那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

阿部定事件

2012年11月22日 | 歴史
このところ、忙しくてブログの手抜きが多くなった。
ネタが切れたわけではないが、腱鞘炎もあり、中身の濃いものを書くまでの下準備に時間がかかりすぎている。
 
今日はちょっとだけ面白い話をしよう。1936年、2.26事件の起こった年だから、なんとも言えぬ暗い危機感のある時代に有名な阿部定事件が起こった。ご存知の通り、愛人の局部を切り取った愛欲の果ての猟奇殺人事件である。ちなみに、法定で阿部定は「おちんちん」という言葉を連発しているので、報道機関はこれ以来、「局部」「下腹部」という用語を使うようになり現在に至っている。そういう世相の中で阿部定事件は非常に好意的に迎えられ、時代のヒロインとなる。

私は時々「小説を書いてみたらどうか」と言われるので、何年か前にこの事件について資料を集めたことがある。が、この手の話は数多くの出版、芝居、映画化がされており、とりわけ新たな事実は見当たらなかったので諦めた。

さきほど調べたら法廷記録が収録されているサイトがあったので、阿部定の証言の一番面白いところを引用する。

http://www.namaste.sakura.ne.jp/abesada/styled/index.html
ところが石田だけは非点の打ちどころがなく、強いて云えば品がありませんが、却ってその粋なところを私が好いたので、全く身も心も惚れ込んでしまったのです。女として好きな男を好くのは当り前です。私の事は世間に判ったから可笑く騒がれるのですが、女が男のものを酷く好く様子をするのは世間にざらにあると思います。

 早い話が女が刺身を好かなくとも、亭主が好けば、自然と好く様になり、亭主の留守に枕を抱えて寝たりする事はよくある事と思います。自分の好きな男の丹前の臭をかいで気持ちを悪くする様な女がありましょうか。好きな男が飲み残した湯呑の湯を呑んでも美味しいし、好きな男が噛んだものを口移しにして食べても美味しがる事もよく世間にあります。
 
 芸者を落籍するのも、結局、自分の独占にしようとするからで、男に惚れた余り、今度の私がやった程度の事を思う女は世間にあるに違いないのですが、ただしないだけのものだと思います。もっとも女だって色々あり、恋愛本位では御飯が食べられないと思って物質本位の人もありますが、恋愛のため止むに止まれず、今度私のした様な事件になるのも色気違いばかりではありません。


結局、阿部定は「先天性淫乱症(インフォマニア)」と診断された。

そこで、私なりの考察を加えたい。
①この当時、中流以上の社会では、女性は結婚する相手に処女を与えるのが常識で「貞操観念」という道徳が生きていた。だから、阿部定は娼婦だったので別だが、この発言は今読むのと違い、非常なインパクトを与えた。
②今現在、女性が性に語るのは普通になり、自分の性体験を語るのがむしろ流行している時代、阿部定の言葉にはインパクトはない。
③女性のエクスタシーは俗に「男の100倍」などと言われるが、私の記憶では割合最近それを研究発表した暇な学者(イギリス人だったような?)がいて、約7倍前後だったように思う。それにしても気絶するのほどの快感なのだから、こういう事件は日常的にあっていいと思うが非常に少ない。
④その理由の一つは、拝金主義で打算的な恋愛関係、夫婦関係が阿部定の言うとおり普通になっているからと思われる。
⑤かと言って、恋愛と性欲一元論が美談かと言えば、これも依存症の一つであり、阿部定のように殺人事件に発展すると社会性を失ってしまう。
⑥動物と比較すれば一目瞭然だが、年中サカリが付いているのは人間のみだから、恋愛は「自然」と対立する「文化」である。が性欲は種の保存のためにごく自然な現象であるにも関わらず種の保存ではなく逆に殺人にまで及んだわけだから、「先天性淫乱症(インフォマニア)」と診断されるのは当たり前といえる。
⑦「石田だけは非点の打ちどころがなく、強いて云えば品がありませんが、却ってその粋なところを私が好いたので」は文章とし一見ておかしいが、「粋の構造」ではないが、下品と上品の中間的なところに粋は存在するので、石田は遊びなれ砕けた江戸っ子的な性格を持っていたと考えられる。(ちなみに石田は決して美男ではない。むしろブ男の部類である。阿部定は写真にもよるがなかなかの美人)。

結論:阿部定が時代のヒロインとなったのは、大東亜戦争と第二次世界大戦を直前に控えた世界最終戦争の予感の中で、冷静に見れば狂気だとしても、愛欲の究極の姿を見せた彼女の恋愛=性欲至上主義が、時代の閉塞感を打ち破る一種の救いだった。簡潔に言えば緊張の連続の中の緩和剤だった。同時に、当時の恋愛道徳の中で阿部定の率直な本音の暴露は「お上品な階級」に対するアンチテーゼだった。
 今現在も同じような時代の閉塞感の中にあるが、恋愛道徳はほぼ崩壊しているので、当時の阿部定のような役割を担うには「私は本当に尊敬できる男性が現れるまでは恋愛もセックスも一切する気がありません」と言って本当に実践すれば、相当のインパクトがあるだろう。
 以上、半分真面目で半分は息抜きに歴史の一コマを振り返ってみました。では。
 


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