Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いUME-Pの日記

建築中

2018年12月06日 | 家・わたくしごと

 現在、自宅を建てています。というか、昨日、あっという間に積み上がりました。一言でいえば、「積み木」のように形ができてしまいました。一夜城なんていう城がありましたが、まさにそんな状況です。
 ここまで友人の設計に始まり、その後、さまざまなアドヴァイスをもとに住宅メーカーに相談し、最終的に決めてから、設計図をもとに練り直して1年くらいでしょうか?前にあった家を壊して基礎を作ったところまでは明確な記憶をあるのですが、「えーっ」て感じで建物が一日でできあがったわけです。
 いろいろな工法があるようで、まさにキューブを工場で作ってしまうわけ。わかっていて発注したのですが、あまりの手際の良さに驚くばかりです。これから内装や配管、配電などいろいろな作業があって、2月末には完成予定。とはいえ、基本、私の生活は変わらず浜松暮らしが続きますが…。

コメント

冬になってしまった…

2018年12月04日 | 浜松・静岡

  あっという間に師走になってしまいました。ブログを一か月以上も更新しなかったのは、私のブログ歴初の出来事かと思います。当然、忙しかったのですが、元気にしています。ブログを更新しないと病気になっているんじゃなかろうか、という心配はご無用。毎日、やることが多すぎて、仕事が一段落して「ブログ」という作業にまでいきつかなくなりました。1週間ほど前に名古屋の大学で授業した帰りに撮影した浜松のアクト通り。緑だった街路樹はすっかり冬色に染まり、なんだか寂しい風景になってしまいました。
 この1か月、学会が二つ、ガムラン演奏やワヤン上演もたくさんあり、なんだか怒涛のように過ぎていった感があります。でもまあ、好きなことをやっていると思えばいいわけで、「疲れた」なんて恥ずかしくてそうそう言えません。そうして今年も駆け足で過ぎていきます。
 とにかく、あっという間に大嫌いな冬になってしまいました。熊のように「冬眠」するわけもいかないので、なんとかこの苦痛の3か月を乗り切っていきたいと思います。

コメント

鶏飯

2018年10月28日 | 

   奄美の郷土料理の一つ「鶏飯」を食した。友人がすすめてくれた空港から車で15分もいったところにある「みなとや」というお店である。この何代か前の店主が、現在の鳥の透明なスープをかけていただく鶏飯を考案した、いわゆる元祖のお店だという。店名にも元祖鶏飯と書かれている。見るところ、「本家」なるお店は他には見当たらないので、奄美ではこの店が元祖という見解で一致しているようだ。
   初めていただいたのだが、これが美味しいのである。こんなご飯の量はこの数年食べたことがない、というほどおなかに収まってしまった。透明なスープがまた絶品である。頼むと内地まで送ってくれるらしい。鳥も香りがあって、スープをかけると味が引き立つのである。
   旅に来ると太るというが、まあ仕方があるまい。ひたすらコンビニ弁当を食べていては旅の楽しみは半減である。といういいわけを作って、体重増量まっしぐらに突き進む。
  

コメント

奄美空港に到着

2018年10月26日 | 

   友人の活躍を見るために奄美大島に到着です。沖縄に十数年住んでいましたが奄美は初めて。鹿児島県に初めて足を踏み入れました。「西郷どん」の影響は多少あるんでしょうか?鹿児島から奄美行きのフライトはほぼ満席でした。しかし着いてみると空港はロンボック島の雰囲気でした。のんびりしていて素敵です。
   日曜日に「唄島ふぇすてぃばるっち」という野外フェスが開かれるのでそれを見に来ています。なんと無料のイベントで昼から夜まで。もちろん友人はこのイベントに演奏者として、またプロデュースの仕事で奔走しています。友人の活躍を見るのが楽しみです。
   今日は空港から友人のおすすめの鶏飯のお店によったり、行きたかった田中一村の美術館に寄ったりと奄美を少しずつですが満喫しています。何回かブログを更新できるかな?

