毎月、結構な枚数のCDを買うが、この1ヶ月はいただいたCD(Sonic Cafe)以外は全部クラシックだったことにちょっとびっくり。しかもバッハ3枚で全部ピアノ。それとショパンのバラードとスケルツォ集、それとジャズに影響を受けたピアノ音楽のCD。それもすべて、新宿と御茶ノ水のディスクユニオンで買った中古CDだった。
なんだかガムランの練習が続いたり、本番が近くなるとこういう状況に陥ること多し。それがなぜクラシックで多くの場合、「バッハのピアノ」なのかがわからないのだが、こういう時期に買ったバッハのこの手のCDは相当にあり、たぶん「バッハのピアノ」だけでも数十枚はくだらない。
まず、ピアノが好き。そしてバッハが好き。とにかく高校から大学にかけてその深みにはまり、必死に分析したり、演奏したりした経験があって、いまだにその魅力にとりつかれているようで(本人は全く違う世界の音楽を演奏するため、それに気がついていない)、ふとした時に、そんな欲求が顔をのぞかせるんだろう。
今回、買った中でGrimaudのバッハがなかなかいい。買って演奏が気に入らないと、一度聞いて「CDケースにお蔵入り」するものも多いが、私好みのタッチだった。誰かの演奏会のアンコールで聞いたラフマニノフの編曲したプレリュード(BMV1006)も久しぶりに聞けたし、やっぱりブゾーニ編のシャコンヌ(BWV1004)の演奏も圧巻。ただこのCDの録音曲順が理解不能で、なぜか、平均律1巻の2番、4番からはじまり、突然、チェンバロコンチェルトの1番がブレーメンハーモニーの演奏と収録され、続いて平均律の2巻の6番、次にブゾーニ編シャコンヌ、再び、平均律2巻の20番になり、続いてリスト編のプレリュードとフーガ、またまた平均律2巻の9番になり、最後は、ラフマニノフ編のプレリュードとなる。この支離滅裂さがまた何かを暗示しているようで面白いともいえるが。
7月20日に大学で開催する予定のバリ島のガムラン・アンクルンと舞踊のコンサートですが、昨日までで定員予定の1.5倍の申し込みがあり、これ以上は無理ということで、申し込みを打ち切りました。(引き続き、小学生3年~6年対象、中学生以上対象の二つのワークショップの申し込みは受け付けています)。感謝、感謝です。そして、予想できなかった状況に驚いています。
浜松では楽器博物館を中心にさまざまな世界の音楽のコンサートを開催されています。その数たるや驚くほどです。一年、浜松に住んでいると、さまざまな国の音楽を生で聞くことができるわけですからね。そういう意味では、「世界音楽」先進地ともいえるんでしょうが、自称「音楽の街・浜松」は、私からするとそのメインストリームは「西洋音楽」へ傾斜しています。だから、浜松市民やその周辺の人々が「アジア音楽」に興味があるとは考えられなかったわけです。
今回のような催し物(今回が「無料」というのは大きなメリットなのかもしれません。)に対して、「好奇心」から申し込んでくだったのか、それとも「インドネシア」や「バリ」の文化に興味を持って申し込んでくださったのか、正直、まったくわかりません。学内では「あれ、先生の関係者なんじゃないか?」などという話がちらほら聞こえましたが、正直、知り合いは10人未満なわけです。だからその嬉しさも倍増するわけですが、今回はなんとしてもアンケートをとらせていただき、今後、大学や市内で開催するであろうインドネシア関連のイベントやコンサートに生かしていければと思っています。
なにはともあれ、申し込んでくださった方々、また情報をシェアしてくださった方々には感謝です。皆様のご期待に添えるようにいいワークショップ、レクチャーコンサートにしたいと思っています。
子どものころ、おもちゃ箱にやたらとシールを貼っていたことを覚えている。そのシールはたぶんお菓子の「おまけ」で、ヒーローやら怪獣やらの漫画のキャラクターのシールを、とにかく絶対に絵柄が重複しないようにして、所狭しと貼ったのだった。不思議と一枚、二枚と張り出すと、残されたスペースを埋めなければ何か物足りなかった。
あれから何十年たったにもかかわらず、私はこのバイクに同じことを繰り返した。ほんの出来心で一枚貼ってしまったことで、こんな写真の状況に至ってしまったのだ。漫画のキャラクターではなくて、バリやらインドネシアとどこか関係を見いだすことのできたシールに変わったにすぎないのだ。なぜこんなことをしているんだろうと思ったところで、もう一枚貼ってしまったら、それを剥がさない限り、シール貼りの衝動を抑えることは不可能なのだ。その結果、私のバイクは、結果的に独特な個性にあふれたバイクへと変貌を遂げた。
