あっという間にオリンピックイヤー2020年になってしまいました。東京決定の知らせを耳にしたのがつい最近のように思うのは私だけかしら。年を重ねるにつれ、時間がたつのが早いというを実感する毎日です。
SNSが多様化する中、ブログもそのうちの一つとなり、かつ写真をアップする面倒さから更新しなくなってしまいました。携帯で写真を撮影してすぐにアップできるフェイスブックやインスタグラム、ツイッターに比べると、やっぱりブログは少々面倒かもしれません。ただ、それぞれのあり方や使い方があることはわかっていますが、なかなか使い分けるそんな余裕がありません。
どんなに忙しくてもバリ芸能のさまざまな活動は、たくさんの仲間とともに続けていこうと思います。
このところ、夕食は徹底的に野菜中心の生活である。色鮮やかな食事というのは食欲もわく。たとえば、インドネシアで包んでもらうナシ・チャンプルのような「茶色」で統一されたような食事だと、食を楽しむためではなく、空腹も満たすために食べるだけだ。もちろん動物性、植物性たんぱく質も食べるのだが、これまで以上に野菜を食べるようにしている。もちろん健康のためである。いろいろ故障個所はあるのだが、これ以上、故障個所を増やしたくないという思いもある。
できるだけ歩き、植物を食べる生活。もう数年続けている。このところは忙しさもあって自然に痩せてしまったが、野菜を味わうことができるようになった。やはりコンビ二の野菜と、近所で作られた野菜ではぜんぜん味が違う。ドレッシングも最低量になった。
健康になってるのか、といわれるとなんともいえないが、やはり継続は力である。今、この年齢でこうした生活を始めることが、この先、10年後、20年後の自分に返ってくると信じて、外食以外ではこうした食事を続けていこうと思っている。
「今年はフジの花がきれいに咲いたね。」というと、母はきまってこう言う。「そんなことはないのよ。野生のフジだからね」と。咲かない年も同様だ。
「野生のフジだから」という応答にはきっとこんな意味が隠されている。今年のように美しく花を咲かせているときは、「いえいえ、そんなことありません」という謙遜の意味である。そして咲かなかった年は「野生のきまぐれさ」を肯定しているのである。
母がいうのだから、実家のフジは「野生種」のフジであり、観賞用に空をあおぐ隙間なく、花がびっちりと垂れ下がるフジとは違うらしい。しかし、それがわが家のフジである。今年はきっと庭師がきれいに剪定してくたから、花をつけたのだろうと思う。だいたい2年前は私が適当に切ったくらいだから。
フジの花がたくさんつこうが、つくまいが、国分寺にはこの花を境に暖かな春が訪れる。ちょっと外を動けば汗ばむような春が。そんな季節到来のメルクマールとしてのフジ。私は子どものことから、このフジをそんな風に見つめてきたし、今なお変わらず眺めている。そう、私の嫌いな冬は去り、「私の季節」がやってきたのだ。
今月はじめて訪れた国分寺の実家は、今まさに春爛漫。母が丹精込めて育てたチューリップが花壇で美しい花を咲かせています。とうとう、あの「いまわしい」冬が終わり、やっと暖かな季節がやってきたのです。Pは冬眠から覚めて、やっと自分の季節が戻ってきたような気分です。
それにしても季節の変化は速いもので、実家に来たのは1か月ほど前だったのに、あっという間に木々は芽吹き、鮮やかな花が咲くなんて、本当に自然の営みというのは不思議なものです。
今年は藤の木も美しい花を咲かせるようです。その時期が待ち遠しい…。来月からワヤンの練習も本格化。6月から毎月のように舞台があるので。
数日前まで「なんとなく花粉症」だったのが、「これこそ花粉症」へと症状が悪化している。とにかくひどい。目はかゆいし、鼻の奥はなんとなく痛痒い。さらに鼻水は止めどもなく流れ出る。午後は市の会議に参加したが、鼻水と鼻づまりで会議に集中できず、意見を求められたときなんぞは、どうしていいかわからないくらい動揺したのだった。
だいたい薬はきいているんだろうか?同僚の先生が「この時期は倍飲みですよ」なんて言っていたが、そうそう薬を倍にして飲むわけにもいかないだろう。一日朝夕2回と書かれているわけだし。ヒスタミン剤を飲むと効果抜群なのだが、眠くなって仕事にならない。眠くならずに効く花粉症の薬はないものか?
