那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

これまでで一番悔しかったこと

2016年12月26日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(決定版が出て既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 電子出版される可能性もあることをお知らせします。

_____________________________

また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

 _________________

  今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

____________________________________

私にはこれまでに悔しかったことが3回あります。

一回目は高校生の時にクラス対抗のソフトバール大会にピッチャーとして先発し打たれまくって降板したことです。私は小学校4年生から剣道を習い、近くの児童館で卓球やソフトボールをして遊び、高校に入ってはバスケ部に入るなどしていましたから、クラス対抗の試合にはすべて選手として選ばれていました。バスケはもちろん、バレーボール、ハンドボール、サッカーなどです。体力測定でもソフトボール投げは学年3位に入っていました。いわば鉄砲肩だったのでピッチャーに選ばれたわけです。ところが、私は野球の試合を見たことがありませんでした。多分、大人が子供が芸能界に憧れるのを見て馬鹿にするように、同級生がプロ野球に夢中になっているのを馬鹿にしていたのでしょう。

ソフトボールの経験は何度もありましたが、ピッチャーになったのは初めてでした。そこで、ど真ん中の高めを狙って高校生としてはかなりのスピードで投げたところ、野球の経験者には絶好のホームランボールだったので気持ちがいいほど打たれて降板しました。私の後にピッチャーになったのはバスケ部の同級生でした。私から見ればどうしようもないスローボールを投げていましたが、それが打たれないので不思議に思ったものです。大勢の観客のいる中で降板することの悔しさを初めて知りました。後日、早大に入って(岡田が六大学の打率記録を作った頃とダブっています)大学野球を見るようになり、同時に岡田、バース、掛布の頃のタイガースファンになって、初めて、ピッチャーというのはど真ん中に投げるのではなく、ストライクゾーンの端に投げる、ということを知ったのでした。不思議に思われるでしょうが、私はそういう卑怯な技術が正しいことを大学生になるまで知らなかったわけです。

次に悔しい思いをしたのは、早稲田大学創立百周年事業の一環として、私は鴻英良さんの下に付き、プロのパフォーマーのマネージメントをしながら、同時に学部の学生(大学院生から見れば大学生のことをこういいます)を率いてパフォーマンスをする役目も受け持っていました。場所は大隈講堂と大隈庭園です。

さらに指導教授の下について創立百周年事業の現場監督のようなこともやっていました。修論を出す年だったのですが、睡眠不足でフラフラになりながらそれらの仕事をこなしていたわけです。私はスコアを作り、ロシア構成主義の絵画をスライドにして学生たちと無線で交信しながら完璧なパフォーマンスの練習を繰り返しました。ところが、鴻英良さんが、当日前にリハーサルをする時間を取ってくれなかったために大変なことが起こりました。というのは私が学生を率いて行うスライドを使ったパフォーマンスはシンセサイザー奏者の音楽に合わせるものだったのですが、シンセサイザーに用いる電気の電磁波が強すぎたために無線で交信が出来なくなってしまったのです。そこでスライドショーは練習とは全く違う無茶苦茶な結果に終わりました。指導教授は完成した形を観客は知らないからあれが失敗だとは気づかない、と慰めてくれましたが、私は完璧なスコアを作り何度も練習した完成形を知っていたために悔しくて仕方ありませんでした。一度もリハーサルをせずに早稲田大学100周年のパフォーマンスをするなど以ての外だと思います。鴻さんは他の面ではいい人ですが、私が鴻さんならこのようなことは絶対にやらなかったでしょう。私は人の上に立って物事をやると成功しますが、2番手3番手になるとどうしても思い通りになりません。あの時の悔しさは今でも覚えています。

最後に悔しかった思い出は、指導教授が早稲田大学演劇映像の博士課程へ6年ぶりに進学するようにと内定してくれたのにワープロの操作ミスとアンビバレントな精神状態のために失敗したことです。この詳細は「牧野さんの家の方に」という一文をこのブログでも紹介しました。もう一度urlを張っておきます。http://w01.tp1.jp/~a920031141/makino.html