ところで、続けてこのブログを読んでくださっている読者はご存じのように、もうこのバイクは私の手元にはない。今はシールなど一枚も貼られていない真っ新な新しいバイクなのだ。いや……、ちょっと待てよ。私はすでに一枚、シールを貼ってしまっているではないか。それは「不覚にも」ではなく、マンションのルールで、そのシールを車体に貼らないと駐輪場の不法駐車とみなされてしまういわゆる「駐輪許可証」のシールなのである。私はこのシールをなるべく見ないことにしている。というよりも、それがシールではなく車体の一部だと認識しない限り、私はまた残りのスペースを埋める作業に没頭し始めてしまうからだ。再び沸き起こる新たな衝動をコントロールできなくなってしまうからだ。
昨日のことになるが、朝4時半過ぎに起床。なんと薄日がさしているではないか!もう、朝食もほどほどに、いてもたってもいられずに、9時から始まる一限の講義があるにもかかわらず、地図をもってバイクで早朝ツーリングに出かけた。大学に行くか、近所に行く買い物くらいにしかまだ使っていないので、ちょっとくらい「自然」を満喫したいと思っていたところだったから。
選んだ先は佐鳴湖。といってもバイクで10分も走れば到着してしまうような場所で、ツーリングというほどのこともないのだが、それでも1年以上浜松に住んでいても行ったことの場所なので、好奇心で胸がワクワク。朝の空気も新鮮で気持ちがいいし、やっぱり早朝のバイクは最高。
近い割には道路のサインがわかりずらくて、迷いながら佐鳴湖公園、遊歩道など散策。特に遊歩道は、湿地の上に整備された歩道が作られていてウォーキングに最適。もちろん多くの市民の人々が朝早くからこの道を歩いている。次は、この近くの公園駐車場にバイクをとめて、この道(どうも5,6キロあるらしい)を歩いてみようと思う。バイクがあるとやはり、視野が広がって楽しいものだ。早起きは三文の得とは、このことか。
沖縄に赴任する前は、HONDAのXL250Rというオフロードバイクに乗っていた。そりゃあ、格好いいバイクだった。本当にこのバイクで関東各地にツーリングへとでかけたし、若かったこともあるけれど、何度か事故った。しかし不思議と不死鳥のように蘇り(ボクもバイクも)、結局このバイクに14,15年は乗ったと思う。沖縄に転勤する前に、もう乗らないだろうと廃車にしたのだが、あのときは体調も悪い時期で、それほど感傷的な気分に陥った記憶はない。
1999年に那覇に移ってから、やはり足がないのは不便だから小さいバイクを買おうと、夏の盛りに汗びっしょりになりながら、あちこちのバイク屋をめぐった。なぜか新車を買うという選択肢が頭になくて、中古車を探した。1か月位の間、大きなバイク屋はまわったけれど気に入ったバイクが見つけられず、「もう諦めようか」と思いかけたとき、家からさほど遠くない場所に小さな家族経営のバイク屋を発見して、バスを途中下車してみると、なんとその店に当時タイで製造されて、日本のHONDAが販売していた、いわゆる「タイカブ110」の中古車が薄汚れた原付と一緒に並んでいたのだった。
走行距離は2500キロでまだ新車同様。110CCのカブで、その場で購入を決めた。これはボクに買われるためにここに並んでいるんだと本気で思ったもの。それから2013年まで約14年間、「タイカブ」がぼくの足だった。那覇から辺戸岬近くまでバイクで行ったこともある。帰りは日焼けして、サングラスの跡が白くパンダのようになったことを覚えている。キジムナーフェスタの時期は、那覇市から沖縄市なんて、このバイクで二往復してもへっちゃらだった。バイクで、弁当20個なんてふつうに運んでいた。とにかくありがたいくらいに活躍してくれたバイクだった。
先週、新しいカブに買い替えたことから、そんな「タイカブ」とお別れした。廃車にするわけだけれど、なんだか汚れたままで捨てられるのは忍びないと思って、きれいに掃除をした。このカブは、私の沖縄の記憶そのものといっても過言ではなかったし、「沖縄の私」はある意味、この「タイカブ」そのものだったのだ。廃車にされてしまうことで、ぼくの沖縄の記憶が薄れるわけではないのだが、やはり記憶を呼び起こしてくれる「モノ」が消えていくのは切なかった。でもいつの日か、きっと新しいバイクが「浜松の私」となっていくのだろうし、いつまでも未練がましく、眺めていたって仕方がない。だからこうしてブログの中に記事の写真とともに残すことにした。ここに貼ってあれば、いつでも見ることができるからね。
