Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

刀に供物を捧げる

2008年06月30日 | バリ
 バリには210日に一度、刀やガムランの楽器などパンデとよばれる鍛冶師が作ったモノに供物を捧げるトゥンペック・ランダップとよばれる日がある。私が滞在中の6月21日がちょうどその日に当った。私は偶然にもその日、タバナンの王族の敷地の中にいて、王家が代々継承してきたクリスとよばれる刀に供物を捧げる儀礼があるから見ていかないかと誘われた。
 タバナンの王家は20世紀の初頭、オランダ軍との戦いで宮廷を消失し、王族の一部は自害して果てた。しかし燃えたのは王の宮殿だけで、広大の敷地の王族たちのすむ建物は大きな被害を受けることなく、今もなおその姿を留めている。今でも王家の所有する敷地は広大である。
 王家が保管するクリスは、その存在そのものが神聖な力を宿している。つまりそこには魂が存在するのだ。普段は神聖な場所に位置するクリス専用の倉庫に保管されていて、この儀礼の日にだけ取り出され、花の香りのする油で刀の部分が清められ、供物が捧げられて儀礼が行われる。このクリスに触れることのできるのは男性だけであり、この刀の保管庫のあるエリアには月経の女性が近づくことすら許されない。
 トゥンペック・ランダップは近年、金属でできている車やバイクに供物を捧げる日になってしまっている。もちろん金属で作られているのだからそれは間違いではないのだが、本来のトゥンペック・ランダップの姿がこうした王宮の儀礼として今なお行き続けていることは驚きだった。供物はモノに捧げるのではなく、そのモノにやどる超自然的な存在に捧げられるものなのだから。


到着

2008年06月29日 | 
 夜12時50分にデンパサールを発った。朝8時半頃に関空についたものの、やはりエコノミークラスのシートで寝るのは快適とは言えず、頭がボーっとしている。だいたい税関申告の用紙は全員記入になっているにもかかわらず書き忘れて並ぶし、デンパサールで発券された国内線の乗り継ぎ搭乗券もどこに入れたか覚えていない始末。とにかく目が覚めていないのである。
 1時間半の乗り継ぎ時間、カバンにいれた小説を読む気力もなくとりあえずラウンジに入って久しぶりにメールにつなげる。今回は不思議と大事件、大至急というメールもなくとても幸せな気分になって、またウトウトしてしまう。さらに日曜日の朝のせいか関空のラウンジは私一人。いつもは背広姿のサラリーマンで賑わっているなんて想像もつかない。エイ!と写真を撮ってみる。ラウンジのお姉さんに見つからずにすむ。だいたい人のいないラウンジの写真を撮るなんて怪しまれるだろうし。
 静かなせいか、空気清浄機の音とまったりしたソフト・クラシックのBGMが妙によく聞こえる。昨晩の出発直前まで通い詰めたバリ芸術祭の喧騒が噓のようだ。目を閉じると、屋台からの掛け声、会場から漏れるガムランの音、喧騒が聞こえてくる。
「ダメダヨ!ダメダヨ!コノママ眠ッタラ、沖縄ニ帰レナクナルヨ。イツマデモ夢見心地ガ続クト、現実ニ戻レレナクナルンダヨ。ソンナ君ナンカ見タクナイヨ。」
 
 

出発

2008年06月20日 | 
 関空の航空会社のラウンジで、パソコンをLANケーブルに接続して、飛行機に乗り込む直前まで仕事のメールの返事を書くのは、もう日常のことである。しばらくメールが読めないというのは嬉しい反面、たまに開いたときには恐怖感すらある。次に開けるのは明日の午後か明後日だろうが、いったいどれだけ返事を書かなくてはならないメールがはいっているだろうと思うとすでに胸が苦しくなる。なんだかメールに食い殺されそうだ。
 ラウンジの私のすぐ隣ではバリに向かう4人連れの壮年の方々が、行ったことのない、想像力で膨らんだバリの話に花が咲く。
「南国やで。花が咲き乱れておるよ。バリの南国の音楽はガムランやで。楽しもうな。」
 ぼくもこのグループと同じところに向かうのだが、たった今旅立ってきた那覇は梅雨も明けて「南国やで。花も咲き乱れておるよ。」といった具合にガムランが伝統音楽として存在していないことを除けば変わらないのである。とはいえ、大学では週2回もガムランを教えている私には、沖縄でもガムランに浸かっているわけだし、バリと変わらない生活である。そんなことを考えながら、ラウンジの外を見る。土砂降りの中、大きなB747が目の前に見える。梅雨の真っ只中の大阪。こんな気候の土地から出発すればやはり南国バリはやっぱり憧れの土地だろうな・・・。

