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今日は父の命日です
二十年経つなんて
早いなぁ
不思議に、父の歩いたいろんな足跡に巡り会いながら辿って来た
これからもずっと生きた証は残る
pic.twitter.com/r3hs65nfGe
です!“@HistoryImg: 7月20日は中川勝彦の誕生日、中川翔子の父
July 20, Happy Birthday Katsuhiko Nakagawa (1962-1994)
youtu.be/8VO3GcXyRhE
pic.twitter.com/CtjzvL4FkF”
最初で最後。
父の歌をカバーしました。
ラストウィッシュという曲です
charさんがギターを弾いてくださいました
大人になって、父への気持ちが変わりました
クリスマスソングだからこれで毎年冬が来るたびに忘れることなく想いつなぎます。
pic.twitter.com/Q5UnNGCNa5
小室哲哉さんが中川勝彦と同じ時期に日本青年館で一緒だったときのお話をしてくださりびっくりしました、貴重なお話ありがとうございました!!三谷幸喜さん、織田哲郎さんも父の話をしてくださり、父の生きていた足跡がたくさんみつかった!日でした。
当時アリーナ37℃って音楽雑誌で美形ミュージシャン投票?をやっていて、上位3名は小室哲哉、本田恭章、中川勝彦が入れ換わりだったわ。 >RT
今日9月17日は父、中川勝彦の命日です。毎年この日がよく晴れてるとほっとします。あの時夕方、亡くなった時間に大きな虹が空にささっていたのが忘れられない。
祖母、栄子の誕生日でもあります。
大事な二人の血がこの身体にある!
生きねば。
勝彦の書いた色紙には、いつも詩がはいっていました。猫の絵もたくさん描いていました。
今まであったたくさんの事
これから起こるたくさんの事
そのたくさんのもとをたどると
たったひとつの出逢いになる
あなたに逢えてよかった。
pic.twitter.com/VihJ6wfJtg
「鳥が空を恋ひ 魚が海を慕うやうに 私はあなたを愛するのでしょう」
という詩をいただきました(私の色紙だけに書いたわけじゃなかったけど) >RT
昔、六本木で夜遊びしてた頃、勝ちゃんがレシートの裏に落書きを始めて、「それほしい!」と私が言ったら、たくさんのぬこたちの絵にカエルを足してくれた。私がカエラーだったこと覚えていてくれたから。お茶目でやさしい人だったな。 #katsuhiko
pic.twitter.com/7F4K01EYKZ
ここ何年か9月17日は休日だった。今日は仕事ムリ。なんも手につかない。薔薇の花とラム買って、とっとと家に帰りたい。でも、17:40には電車の中ではなく、空が見える景色のいいところにいたいよ。19回目にして、未だにこの日はブルーになる。
p.twipple.jp/8klxT
キングトーンズの『グッナイベイビー』かな。 RT @hijiyuu: ラジオを録音したかセットは宝物。
ラジオのコーナーでカラオケ大会みたいな日があって、勝ちゃんは「きっといつかは 君のパパも わかってくれるさ~♪」って歌ってました
#katsuhiko
勝ちゃんの事を想わない日はなかった学生の頃。雑誌の切り抜き下敷きに挟んで♪( ´∀`)若干色褪せてますが勝ちゃんがセレクトした音楽♪当時はカセットだもんね、時代を感じます。勝ちゃんの字も大好き☆(PLUMより)
#katsuhiko pic.twitter.com/PHwT9JSxGr
きのう、命日だったからか中川勝彦が注目ワードにはいってましたありがとうございます!(゜∀゜)
pic.twitter.com/1RxG7V9GYl

*Light into the Rainbow
19回目の命日、黙祷は東京タワーの見える芝公園で。
17:40には、電車の中ではなく、空が見える景色のいいところにいたかった。
19年か…。
ここ何年か9月17日は休日だったけど、今日は仕事がまるで手に着かなかった。
連休明けでなきゃ休んだのに。
ゆっくり暮れかかる青空の下にいると、あの日の大きな虹を思い出す。

