那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

落第はしたけれど 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

五人の大学4年生が一部屋の下宿で暮らしている。いよいよ卒業試験。彼らは必死にカンニングの方法を考えている。結局、主人公の男(斉藤達雄)ひとりが落第する。彼には、近くのパン屋に恋人(田中絹代)がいるが、どうしても、落第したことをいえない。彼女は卒業祝いに手作りのネクタイをプレゼントして、活動写真を見に行こう、とせがむ。男が、落第のことをいいかけると、女は泣きながら「すべて知っています」と答える。
 卒業したほかの学生たちは新調の背広に着替えて就職試験に出かけるが、折からの不況のために、誰も就職できない。落第した男は、野球の応援に張り切って、また楽しい大学生活を続けている。

{批評}

小津安二郎は早稲田大学が好きなのか、この映画もロケは早稲田が使われている。「若き日」の学生も早稲田だった。最後は野球の試合に学生たちが夢中になる場面で終わるが、これも明らかに早慶戦を暗示している。
 とくになんということはない学生喜劇だが、しいて言えば、学生下宿のすぐ近所に勤めている田中絹代の若い姿がなんとも愛くるしい。
 私が大学院の時代に、聴講に来ていたアメリカ人の男がいて「何故昔の日本映画にはブスばかりでるのか」と聞いてきたことがある。この男は「美は普遍ではない」という文化人類学の常識を知らなかったようだ。戦後の日本では、アメリカ的な顔が美人とされているが、戦前の日本の美人は、ぜんぜん違ったのだ。映画によく小道具で使われる日本酒のポスターの芸者の顔や(『無法松の一生』にも出てきます)、この田中絹代のような愛くるしい顔が美人だったのである。原節子は例外で、欧米人のような彫りの深さが受けたものと思われる。
 さて、この作品は『卒業はしたけれど』『生まれてはみたけれど』など、○○けれど、のシリーズの一つで、喜劇であると同時に、そこはかとないペーソスが混じる。
 この映画でも小津は学生下宿の壁に映画のポスターを貼っている。「charming sinners」と見えるのだが、邦題は分からない(知っている人がいたら教えてください)。このパラノイア的な自己言及。戦前の小津映画には絶対といっていいほど、映画のポスターが出てくる。小津自身がかなりの活キチだったのだろう。
 この作品は、1930年という世界恐慌の波に日本も洗われた世相を反映しているが、我々が想像するほどこの時代の「都会の」不況は深刻ではなかった。この映画にしても、下宿の学生たちは全員就職できないのだが、どことなく呑気である。小型映画のこの時代の雑誌を見ていても、不況の影はまったく感じられない。つまり、大学に通っているレベルの中流以上の家庭においては、不況はそれほどでもなかったのである。一方、東北の農村などはむごいものだった。肥料代の代わりに、娘を売る、という行為がごく普通に行われていたのである。このあたり、都会と農村とでは不況のインパクトがはるかに異なっている。だから、この作品も、『卒業はしたけれど』も喜劇として成立するのである。
 この作品でも小津は面白い演出をしている。下宿の学生たちが歩くとき、肩を組み合って、足をそろえて左右に交差させ、ラインダンスのように歩かせるのである。これは、この作品の前に作った『朗らかに歩め』でも誇張して表現されている。アメリカ映画の真似なのか、あるいは当時の風俗なのか分からないが、陽気な戦前の日本人の姿がよく示されている。
 カメラワークや編集に関しては、小津特有のスタイルは消えている。喜劇ものでは小津スタイルは意識的に消しているのだろうか。もう少し戦前の作品を見てみないことには結論は出せないが、私が見てきた限りでは、悲劇『東京の女』から小津のローアングルや空ショットが登場する。



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