありますが、場合にもよるのだけれど、台風などの影響を明らかに避ける目的だと変更が可能だったりします。同じの便の隣り合わせた家族ずれもやはり、ホテルをキャンセルして一日帰国を早めたといっていました。9月の沖縄旅行に必要なのは、とにもかくにも「決断」です。沖縄が台風と無関係な場合は、なんだか「台風」が他人事のように感じてしまうわけですが、帰りの便のことを冷静に考えてみましょう。那覇空港のロビーの溢れんばかりの人の波の中をさまようか、それとも明るい太陽のもとに広がるちょっと白波のたった海の中で大きな浮き輪につかまって一時のリゾート気分を満喫するか…。やっぱり普通は後者かね?それよりもこの「決断」、来週23日からのPゼミのゼミ合宿(沖縄)に生かせねば。


欲しいものは…

2013年09月12日 | 

 水牛の放牧はバリではまず見ない風景です。この写真はロンボックの風景。もちろんバリに水牛がいないわけではありませんが、こんな風景は約30年もの間、バリでは一度も見たことがありません。
 こんな風景をロンボックで見て、この水牛の「角」だけが欲しいと思ったこと。欲しいのはミルクでも肉でもなく、この角のそのものが欲しいのです。
 何に使うかといえば、それはワヤンを支える支え棒に使うからです。大きな水牛の角なら、一本の水牛の角から、5本はワヤンの支え棒を作ることができそうです。そんなことをぼんやり考えながら、このような水牛の放牧を何度も見たのでした。


YAMADAの鍵盤ハーモニカ

2013年09月11日 | 

 ロンボック島のマタラムにグラメディアができたそうで、さっそく出かけてみたのだった。といってもグラメディアは日本で言えば、紀伊國屋書店とか丸善みたいな本屋なので、ローカルな書籍をたくさん置いているわけではないのだが、それでも大きな本屋に行ってみたいというボクの病気みたいなものだ。
 本は予想通り大したことはなかったのだが、最も興味を引いたのは鍵盤ハーモニカである。インドネシアの音楽教育は、西洋芸術音楽一辺倒ではないのだが、それでも西洋音楽の習得はカリキュラムの中に含まれている。そこで登場するのが鍵盤ハーモニカなのだ。ピアノやオルガンが学校の備品としてほとんど備えられていないインドネシアでは、鍵盤ハーモニカが「鍵盤」を理解する上で重要な楽器であり、楽器にはちゃんと教育文科省の許可番号までつけられているのである。
 日本の鍵盤ハーモニカは、YAMAHAのピアニカ、SUZUKIのメロディオンがそのシェアの大半を占めるが、インドネシアではYAMAHA,SUZUKIは稀であり、その大半は中国製の鍵盤ハーモニカ。そして登場するのが、その不可思議な名称である。メローディーホーンなんてのもあったが、やっぱり面白いのが「YAMADA」の鍵盤ハーモニカである。完全にYAMAHAの「パクリ」である。それにしても、YAMAHAの「H」を「D」にすると「山田」になることをここではじめて知るのであった。


帰国しました

2013年09月10日 | バリ

 昨夕、浜松に戻りました。今回はロンボックとバリの音楽や儀礼調査のほか、両島では、さまざまな儀礼やイベント遭遇することができました。この写真はバリのオダランで行われていたバロン・ランドゥンの奉納です。最後は中に入っていた演者がトランスになり、しかし何ごともなかったようにすぐに他の人に代わり、ゆっくりとした上演が続きました。
 1980年代にバリに滞在した私からみると、確かにバリの儀礼は変化しています。ポツリ、ポツリと30年もの間、バリに行き続けているとそんな変わりゆく姿がわかるものです。でもこうして芸能が儀礼にとって不可欠であるというバリの儀礼のありようは今なお変わらず続いているようです。それどころか、以前よりもずっとずっと活性化して、派手になっているようにも思えます。
 研究者として考えていくことはたくさんありますが、一人の人間として、こうした風景を目の当たりにすると、やはり感動します。そういう「心持ち」がなくなったら、研究なんて面白くなくなってしまうかもしれませんね。