休暇中読んだ何冊かの本の内、最も重く心に残ったのが、太宰治の『斜陽』でした。「読んだことがない」と思いながら、家庭内のある出来事がきっかけで読み始めました。そして、読み進めていくと、途中で「読んだことがある」と気づきました。おそらく、学生時代に読んで、そのあまりの陰鬱さに「忘れよう、忘れたい」と思った結果、いつのまにか「読んだことがない」という意識にまで至ったのだと思います。
二回目読んで、その陰鬱な印象には変わりありませんでしたが、この小説が投げかけるものの重要性については認識できるようになりました。聖書から教えられ、自分自身の経験からも教えられて、人間理解が多少なりとも深まったゆえでしょうか。
「この小説が投げかけるもの」と書きました。私がこの書の中に見出すものは、人間の絶望です。
『斜陽』というタイトルからも、小説の内容からも、この書が表現するのは、華族の家庭に生まれ育った者たちが、経済的に落ちぶれていく中で精神的に歪められ、追い詰められていく様であるように、一見思われます。しかし、私が受け止めたところでは、太宰治が表現したかったことは、社会的に特定な境遇にある人々のことではなく、多かれ少なかれ、すべての人々が抱える闇の領域であったように思われます。
実際、太宰治自身は、大地主の家に生まれたとは言え、華族出身ではないため、作中の言葉遣いが実際の華族の言葉とは違っているとの指摘が当時なされたようです。おそらく、「落ちぶれた華族の家庭」という舞台設定は、この小説がベストセラーとなった一つの要因ともなったと想像されますし、読者の関心を引き付けるため太宰治が意図的に選んだものだったのではないかと思います。しかし、「それが書きたかった」というよりも、一つの舞台設定として選ばれたものに過ぎないのではないかと思います。
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%B0%E6%B2%BB
特に私が注目したいのは、作中に登場する聖書聖句の引用です。彼は、この書の中で何度か、聖書聖句を引用します。その意味合いは、ほとんどの場合聖書本来の意味とは無関係と言ってもよいほどの使われ方をします。たとえば、何度か引用される「鳩のごとく素直に、蛇のごとく慧かれ」という言葉は、イエス・キリストが弟子たちを遣わすに当たって語られたものですが、主人公の女性が妻ある男性に手紙を書く際に勇気づけられた言葉などとして引用されます。聖句は本来の意味から離れて表面上だけのつながりで用いられており、敬虔なクリスチャンから見れば手紙の内容からして冒涜的とも感じられるほどです。こうした面から考えると、この作品での聖書引用は単に小説の飾りとして用いられているに過ぎないようにも見えます。
しかし、私にはそうではなく、太宰治自身は聖書本来の意味合いを実は心中深くで深刻に受け止めており、そのことを作品を通して(正面からではなく暗に)示唆しているように思われます。そのことは、作品の後半に現れるかなり長い聖句引用に表れているように思えます。
この引用は、先に紹介した引用部分を含むさらに長い範囲の聖句引用で、マタイによる福音書10章9-23節、28節、34-39節です。先にもご紹介したように、イエス・キリストが弟子たちを宣教の働きに派遣する際に語られたものです。太宰治はこの箇所を先に紹介したケース同様、妻ある男性への行動をさらに加速させるためのものとして引用します。しかし、単にそれだけのことであれば、これほど長い範囲の引用をする必要はなかったはずですし、ひと言、要約的に言及すれば済んだようにも思われます。
この長い聖句引用の中で、私が作品全体の理解に関わるのではないかと思われる箇所があります。先に示したように、今回の引用はかなり長いキリストの言葉の抜粋ですが、その真ん中、一節だけ抜粋して引用されるのがマタイ10章28節です。作中引用される文語訳聖書のまま引用しますと、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得る者をおそれよ。」となります。道ならぬ恋を加速させるために勇気づける文章としては、この部分の引用は不要ではないか。むしろ、道ならぬ恋をとどめるはずの言葉であるように思われます。
太宰治は、聖書が人間の善と悪を裁かれる神の存在を告げていることをもちろん見逃してはいないし、それどころか、この神を恐れるべきだというキリストの言葉をどこかで深刻に受け止めていたのではないかと思います。そのことを彼は暗に表現しつつ、しかもそれを隠そうとして、あえて冒涜的な引用をしているのではないか…そんな風に思えます。
「深刻に受け止めていたのであれば、彼の私生活はもっとましなものになっただろう」という見方は、当然ありえます。しかし、彼自身においては、深刻に受け止めつつも、神から断罪されるであろう生き方を変えることはできなかった。この作品の中からは、心中、そういった生き方を「変えたい」という心がどこかにあったはずだと私には思われるのですが、しかし、「変えたい」と正面切って言うことは愚か、そういう願いを自分の中で認めることさえ、彼にはできなかったのではないか…そんな気がします。
聖書の言葉が示すきよい生き方に密かな憧れを持ちつつ、そのような憧れの存在を自ら認めず、聖書の神がいるなら真っ先に断罪されるであろう生き方の中に突き進むことしかできない自分自身をどこかで感じてたいのではないか。そして、そのような自分自身の姿を作中の主人公の女性主人公やその弟の生きざまに映し出していたのではないか。そんな風に感じられます。
太宰治は、この作品の発表の翌年、愛人の山崎富栄と入水自殺をします。斜陽に描かれた主人公たちの姿に、どこまで彼自身の姿が反映されていたかは分かりません。しかし、彼が自分自身の生に対して抱いていた苦悶や絶望がかなりの程度反映されていたであろうと推測することはできます。
この作品は、戦後間もない日本社会でベストセラーになったということです。当時の人々がこの作品のどういうところに惹かれたのか、分かりません。色々な要素がそこにはあったと思われます。しかし、その中に、太宰治が描いた絶望が太宰治だけのものでないことをどこかで感じたのではないか。そこに、人間の真実の一面が描かれていることを、多くの人々が感じ取ったのではないか。そんな風に思われます。
このような読み方がどれほど妥当なものなのか、私には分かりません。太宰治の研究者たちの目から見れば、失笑ものというようなことなのかもしれません。ただ、私としては、青年時代、ただ陰鬱で、早く忘れたいと思われた内容が、重く受け止めるべき内容として新たに理解されたことを、書き留めておきたく思った次第です。
そして、最後に、上記のような私の見方をもう少しだけ延長させて、もう一つの想像を加えてみたいと思います。太宰治はこの作品に描いた人間の絶望に対して、救いの道が提示されている場所にも、実は気づいていたのではないかという想像です。それはすなわち聖書です。太宰治がこの作品の中で描いたような人間の抱える絶望について、聖書自体が指摘し、描き出していること、さらにはそのような絶望の中にある人間を救うお方として、イエス・キリストが提示されていることに、おそらくは気づいていたのではないでしょうか。しかし、彼は聖書を通しての神の招きに応えることはしませんでした。しなかったというより、「できない」と思ったのかもしれません。しかし、自分にはできなくても、ひと言、「助けて」と神に祈りさえしていれば…。
今回、この作品を読んだ後、その内容の重さを受け止めつつ、そんなことを思い巡らせました。
付記:
ネットで調べてみますと、私のような見方もあながち的外れではないのかも、と思いました。参考になりそうな資料、記事のURLを貼っておきます。
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~houki/dazai/dazaikagi.htm
https://bible02.com/bible_message/message28/