私の好きな場所(神保町編)

2008年06月20日 | 
 神保町といえば、言わずと知れた「古書店街」である。世界にも類を見ない古書店の密集する街だそうだ。私の好きな場所も当然「古書」がたんまりある場所であるが、期間限定で一般客が入場できる「東京古書会館」である。正確には神田小川町にあるこの建物は普段は古書のセリが行われている場所で、古書籍商の登録をしていない我々は入館できないが、週末など二、三日にわたって行われる古書展には入場制限はない。入口で手荷物やカバンを預ければ、あとは出入り自由である。
 先週の日曜日はちょうど「第91回新宿古書展」の初日で、会館を覗く。昔は古くて壊れそうな建物だったが、数年前に新しいビルに建て直され、それまで2階で行われていた古書展は地下階に様変わりした。なんだかあまりにもきれいな場所なのでデパートの古書展のような雰囲気を感じるが、いやいやどうして、ここに来る人たちはかなりの古書マニアに限られる。デパートの古書展だと家族連れや女性も多いが、まず古書会館の古書展はほとんどが男性で、しかも「おじさん」「おじいさん」に限られる。しかも眼光鋭く、まるで人食いシャークのような眼差しで並べられた本の中の獲物を睨み付けるように探していくのである。客の冷静な観察をしているようだが、会場に入ったとたん私もそうしたシャークの一匹と化しているのだ。
 先週の日曜日の古書展もいつもと変わらぬ雰囲気だったが、本当に珍しく高校生くらいの男の子が一生懸命本を探している。探し方はベテランのおじさん達に比べればまだまだ様になってはいないが、それでも本が相当に好きなのは見てとれる。そんな男性を見ているうち、自分もあんな年から古書展に通っているのかと思うとおかしくなった。あれから30年近く、ぼくはこうして同じように神保町の古書展の本棚の前に立っている。これだけ長い間、通い続けられる場所というのは、やはり私が好きな場所だからなのだろう。



蝉の声が聞こえますか?

2008年06月19日 | 那覇、沖縄
 沖縄は梅雨が明けました。もう夏です。研究室の窓の外には大きな木が何本も見えますが、そよ風に揺らぎながらも、「今年は少し明けるの早いんじゃない・・・」と愚痴っているようにも聞こえます。
 昨日から蝉の声が聞こえてきます。ジージー鳴くのは沖縄のクマゼミかもしれません。家の周りでもたくさんの蝉の合唱が聞こえていました。でも蝉の声ってどうやったら皆さんに聞いてもらえるのでしょう?
 私の研究室のまん前に立つ写真の木から何匹もの蝉の声が聞こえているのです。まだ成虫になったばかりなのかたどたどしい鳴き方なのですが。首里城に修学旅行にきた学生たちの声も遠くから風に乗ってきこえてきます。南国らしい鳥のさえずりも聞こえます。皆さんも耳を澄ましてみて。蝉の声が聞こえますか?夏の香りを感じられますか?