コメント

備忘録~私と静岡

2018年10月12日 | 家・わたくしごと

 浜松に赴任したときに、僕は静岡県とはこれまで全く縁がないと考えていた。もちろん私自身には縁がなかったのだが、思い出してもみれば、子どもの時、母方の祖母の妹(私はおばさんと呼んでいたが)の家は、たぶん記憶では清水あたりにあり、ちゃっきり節誕生のきっかけにもなっている狐ヶ崎遊園地につれていってもらっているし、その時、登呂遺跡や美保の松原にもでかけている(ちゃっきり節は、この遊園地設立時にできた静岡キャンペーンソングである)。
 最近、ちょっとしたことから、祖母の一番上の兄が、戦後すぐに清水にある静岡県柑橘試験場(現静岡県農林技術研究所果樹研究センター)に長きにわたり奉職し、静岡に適したミカンを数多く育種してきたことを知る。つまり私の血縁者が現在の静岡のミカン栽培に貢献したことになる。調べてみると久能山の石垣イチゴ栽培とも深く関わっているようだ。
 私の祖父ではないが、祖母や母からこの方の名前はよく聞いていた。残念ながらまったく記憶はない。それにしてもこれを知った時、なにげに嬉しかった。私の母方は明治半ばから台湾に移住し、戦後内地に引き上げた。そして祖母の兄は当時台北になった台北帝国大学の農学部の出身である。たぶん当時、台湾で研究が盛んだった柑橘系植物の研究者が、本土での品種改良に貢献したのだろう。そう思うと、早く静岡みかんが食べたくなった。といっても時期はまだであるが…。
 ちなみにこの方の弟(私の祖母の兄)には、日本画家がいる。つくばにある国登録有形文化財「旧谷中龍次郎邸」の襖絵をはじめ、板絵を描いた絵師である。この人の画号「春邦」。なんと春がつく。研究者もいれば、アーティストもいたわけで、なんだか今の自分の生き様を考えると微笑んでしまう。

コメント

Pete Seeger Carnegie Hall Concert June 8, 1963

2018年10月10日 | CD・DVD・カセット・レコード

  久しぶりにレコードを国分寺の珍屋で購入した。ピート・シーガーの伝説的なコンサート、1963年6月8日にカーネギーホールのライブである。1950年代にはレッドバージで歌ことができなかったピート・シーガーが公民権運動の流れの中でこうして大ホールでコンサートができるようになったことは驚きである。それにしてもこの時代のフォークソングのもつ社会性というのは本からしか学びようがないのだが、このライブコンサートのレコードを聴くと、観客がともに歌うフーテナニーのすごさを改めて感じてしまう。
 このレコードがCDになっているのかどうか調べたことがないからよくわからないが、今の世には絶対に発売されないようなこの社会性をぷんぷん匂わせたレコード(しかも日本版で故中村とうよう氏の解説付き)を手に出来て、なんだかとても嬉しい。レコードの音がいいとか、悪いとか、私はその点にはあまりこだわりはないのだが、1966年に発売されたこのレコードを今からきっと50数年前に胸をときめかしながら聞いた人がいたんだろうと思うだけで、心がときめくのである。

コメント

ミューグレ継続中

2018年10月09日 | 浜松・静岡

 ブログの更新、あわや一か月更新なし、という状態でやっと書き込みます。いろいろ毎日たいへんでなんだか余裕がないわけです。海外にいるときは精神的にも余裕があるんだとブログをみてつくづく思います。
 さてご存じかどうかは別にして、私がパーソナリティを務めるK-MIX(静岡FM、毎週土曜日、朝6時半)の音楽番組ミューグレは、今だ継続中です。敏腕プロヂューサーのおかげでなんとかスポンサーも確保できていて、番組が続いております。こんな感じで二人のパーソナリティーがいつも向かい合って和気あいあいに(本当に)、収録します。毎回、テーマを設定していますが、それに沿った曲順を決めて、あとは全部、お互いのアドリブです。台本はありません。
 毎日何かに追われ続けている生活の中で、この番組のおかげで、毎日、さまざまな音楽に向かい合っていますし、東京に行くたびに中古CD屋を旅します。これは実に健全な息抜きになっています。要はミューグレさまさまなのです。「忙しいのにラジオまでやって…。」なんて言われることがもありますが、ラジオの仕事がなければ仕事で疲弊するだけの毎日です。だからこそ、しばらくミューグレ、継続できたらな、と勝手に思っている次第です。 