梅雨に入ってしばらくアジサイの手拭いを床の間に飾っていましたが、そろそろアジサイも終わる季節。でも梅雨はまだまだ終わらない!そこで、梅雨時期の第二弾として、雨ふりの中、しっとり揺れるカエルちゃん。
卒業生のS君からいただいた手拭いです。ありがとう。今回が初お披露目です。いただいた時にいつ飾ろうか考えていたんですが、いやー、半年以上まちました。やはりこの時期にぴったりです。
浜松の街中にいると、カエルの声、聞かないですね。沖縄って、やたらとカエルがいた気がします。夜中に近くの歓楽街で飲んだあとの酔っ払いの叫びが、まあ、カエルの叫び声みたいに聞こえたりすることはありますが。
今、ちゃんと雨が振るから、美味しいお米も野菜も食べられるのです。子どもとき、よく祖父や父に言われました。自然災害が起こるほど降ったら迷惑ですが、雨が降らなくてはいけないのです。わかっています。子どもの頃から、そんなこと、ちゃんとわかっています。仕方ないよね、梅雨なんだもの。
でも、やっぱり新しいバイクが届いた翌日だから。今朝4時半に起きたんだよ。子どもみたいに、胸をわくわくさせて!でも雨。インドネシアで買ってきた雨合羽(JAS HUJAN)はあるけれど、やっぱり最初に乗る朝がそれじゃ寂しいのです。
毎日、いろいろなことが日替わり定食みたいにあって(からさー)、バイク乗りたいわけ。でも仕方がないよね、梅雨なんだもの。台風まで来ちゃってるから。明日は晴れるみたいだけれど、東京だし(いっそのこと、乗ってっちゃう?)…。ナイナイナイ。ありえなーい!
7月20日(土)、静岡文化芸術大学で行われるバリ島のガムランのレクチャー&コンサートとワークショップのメール、FAXでの申し込み、本日から開始されています。ご鑑賞、参加ご希望の方、お申し込みください。コンサートは100名まで、ワークショップは各20名です。詳細は以下をご覧ください。
コンサートは17時開演です。ワークショップの小学校3年~6年は10時、中学生以上は11時開始です。
Eメール、ファックスでの申し込みでお書きいただきたいことは、
【レクチャー&コンサート】
■氏名(フリガナ) ■希望人数 ■郵便番号、住所 ■電話番号(FAXの場合はFAX番号も)
【ワークショップ】
■参加希望のワークショップ(小学生対象 あるいは 中学生以上)
■年齢(小学生の場合は学年も)
■氏名(フリガナ) ■希望人数 ■郵便番号、住所 ■電話番号(FAXの場合はFAX番号も)
お申し込み:
E-mail: acrc@suac.ac.jp
FAX : 053-457-6105
詳細は以下のブログをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/chambermusic/e/478ab9da20dc67970f260ef59a4486c6
空気の流れがゆるやかで、太陽もジリジリ照りつけるほど強い日差しではなくて、ほどよい加減で、空も真っ青ではないけれど、でも青味をおびているような浜松のお昼。ボクは13時の約束で、浜松駅の近くの新聞社のオフィスまで歩いて出かけた。すっかり暑くてトボトボ歩く予定が、なんだかすべてがボクのために用意された空間のようで、その中にぴったりと収まったせいか、なんだかさわやかな気分で、足取りが軽い。本当ならば暑いはずで、溜息が繰り返されるような味のする空気で充満している世界だとついさっきまでは想像していたのに、なぜかすべてをからめとって、自分のものにしたくなるような空気なのだ。これが綿菓子だったら、割りばしを幹にみたてた巨大な樹木を作って、そんな枝葉を一気に飲み込みたくなるようそんな衝動にかられるといえばいいのだろう。
新聞社に行くのは久しぶりだ。沖縄にいるときは、新都心にある真新しい新聞社のロビーでよくイベントやら、ちょっとした原稿なんかのことで打ち合わせをした。新聞社には独特の香りがある。それは、あの新聞の「紙」と「インク」のすえたような「新聞」の匂いではなくて、表現するのがちょっと難しいのだが、たとえていえばほとんど入ることのない学長室のようないやに権威的な香りを感じるのだ。