感極まって・・・

2008年06月17日 | 大学
 ここ数回、民族音楽学の授業で口頭伝承について講義をした。最後に1990年代の韓国映画「風の丘を越えて」(原題「西便制」)を見ることにした。韓国の芸能パンソリの伝承方法と、時代に翻弄される古典芸能の姿を描いた名画である。私は大学院のときに、なぜか韓国文化論の授業をとっていて、その授業の中でこの映画について何時間かをかけて講義を受けた記憶がある。韓国文化の基層をなす「恨」という言葉について学んだ。自分でもそのことに興味をもち『恨の人類学』という本を読んだ。
 先週の後半の授業から見始めて、今日は後半だったが、正直、危惧していたことが一つ。私が涙もろいということである。とにかく舞台、ドラマ、映画など何をみてもすぐに感情移入してしまって泣いてしまうのだ(これは絶対、父親ゆずりである)。これだけはどうしても感情を抑えられないのである。一人のときはいいのだが、学生がいるとかなり恥ずかしいものがある。数年前、学生達と歌舞伎座で歌舞伎を見たのだが、熊谷陣屋の首実検の場では、もう顔がぐしゃぐしゃになるくらい涙を流して、学生に心配されたほどである。「君たち悲しくないわけ」と聞くと、「何言っているのかよくわからないので」と言われたときは、そんなものかと思った。
 今日の授業でもやはり、「冷静に、冷静に」と自分を抑えても、こみあげてくるものを押さえることができない。「もういいや」とあきらめた瞬間、涙が頬をつたう。研究室で学生三人と見ているわけだから、絶対バレバレである。だいたいティッシュで顔を拭きながら見ているわけだし。ビデオを終ったあと簡単に講義をしたが、もう涙の動揺と恥ずかしさで、話がうまくまとまらない。まったく情けない。学生達は今日、この話題で盛り上がっているんだろうな・・・あーあ。


私の好きな場所(新宿編)

2008年06月16日 | 
 中学、高校の頃、新宿といえば西新宿のレコード屋街だった。今でも西新宿の一角にはレコードやCDを扱っている店が固まる一角がある。そこが私の根城だった。当時はここにあやしいロックのプライベート盤を扱う店が集中し、結構、珍しいレコードを手に入れたものだった。そんなレコードもバリに留学するときに少しでも現金を持っていこうとすべて売ってしまい、今は大切な数枚を手元に残すだけである。西新宿に通わなくなってから、ほとんど新宿には用がなくなった。なんとなくゴミゴミしているし、渋谷と同様に人は多いのだが、私には落ち着きが感じられない街なのである。
 ところが、6、7年前から再び、新宿に足繁く通うようになった。やはりレコード、CDが目当てである。中古CDを扱うディスクユニオンの本店が新宿にあり、特に日本のロック、ルーツミュージックなど私にとっては涎がでそうなCDを揃う店があることを知ってからである。とにかく私のために存在しているのではないかと思うような店で、一旦入店すると数時間を費やすことも稀ではない。しかも時には10枚近くのCDを買ってしまうようなとんでもない暴挙に出てしまうことすらある。
 さらに気に入っているのはこの店の雰囲気である。たとえば写真の入り口はルーツミュージック階だが、なんだかライブハウスの入り口のようではないか!しかも、壁中チラシで埋め尽くされた階段は狭く人がすれ違うことする不可能である。外資系の小奇麗なCDチェーン店が増える中、この雰囲気はまさに「粋」である。こんな店構えのせいか、若い人たちが多いのだが、私のような「おじさん」とも時に遭遇する。もちろん相互にチラリと目をやるだけだが、「この人も大人になりきれないまま、こんな店に入り浸っているんだろうなあ」とお互い同じことを考えているのかもしれない。まさに私はその典型であるが・・・。


副都心線開通

2008年06月15日 | 
 土曜日に営団メトロ副都心線が開通した。ちょうど午後4時過ぎに新宿に寄ったので、新宿三丁目の駅を覗きに行く。まず驚いたことは新宿東口の商店街は開通のお祭りムードで、街路には開通の小旗がびっしりとかかっている。もちろんいつもの土曜よりも人手は多いだろう。
 地下鉄の入り口から地下に降りていくと、もうすごい人だかりである。特に副都心線の改札口はごった返している。少年から老年までの一眼レフを首から下げた鉄ちゃんの姿がちらほら見える。真の鉄ちゃんは、始発の写真を撮影してから乗車するだろうから、まあ、あまり気合のはいってない鉄ちゃん達なのだろう。
 子供連れの家族も姿も多い。母親が改札近くに立っている駅員に「記念グッズはどこで売っているんですか?」と質問している。駅員はすまなそうに「もう今日の分は全部売れてしまって明日、朝からの販売になるんです。」と答えた。うなだれる小学生低学年の男の子がすぐ横にいる。ぼくは心の中でつぶやいた。「真なる鉄ちゃんは、記念グッズを買うために前日から並ぶんだ。君も本当に記念グッズが欲しかったらそのくらいの気合が必要なんだ。きみは今日のくやしさをバネにいつかそんな鉄ちゃんになるんだろうか、それとも、こんなグッズのことも、鉄道が好きだったこともすべて昔の思い出として、大きくなっていくのだろうか・・・。」