コメント

オールA

2018年09月14日 | 家・わたくしごと

 最近「オール」というと「オール沖縄」という言葉がよく耳に入ってくるが、その話題ではない。本日の話題は「オールA」のお話。といっても試験の成績ではなく、人間ドックの結果である。この歳になると年に一回の人間ドックの結果を聞くのが嫌なもので、特に食事をした後、1時間から2時間、ぼんやりと診察室の前で待たされるあの時間がたまらなく嫌いである。シーンとしている空間。誰もが「心待ち」になんかしていないその結果だろうが、365分の1のことだと、たいていの人があきらめ気分なんだろう。しかし結果から逃げてはいけないわけで、「早期発見が大事である」と強く信じて、待っているわけである。
 「〇〇〇〇さん」とフルネームで呼ばれ、部屋の番号を指示される。「あー、自分の番がきちゃった」と思いながら、結構、ドキドキしながら部屋に入るのである。すると内臓のレントゲンの写真なんかが映し出されていて、いかにも何かがありそうな雰囲気が漂っているわけだ。
 さて裁定を下されるまな板の鯉の状態の私は、結果を見ながらおもむろに私の顔を見る医者の様子をうかがった。「はい、どこも悪くないですね。すべてAですね。体重が若干増えてますね。あと2キロも増えると、メタボ予備軍になりますからね。がんばってください。」
 ということで、今年もオールA。誕生日のように365日に一度めぐってくるドキドキの一日がようやく終わったのだった。私は今年も365日元気でがんばれそうである。ちなみに来年の予約は、2019年9月13日(金)である。13日金曜日か。キャンセルして日程を変更するべきか?

コメント

小田原駅で

2018年09月10日 | 

 小田原始発の東海道線に乗るため、ちょっと早くホームに並んだ。出発の5分前に電車は入線したのだが、なかなかドアが開かないのである。ぼんやり携帯をいじっていた。でもさっきまでまわりで待っていた人が誰もいないんだね、それが。ありゃ、ありゃ、どうしたんだんろうね。でも電車のドアは開いてないよ、開いてない? いや、僕の前のドアだけが開いてないんだ!
 そうか、ボタンを押さないと開かないんだね。オランダの国鉄と同じなんだよ。でも知らなかったよ、そんなこと。中央線の快速電車は普通に開くし!ということで、ぼくはボタンを押して電車に乗ったのだった。「あの人、今ころ電車に乗ってるわ」なんて絶対思われてるだろうな。でも誰か教えてくれたっていいんじゃないねえ。
 僕はひとつおりこうになりました小田原駅始発の東海道線のドアは自動じゃあきません。だから記念に外に出てボタンの写真を撮りました。次は必ずここを押します。それが学習したということです。

コメント

新しいガムランのばち

2018年09月07日 | バリ

 バリで新しいガムランの舞台用のばちを友人のコマン君が制作してくれた。グループの衣装の色、楽器の特質などを詳しく伝えたところ、いろいろ悩んだようだが、できあがったのはこの写真のばちである。正直、びっくりするぐらい美しい仕上がりだった。もうこのばちで演奏するというだけでテンションが上がるほどである。
 ガムランという楽器にとってばちもまた重要である。その堅さや大きさによってその音、演奏の方法などが異なってくる。だからバリでは特に競技会などの場合は本番用のばちを慎重に、かつ比較しながら選んでいく。
 このばちの大きさも私の楽器に合わせてもらった。つまりイージーオーダーのこの世に二つとないばちということになる。とはいえ、ばちの運命というのははかないもので、何年かすると先端がつぶれ、練習用のばちになり、最後には廃棄されることになる。要は消耗品だ。このばち作りを職業とする私の友人はこういった。「今の僕はこれを仕事としている。そしてそれが楽しくてしかたがない。踊りの衣装作りがその体に合わせて衣装を作るように、ぼくは、それぞれの楽器に合わせて木を選び、たたきやすいばちをつくる」と。彼は彫刻家であり、演奏家でもある。だからこそ、芸術作品のように美しく、そして叩きやすく、美しい音を奏でるばちを作ることができるのだろう。まさに「モノづくりの技」とはこのことだ。