明日から出張で京都の大学でシンポジウムやら分科会に参加しなくてはならぬ。こんな状態で耐えられるものだろうかね。写真は机の上にあったSTELLA CORNELIAの写真集(これ、いただきものですからね)。STELLAさまに効かない薬をもっていただくと、なんとなく効果があるような、ないような…。
怒涛のような毎日を送っていて、ブログを書く時間はあっても、精神的な余裕がありません。やることが多すぎるというか、もう何やってんだかわからない、って状況なんですが、それでもコツコツやり続けなければなりません。歳を重ねてくると、いろいろ器用に仕事を切り盛りすることができるとよく言われますが、私にはそれは当てはまらないようで、歳を重ねるにつれて、同時に10の仕事ができていたものが、今では4、5が精いっぱいです。それ以上はパンクするか、もう無視します。
今、とても息抜きになっているのがラジオの仕事でしょうか?毎回のテーマに沿って選曲する作業は、演奏や研究する「音楽」とは別の世界の「音楽」に真剣に向かい合う時間になっています。それがなければ、音楽すら聞くのが億劫になっているかもしれません。
花粉症も始まりました。暖かくなったのか、といえば、そうかもしれないけれど、それでも寒いのです。北向きの研究室、しかも窓際にある机に座っていると腰や足がしんしんと冷えて、毛布をカインのように腰に巻いて過ごしています。寒いのは本当に嫌いなのです。憎みます。一年のうち、こんな時期が何か月もあるなんて本当に許せません。
だからといってはなんですが、暑い夏を待ち焦がれています。たくさんの「かりゆし」と「アロハ」が私を待っているのですもの。半袖がしまわれている箪笥の引き出しをあけて、「早く夏になあれ」と日々、呟いています。
「早く夏になあれ」
「早く夏になあれ」
まだまだ知らないことが身の回りにいっぱいである。名古屋にナナちゃん人形なる巨大なモニュメントがあり、今は沖縄の民俗芸能エイサーの衣装を着ているという情報を得る。これは見にいかなくてはならないと、さっそく、非常勤として教えて行っている名古屋方面の大学の帰り道に寄ってみた。
といっても、だいたいどこにあるのかわからない。「名鉄百貨店」という情報をたよりにウロウロしてみるが見つからない。仕方がないので名鉄百貨店のベテランらしき女性店員に「巨大な人形があるそうなんですが、どこにありますか?」と丁寧に聞いてみた。「ナナちゃん人形」という表現はなんとなく恥ずかしくて使えない。なんだか「リカちゃん人形」を彷彿させてしまう。
教えられた場所に行ってみた。たしかに存在した。びっくりするぐらい大きい。しかし残念なことに、寒空にもかかわらず、夏のワンピースを着用しているではないか。見ているだけで、こちらまで凍えてきてしまう。残念ながらエイサーの衣装は終わってしまったようなのだ。なんだか気抜けしてしまった一方で、巨大なモニュメントに目を見張ったのだった。名古屋市民は何ごともなかったようにこの人形の横をせわしなく通り過ぎていく。きっとそれが日常なんだろう。ぼくらが上野公園の西郷さんの銅像の横をまるでそこに何もないように通り過ぎていくように。
ゴミ捨てのついでに時々、近所を散歩するようになった。かつては毎日のように出勤前に1時間のウォーキングをして、浜松城公園を闊歩していたのだが、最近はそんなことをすると仕事にさしさわりがあるので、近所を歩くだけにしている。それでも体内時計が歩くことでしっかり動き出すので体調がいい。
最近、歩いた場所(といっても家から10分くらいだが)で、東照宮の裏手に不思議な古書店「八月の鯨」を見つけた。こんな場所にポツンと古書屋があって本当に売れるんだろうかと疑問ではあるが、思い出してみると、この店のこと、鴨江アートセンターで誰かに聞いたことがあった。どうもアート系の書物を扱っているようで、暗い店内をドア越しに覗くと、私のテリトリーの書籍がたくさん並んでいる。
浜松に住んで6年だが、まさに「灯台もと暗し」とはこのことである。それにしてもこの店、店主が趣味のようにやっているのかどうかわからないが、開店日は週の数日のみとなかなか風変りな古書店である。それにしても朝の散歩はこんな発見もあって、それなりに楽しいものだ。
鷹の台は本当に素敵な場所だと思います。なんといっても玉川上水の遊歩道がすぐ近くにあるから。近隣が開発されて変わっていく中で、この道だけは子どもの頃と同じ木々があって、枯葉を踏めば昔と同じ音がするからです。春夏秋冬の香りも昔のままなのです。
今でもどの木でたくさんの「くわがた」を採ることができたか覚えています。今ではそんな木はすっかり老木になって、ちょっとは太くなっているのでしょうが、そんな木々をはっきりと思い出すことができます。とにかく私にはこの木々は日常であり、生活そのものだったのかもしれません。
正月、久しぶりに心の余裕をもってそんな遊歩道を歩きました。50も半ばをすぎたにもかかわらず、体のどこかが、心のどこかが、きっと童心に帰ったのだろうと思います。言葉では簡単に表現できないような、心地よい複雑な気持ちを味わいました。写真を見ても思い出せないような、そんな奇妙な心持ちでした。