虹つながりで、勝ちゃんを思いながらマイケル・フランクスの「アントニオの歌」聴いている。
邦題が「虹を綴って」なんだよね。
ジム・クロウチの「タイム・イン・ア・ボトル」と共に、生前勝ちゃんが好きだと言っていた曲。
それにしても勝ちゃんは年の割に聴いている洋楽がシブかった。
We sing the song
Forgotten for so long
And let the music flow
Like light into the rainbow
僕らは歌う
長く忘れられていた歌を
そして音楽に身をまかせる
虹に注ぐ光のように
勝ちゃんが亡くなってしばらくは、勝ちゃんの歌が聴けなかった。
でも今は繰り返し聴いている。
歌は中川勝彦の生きた証だから。
Twitterってすごかりし!父、中川勝彦の知られざる当時のさまざまな角度からの情報がいっぱい、あつまりました嬉しいです。実はずっと父へ尊敬と、反抗と様々な気持ちが渦巻いていました
でも反発しているつもりが不思議な運命に導かれ。偶然父と同じステージで歌う日がきて。
直接話したわけじゃないのに、趣味やすきになるものはすべて父がすきだったものだった、猫も宇宙も深海もアニメも特撮も。自分の血のなかに、父の生きた証がある。
もっともっと歌いたかったし生きた証を残したかったはずだとおもう。
いまはインターネットができたおかげで自分のすきなことを自由に発信してつながれる素晴らしい未来の世界がきた。詩や絵を紡ぐのがすごく好きだった父の時代にTwitter、YouTube、ブログがあれば。もっと違った。
でもこうしてわたしが知らなかった、当時のお話を聞くことができている
不思議だし感謝しています。もっともっと知りたい。歌や残した想いを。どんなひとだったのかを。いまやっとそうやって向き合いたい。そんな気持ちになりました。時間がかかりました。いまの自分があるのは父のおかげだし、わたし自身も父の生きた証だから
だから、ぜひどんなささやかなことでもいいので、中川勝彦の当時の思い出やエピソードを、聞かせてください。生きていた父のことをいま知りたい。
#katsuhiko このハッシュタグをつけてくださると、みんなで共有できるかなとおもいます。
勝彦は超力ロボガラットというアニメの主役マイケルを演じていたり。歌った場所も渋谷公会堂、野音、中野サンプラザと、偶然を超えてまるでわたしがどんどん足跡をたどっているみたい。不思議でしかたない。いまいろんな事を話せたらぜったい仲良くなれたんじゃないかとおもう。#katsuhiko
父は九歳の時に亡くなったから、思い出だって数えるほどしかない、でも病気になってからベッドでたくさん絵を描いていた姿が忘れられない。夕暮れのマジックタイムのブルーと紫の美しく悲しい空の絵。いまの自分のまま父と歌や猫や絵やいろんなこと話してみたい。
#katsuhiko
いま大人になってびっくりするのは、私になって父がいなくなってからのほうがずっと長いのに、どんどんこうして父のいた証やお話、足跡が新しくみつかっていくこと。不思議なくらいに父の存在感が増してる。
みなさんからみた、父の足跡、教えてください。
#katsuhiko
@shoko55mmts ‘88年、勝ちゃんは「反核」「反原発」の意志を強く掲げながらも、「何事も頭から否定的な見方はしたくない」と言って、原発のことを熱心に勉強していました。No More Nukes blog.goo.ne.jp/nancy0101/e/e1… #katsuhiko
みなさま、本当にありがとうございます、知らなかったエピソードやみなさんの想いがこんなにつながる、星座みたいに勝彦の生きた証がつながってゆく。まだまだパズルのピースみたいにみつけていきたい。父のライブみたかったな、いまの自分があの時の父とライブでコラボしてみたかった。

*I wish if I could see the light of heaven
18回目のこの日がやってきた。
時が経てば慣れるかと思っていたけれど、何年経っても、9/17の17:40が近付くと気分がぐんぐんブルーになる。
昨年の3.11以降、原発のこともあって勝ちゃんのことを思う機会が増えた。
勝ちゃんが生きていたら・・・と何度も考えた。
熱心な反核派だったから、ということもあるけれど、彼は今巷に溢れているような放射脳どもと違って「何故原発なのか」について真剣に勉強していたから。
やっぱり、長生きすべき人だったのだ、と思う。

今年もお墓参り行けなかった。。。ごめんね勝ちゃん。
そちらで会える日はもうちょっと先だろうから、こっちにいる間に行かないとね。