練習日程

2008年06月13日 | 大学
 チャロナランの本番まであと1ヶ月余り。本番直前のスケジュールを作成した。7月23日から舞台は3日続きだが、13日にバリ人が来日して、最終段階の稽古が始まるのである。今は週2日の練習だが、13日からはそうも言っていられない。舞踊、ガムラン、踊り合わせなど、ほぼ毎日のように稽古が入る。早く予定を作っておかないと、学生たちはアルバイトの日程調整がきかなくなるだろう。
 だいたいこうした日程や練習内容などは、毎朝のウォーキングのときに考える。歩きながら、7月13日からの流れを構成していく。数日考えて、決まったと思ったところでパソコンに向かうのだが、やはり考えるのと書くのは大違いである。書き始めると、歩いているときにはみえなかったことが次々と浮かんでくる。やはり書くことは重要だ。こうして予定を書き終えていつも思うのは、これを見たときのメンバーの反応である。たいていは、「えー!こんなに練習するんですか?」という悲鳴にも似た叫びが聞こえてくるのだ。そう思うと、今回の日程は「えー!」なんてものではない。「ぎゃー!」のレベルである。
 今日の練習の休み時間に、メンバーの落胆の叫び声を覚悟しながらプリントを配布した。黙って見入るもの、軽く目を通すだけの人、ほとんど無視の人と千差万別である。しかし今回は珍しく驚愕の叫びがない。さて、この反応をどうとらえるべきか。一つはポジティブに「大きい舞台なのだから、このくらいの練習は当然」、もう一つは「文句をいったところで、絶対に練習はやるのだから」という「あきらめ」である。できることなら、皆が前者の気持ちであってほしいと思うのであるが・・・。


エッグスタンド

2008年06月12日 | エッグカップ

 Yahooオークションでエッグスタンドを落札した。絵がとてもかわいい陶器のエッグスタンドである。実はオランダで生活していた時、かみさんがオープンマーケットでエッグスタンドを買い始め、それ以降、わが家では「収集」とまではいかないものの、陶器のエッグスタンドに興味を持ちはじめたのである。
 なぜかみさんがエッグスタンドを集めるようになったのかはわからないが、そのとき私は「面白いものに目をつけたな」と思ったものだった。まず小さいので持ち運ぶのも楽だし、実用的でもある。しかも飾りとしても楽しめるではないか?私の父は、実家のリビングルームの飾り棚にたくさんの「ぐい飲み」を飾り、日本酒を飲むときにその中から毎回、器を選ぶのだが、わが家では朝、ゆで卵を食べるとき気に入ったエッグスタンドを選ぶことができるのである。
 しかし日本でエッグスタンドというにはそれほど一般的とはいえまい。だいたい卵の殻を一気に割って、丸ごと食べるか、スライスして食べるというのが日本人の一般的な食べ方ではないだろうか。三分の一だけを割って、そこから小さなスプーンで中身をすくって食べるなんて面倒なことをする日本人はそうは多くないだろう。ところが私は小学生の頃からドイツで仕事のすることの多かった父のおかげか、エッグスタンドに入れた卵を上手に食べる方法をしっかりと学んだのだった。数年前宿泊したドイツの小さなホテルでは、宿の女主人に食べ方を賞賛されるほどの腕前なのである(自慢するようなことでもないが)。
 日本の店頭ではほとんどエッグスタンドにはお目にかからない。北欧雑貨などの店で見つけても結構な値段である。日本にいる間はYahooオークションくらいしか楽しめる場所はないのだが、次にヨーロッパに行くときはもうエッグスタンドがザクザクで帰国すること間違いなしである。