コメント

Happy End とはいかなかった帰国

2018年09月06日 | バリ

 9月4日の0時45分発のガルーダ880便は時間通り、ングラ・ライ空港を離陸した。そして太平洋から近畿地方に接近する台風を避けるように、日本海を経由して大回りで成田空港に1時間遅れで到着したのだった。成田は多少の風があるものの、台風を感じられる空気の変化はない。ああ、よかったと思い、急ぎ東京駅へ向かった。
 タイミングがいいことに11時03分発のひかりに飛び乗れた。
「通常運転ですか」の私の質問に駅員は、「はい時間通りの出発です」と何の躊躇もなく答えた。私は安心して自由席の窓側の席に座って、浜松まで深い眠りにつく予定だった。なかなか夜中の飛行機はぐっすり眠れるものではない。新幹線でそれを取り戻そうと考えていた。しかしその考えは甘かったのだった。
 新横浜に止まると、そのまま新幹線は動かなくなった。台風21号の影響による米原~京都間が強風のため、というアナウンスだったが、風がおさまり次第出発する、と何度も繰り返していた。なんとなくうとうとしながらそのアナウンスを夢の中で聞いた。しかし待てども待てども動かなかった。
 4時間半待ったところで、「架線が切れて復旧の目途がたたない」というアナウンスにかわる。そのとき決断した。国分寺の実家に帰ろう!と。しかし、ここは新横浜である。在来線も遅れているし、東京までやっとのことで戻り、切符をキャンセルし、さて中央線に乗車しようと思ったところで、これもまた全線運転が止まっている。仕方がないので、改札口の前で立ったり、座ったり。夜9時を過ぎても新幹線は動かないようだ。新幹線改札口には人があふれている。
 東京に実家があって本当によかったと、そのとき思った。そんなとき中央線復旧の知らせが入る。家に戻ったのは23時前だっただろうか。バリを出てから25時間でようやく東京の実家まで到達したのだった。そういう意味で、本日のタイトル、Happy Endとはいかなかった帰国となったわけである。写真は新横浜にずっと停車していた新幹線の中で撮影。誰一人声を発せず、シーンとしていたのが印象的だった。

コメント

今年も食べました

2018年09月03日 | バリ

K教授
前略
  その後、帰国をしてお忙しい日々を送っていらっしゃることと思います。こちらはあれからあちこちと調査にまわり、本日、帰国日を迎えました。ところで一つご報告があります。
   今年は教授と食べることができなかったクラブサンドイッチをやっと昨日のランチで食べることができました。残念ながらサヌールの海辺の白いパラソルが並ぶカフェのような洒落た場所ではなく、街の喧騒の中に建つデンパサールのバリ・ベーカリーでしたが、そこでも背伸びをして、二階の半野外になっているテラスでランチをとりました。この時期はお昼のデンパサールでも涼しい風が吹き抜けるすばらしい場所です。でも、海の波の音ではなく、バイクのエンジン音がうるさいのがたまににきずです。
   ここのクラブサンドイッチはボリュームもあり、3つも食べるとおなかがいっぱいになります。なんといってもポテトフライの量が多いので。まるで炭水化物オンパレードのランチですが、それでもこれはバリでの自身に課したミッションですから躊躇することなくいただきました。ちなみに、残りの一つは、食事をともにした学生の一人に寄付いたしました。デンパサールのクラブサンドもなかなかです。次に行くときは、ぜひ、ここのクラブサンドイッチをご一緒したいと思います。
   次にお会いするのは23日の横浜公演でしょうか?そうそう、24日に浜松でもガムラン・アンクルンの奉納公演があります。よろしければいらしてください。ちょっと遠いですが。それではお元気で。
草々

