Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

採譜

2007年10月08日 | 家・わたくしごと
 1年に2回か3回しか電子ピアノのスイッチを入れない息子が、今日の昼間、一人で電子ピアノに向かって、ポツリポツリと鍵盤を叩いている。まったく何をやっているのか不明である。まるで乱数票に基づいて音を出しているようである。20分くらいそんなことを繰り返して、いつの間にかまた机に向かっている。いったいさっきの行為はなんだったのだろう?
 夕方、息子がA4のコピー用紙に、カタカナでドレミを書いた文字の羅列を私のところに持ってきた。「これ、千と千尋の神隠しの音楽を聴いて、書いたんだ。これから弾くから聞いてみてよ。もちろん、下手だけど・・・。」という。よくみると、確かに音はハ長調で、「千と千尋」のテーマソングの音を書き取っているが、そこにはリズムが全く記されていない。ただ音だけなのだ。
 彼は3本の指で、この自分で作った楽譜を見ながら曲を弾き始めた。リズムもきちんと演奏している。この楽譜からはリズムや音の長さは何も読み取れないはずなのに。息子は楽譜を凝視しながら、たどたどして鍵盤をひき続けている。
 私は正直、感動した。この採譜が、西洋音楽の聴音であれば0点である。五線譜は、音高、音程、リズムなどを明確示すことの出来るものだ。子どもの楽譜は音高だけである。しかし、彼の楽譜は、すでに旋律を記憶していることを前提に作られている。つまりこの楽譜は、ここから正確に音楽を再現することを目的としているのではなく、自分の備忘録として存在しているのである。彼にとって音楽は楽譜なしに記憶し、その後に作られるものが楽譜なのだ。まさに民族音楽学の授業における楽譜の概念の講義の事例のような楽譜だ。
 彼は自分なりに採譜をした。そしてこれもりっぱな楽譜である。五線譜ばかりが楽譜ではない。だいたい息子は五線譜に書くことなんて考えもつかなかっただろう。自分がわかるためだけにつくった楽譜。だからこそ、自分だけの素敵な楽譜。