今、バリの芸術大学は学長選挙をめぐる問題で大騒動になっている。連日、新聞やテレビを賑わせ、さらには大学構内では、3月の学長選挙の結果を正当なものであると主張する教員、学生たちによるデモや抗議集会がほぼ連日行われている。
私自身は他の大学のこうした問題に関与する気は毛頭ないのだが、実は、私が昨年から調査のために追っているワヤンの人形遣いがこの抗議集会のために、すでに2度もワヤンの上演を行った。
演劇が政治性を持つと、それは計り知れない力を発揮する。その上演者の知名度が高ければ、その影響力は大きい。しかしその代償も大きいはずである。1965年からはじまった共産党狩り、G30Sでどれだけの演劇人が殺されたことか。私は今、そんなことを考えながらこの騒動の中における演劇について考えている。
私自身は他の大学のこうした問題に関与する気は毛頭ないのだが、実は、私が昨年から調査のために追っているワヤンの人形遣いがこの抗議集会のために、すでに2度もワヤンの上演を行った。
演劇が政治性を持つと、それは計り知れない力を発揮する。その上演者の知名度が高ければ、その影響力は大きい。しかしその代償も大きいはずである。1965年からはじまった共産党狩り、G30Sでどれだけの演劇人が殺されたことか。私は今、そんなことを考えながらこの騒動の中における演劇について考えている。