那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

8年前に見た霊夢

2012年11月14日 | 
このところ多忙過ぎてブログを時々休んでいる。今日もフラフラだが面白い記事を見つけたので引用する。
 以下は私が8年前に見た夢を昔のHPから拾ってきたもの。とりあえずご覧下さい。
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このところ毎日鮮烈な夢を見て目が覚めるが、今朝見た夢は特別だった。

夢の中で私はいくつもの寺をまわって修行している。どうしても納得できず、最後は下は奈落の断崖絶壁の淵に座り、ここから飛び降りて死んでもいいという覚悟で座っていた。前方には霊山らしき山がそびえ、その山の手前の尖った岳の山頂に紫色の衣服を着た人物が座っている。そこに雲の切れ目から日が射して、彼を煌々と照らしている。

やがてその紫色の衣服を着た男が空中を飛んで私の前に現れた。身長は私の倍もあり、その紫の衣服は中国の皇帝が着るもののように高貴で、なおかつその男は三国志に出てくる関羽のような豪傑で殺気に満ちているので、私はとっさに「殺される」と思った。

ところが、その巨人が私に顔を近づけると微笑して「お前は48歳だな。志を立てるのがやや遅かったから、そうだなあ、56歳になれば私よりも上の位になれるぞ」といった。この神々しく、また猛々しい人物、いや神仏というべきだろう、よりももっと上のレベルになれるのか、と思うと私はもったいなさとありがたさで胸が一杯になった。それで彼の足に口付けをした。すると、足袋が泥だらけだ。私は念を送ってその足袋を真っ白に変えた。またその紫の男の付き人として横にひかえていた2人の男の足も汚れていたので、同じように念力を使ってきれいな足にしてやると、2人の男はたいそう喜んでくれた。

その夢を見て目覚めたのが午前6時だった。
紫の衣をまとった巨人の崇高さと猛々しさは、私がこれまでに味わったことのなかったもので、その迫力に気おされて私は眠気が吹っ飛んでいた。
と同時に、あと8年頑張れば(おそらく坐禅の修行を続けるという意味であろう)、あの神々しい存在よりさらに上のレベルになれるのか、と思うと、嬉しさと、同時に、気の長い話だな、と思った。

実は、私は子供の頃から、自分は56歳に死ぬのではないか、という固定概念にとらわれて生きてきた。実際、私は慢性アルコール性肝炎でガンマGTPが1300あり、同時に糖尿の数値も相当に高いから、このままの生活を続けると50代で肝臓癌や糖尿病の合併症で死ぬ可能性も高い。

が、禁酒、禁煙をして、摂生に努めれば、それを避けることは可能だ。そしてあと8年坐禅を続けたときには、虎の背に乗って山を巡り、龍の背に乗って水の中を泳ぎ回るような自由自在の心境になれる、とこの夢は暗示しているようだ。

禅というのは本来の自己を見つける修行である。あの紫の衣服を着た神は、まず間違いなく私の「真の自己」が具現化したものだろう。
 私は毎日坐禅を組むたびに「無」になることを意識してきたが、真の自己のイメージを掴むことはできずにいた。しかし、今朝の夢で把握できた。想像していたよりもはるかに高貴で猛々しい存在だった。ああなりたい、と心から思った。
悟るというこは、もっと枯淡な世界に入るものだと思っていたが、逆であった。誰もがその殺気に怖気づくような、怖い、畏怖させるような威圧感のある存在であった。と同時に限りなく優しい、慈愛に満ちた存在だった。そのような自己が私の中に眠っているようだ。本当にそうならどんなに勇気付けられることだろう。ああ、あれが本来の自己(自性)だったのだ。
 「十牛図」でいうところの「尋牛」「見跡」の位から、やっと「見牛」の位に達したのだと思う。1年半の坐禅の結果である。なお、「見牛」の絵は大抵、牛の尻尾がちらりと見える図案が描かれているが、中には川の向こうに牛を見つけるというデザインもあるらしい。私の夢もそれに近い。「見牛」の位というのは、最初の見性である。夢の中で見性する場合があるとは本で知っていたが、私の場合も夢で自性を見ることができた。嬉しいことである。

サボりたい日もあるが、とにかくあと8年は坐禅を続けてみよう。
今日の夢は、おそらく「霊夢」と呼ばれるものだろう。さてどうなることやら。
結果は8年後にこのHPで報告いたします。
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(上の夢は座禅の修行を始めたばかりでこの4年ほどあとに1度目の強烈な見性体験が待っていた。だから、真の自己、といった誤解を招きやすい言葉は今は使わない、と断っておく)

ともかくざっとこのような夢だ。私は56歳になった。57歳の誕生日は来年の1月11日だからあと二ヶ月しか残っていない。
 実はこのブログのどこかにも書いているが、あるホームレスの易者が「貴方は56歳で夢が全て実現する」と占った。夢と一致している。それでこの霊夢の報告の時期が来た。

まず3年前の夏に妻子が突然失踪し結局離婚して未成年の長男は妻の姓に変わり、人生の予定が大きく変わった。この間、一度だけ長女から不思議な電話が掛かってきただけで全くの没交渉である。
 
古くからの読者はご存知の通り、これを含めてその前後から様々な不可解な出来事(本当はその構図は実に分かりやすい)が続き私は現在病苦と闘っている。酒はかなり節制してほぼ禁酒みたいなものだから肝臓や糖尿で死ぬほどの数値ではないが、とにかく足首から下の麻痺と痛みのために思い通りの活動が出来ないことと、山のような重要書類を少しずつ片付け、更に色々な予定を組み込んでいるために心身が悲鳴を上げてレッドゾーンが続いている状態だ。
 禅に関しては、体調のいいときは座禅を組み、寝る前、起きる前は寝禅が習慣になっている。

それで、恐らく次の2つのうちどちらかが起きるだろうと予想している。
一つは、見性体験を繰り返したので、残されたのは悟後の修行と思っていたが、さらに大悟徹底の体験をして次々と心配の種が解消していく可能性。
もう一つは死による涅槃という意味での夢の実現。

私はいつ死んでも悔いはない。むしろ生きていることのほうが苦痛だ。しかし、「ロータス文化学院」「微笑禅の会」「八王子五行歌会」など今の状態のまま責任放棄してあの世に逃げるわけにも行かない。
 高々夢と占いに基づいた話だから、両方とも外れていた、なんてオチがあるかも知れないが、私は夢や占いがピタリピタリと当たった経験も多いのでとりあえずブログに残しておく次第です。では。


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