僕は熱弁をふるうわけでもなく、淡々とイベントの話をした。向こうも、ただ相槌をうったり、資料に線をひいたり、文字なのか、記号なのかわからないような何かをそこに書き込んだりしている。時たま質問をするが、とりわけ抑揚も、感情も殺したような実に淡々とした表現だ。いいと思う。今日の天気にはぴったりだ。天気がそうさせているのだろう。会話までが何かにからみとられてしまうような、そんな綿のような細さ。ゆるやかな風にゆっくりと舞うようだ。
会話を終えて、記者はボクをエレベータホールまで送ってくれて、小声でこういった。
「私ね、沖縄が大好きなんですよ。一年に一度は行くんです。一緒にいた部長、彼も同じなんですよ。沖縄の芸能のことも詳しいのです。」
そのときの記者の顔は、さっきの濃淡のない表情とは別人で、まるで何か美しい記憶を想い浮かべて、ささやかな笑みを浮かべる少年のような表情になっている。なんだかうれしかった。ボクはきっと「ああ、そうなんですか」くらいの返答しかできなかっただろう。なぜならエレベータの扉がボクをあっという間に飲み込むかのように大きく開いたからね。気の利いた言葉も語れないほど数秒の間の出来事だったのだが、たぶんボクもそんな会話の中で、この瞬時に満面の笑顔を浮かべたに違いない。静岡に来て、ここでも「沖縄と繋がる」。扉のしまったエレベータの中がとたんにするはずのない「新聞臭さ」で充満して、不思議な心地よさを味わった気がした。そうだ、この感じって、今日の空気と一緒だ。
夕方のお話。会議が終わんないし、浜松駅の逆側の小学校の校長に会わなきゃならんし、という状況で、もう約束時間まで10分というところで、もうあきらめて会議を中退し、大学職員の方の自転車を借りて速攻で小学校に向かったのでした。小雨、歩道濡れてる。そして案の定、こけた…。自転車は無傷。でも私…腰痛。
決めました!決めちゃいました!決めたんです!もう自転車なんて乗ってる場合じゃない。やっばりバイクだよ、バイク。つじつまが合わないって?つじつまなんて必要ないんだよ。この一年、ぼくは自分にずっと嘘をつき続けて生きてたんだ。バイクに乗らなくたってぜんぜん平気じゃーん、なんてたいそう偉そうなこと呟いてさ。「嘘つきは泥棒の始まり」っていうのに、もう1年だぜ。泥棒の始まりじゃなくて、完璧、「泥棒」だよ。
悟りを開いた僕は、腰痛のまま、自転車に乗ってバイク屋に直行。いったいこのおじさんとこれまで何度、値段の交渉したんだろうね。しかし、もう僕の「買うなら、今でしょ!」というどうにも止まらない気持ちを察してか、おじさんは観念して安くしてくれたので・し・た。やっぱり僕の熱意が伝わったんだ(と信じたい)。だから…
買います!買っちゃいます!買うんです!HONDA SUPER CUB110を買っちゃうんです。すべては自転車でこけたせいなのです。あの濡れた、憎たらしいタイルのような敷石がいけないのです。あいつらが、ぼくの背中をむちゃくちゃ強引に押したのです。しかも僕のガラスの腰にケリいれやがって!
買うときめたら、今度は色です。110ccのカブは、青空みたいなパールブルーか、それとも全面ブラック?この件、バイク屋のおじさんは次のように馴れ馴れしく、しかもクールに語るわけです。
「あのさあ、今はもう歳なんて関係ないのよ。派手なバイクにのってるライダーがね、メット(ヘルメットの省略)とったら、白髪なんて、ぜんぜんふつうだよ。」
「あのー。僕、結構白髪混じりなんですけどー」なんて言いませんでしたよ。「おめえ、おれに挑戦してんのかよ」とも言いませんでした。なんたって腰痛だしー。バイクの屋の椅子、うちの大学の講義室の椅子みたいで、「腰が痛い人」が座るなんて全く想定されていないから。まあ、腰痛の人、バイク乗らないしー。そういうことで、僕は一晩、色について…
悩みます!悩んじゃいます!悩むんです!こんなことで悩むなんてなんて幸せな夜なんでしょう!今晩は、悩みつくします。もちろんバッハのトッカータをがんがんかけまくります。バッハとバイク、どっちも「バ」がついて相性がよさそうです。だから、きっといい答えが出せるんだと思います。そろそろ今日のブログはシャンシャンとこのへんで閉めましょう。すでにバイクに乗って暴走している状況で、文章は支離滅裂な気がするし。