Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

バリ島の仮面舞踊トペンの会で学んだこと

2007年10月03日 | 東京
 音工場HANEDAの20周年行事のため、現在、来日中のスマルサさんは、バリ島の仮面舞踊トペンの舞踊家である。30年以上前に初来日してから、日本との関わりは深く、日本語はひじょうに上手である。昨日、彼のトペンの会が、音工場HANEDAで催された。トペンでは道化のお面をかぶった演者がアドリブで話をするのだが、スマルサさんは、その巧みな日本語で観客を笑わせるのである。演奏者として私は、スマルサの後ろ姿を見ながら、観客に語りかけるスマルサの語りに耳を傾けた。その話の内容にはバリ島の世界観を如実に反映したさまざまな話が次々に繰り出される。
 その中でも善と悪、生と死の問題がセリフの中に多く取り上げられている。
 「お財布が、道に落ちているときに、私はいつも迷う。左手でそれをひろって、ビール代くらいいいじゃないかと、そのお金を自分のものにしてしまうか、いやいや、それはいけないことだと、拾おうとする左手を、右手で静止するべきか?」
 ここには善悪、右左というバリの二元論が反映される。しかし最後にはこうなる。右手だけあったって不便ではないか?左手だけあってもどうにもならない。だからこそ、両手が必要なのだと。当たり前のことを、笑いの中で観客に語りかける。
 「死を恐れるものは、生をも恐れる」という生死の問題についても彼は語る。死ぬのが怖いと思い続けていれば、人生を楽しく生きることはできないという。特に脳梗塞で数年前に倒れたスマルサさんだからこそ、生死の問題は迫力がある。
 バリの語り物とはこういうものだ。表面的には道化のキャラクターが繰り出す笑いの渦の中に観客が巻き込まれ、上演の場が演芸場と化す中で、道化たちはバリの世界観を観客に語っていく。観客がそこから「哲学」を学ぶのだ。今回の公演を通して、私は彼が日本人に語ろうとしたことを十分に汲み取ったつもりだ。しかしその一方で、スマルサさんはグローバル化するバリ社会の中で変わりゆくバリの人々に、またその一人である自分自身にそれらを語っていたのだと思う。
 私の中の善と悪はうまく釣り合っているのだろうか?今を全力で、楽しく生きているのだろうか?早朝の空港で那覇行きの便を待ちながら、私は今、ぼんやりそんなことを自らに問いかけている。