コメント

シャッター

2018年09月02日 | ジャワ

   ソロ(スラカルタ)の2泊3日は予定がびっちりだったため、一人で街歩きができませんでした。バリでは買えないジャワのガムランのCDや映画のDVDなどがほしかったのですが、次回にお預けです。わかってはいたのですが、朝、シャッターのしまった表通りをぶらぶら歩いてみました。
   落書きやらで汚れているシャッターが閉まった街並みが続いている中、目にとまったシャッターがこれ。なんという絵心、というか地元愛!この絵柄はバティックです。シャッターが全部、さまざまなバティックであふれていれば、店が閉まった街並みにも観光客が来るんじゃなかろうかと思ったほどです。
   「調査だから仕方がない」とあきらめてソロにきたわけですが、それでもこうした風景を見ると、なんだかほっとした気になりました。たまの中部ジャワ訪問もいいのかなと改めて思った次第です。

コメント

スパゲッティのような?

2018年09月01日 | バリ

   今回はほとんど出先のお店や、お伺いした家で食事をさせていただているため、「お持ち帰り」で注文して部屋で食べることはほとんどなかったが、久しぶりにインドネシア風焼きそば「ミーゴレン」をテイクアウトで注文した。初めての店で注文して、部屋で包みを開いてみたところこのミーゴレンが出てきたのだった。
   いわゆる太麺であり、ちょっとみるとスパゲッティ・ナポリタンのようにも見えるではないか?店屋によってはもう少し汁気があるのだが、ここのミーゴレンは、それほどウエットな感じもしない。お持ち帰りにはこの方が食べやすくていいのである。
   日本の中華料理屋も店屋によりそれぞれ特徴がある。同じようにインドネシアのワルンとよばれる食堂もまた同様だ。一見したところ、お店の雰囲気はどこも似たような感じに見えるが、実は料理人によってぜんぜん違うものが出てくるし、味付けも千差万別である。だからこそ、それぞれの人にお気に入りがある。この店のミーゴレンが大のお気に入り、というわけではかったが、それでもお気に入りのミーゴレンが一つ増えたのだった。

コメント

真鍮ガムラン

2018年08月31日 | ジャワ

   ガムランは青銅で作られた打楽器アンサンブルである、と説明することが多いが、近年は青銅の値上がりにより代用品として、真鍮やら鉄が使われることがある。特にジョグジャカルタ郊外にはそうした金属で楽器を作る専門の工房がいくつも立ち上がって、結構、注文に追われている。
   今回、パレードでトラックの上で演奏されていた真鍮製のジャワの楽器の演奏を始めて見た。サロン(鍵盤楽器)を見てみると、一枚の板をきれいに曲げて作られていることがわかるだろう。青銅だと鋳鍛造なのでかまぼこ型になるが、真鍮板を曲げただけであればかまぼこにはならないのである。
   バリでは真鍮のガムランは嫌われるだろう。近年、高価な大型ゴングが鉄で作られているが、これも代用品としての位置づけである。しかしジャワでは代用品からすでに「真鍮のガムラン」が市民権を得ているような気もする。ジャワの青銅製のガムランは大型で、青銅で楽器を作ることははっきりいって金銭的に簡単ではない。結果的に真鍮製のガムランの音は、すでにジョグジャカルタ市民の新しい耳をつくり、彼らはそれを受け入れたように思う。もちろん伝統音楽では青銅製の楽器であろう。しかしガムランはもはや伝統音楽にとどまらない。さまざまな新しい音楽の中に取り入れられていくことで、楽器も変化していくものだ。つまり新しい音楽の中で、新しいガムランは市民権を得ていくということだ。

コメント