那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

「美人論」書評

2013年09月28日 | 書評、映像批評

大正三美人の続きとして、林きむ子を取り上げようと思いましたが、フト昔のHPに「美人論」という本の書評を書いた記憶が蘇りました。このブログに転載した筈、と思って探してみたらどうもないので昔の書評をコピペします。2007年12月に書いた書評です。 

因みに文化人類学では「可愛い顔には普遍性があるが、綺麗な顔には普遍性がない」と実証されています。

私のパソコンは不具合があって、私からは唐人お吉の写真が見えません。読者の皆さんに見えるか心配なので、念の為に面白いurlを貼っておきます。http://micmicmic.blog.so-net.ne.jp/2008-04-06 の上から二番目がお吉。カラーで見たい人はhttp://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20100207 をクリックして下さい。私は学生時代カラー(後から色をつけたもの)の写真を机の前の壁にマチスの絵とともに貼っていました。

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美人論(井上章一、朝日文庫、2005年第二刷)


この本を知ったのは、岸田秀の「性的唯幻論序説」を読んでいたときに、「美人が尊ばれるようになったのは明治以後である」といった文句とともにこの本を紹介していたからである。それで数年経ってフト思い出し、本書を購入してみたのだが、岸田さんは勘違いしていたとが分かった。
 ここで書かれているのは、江戸時代の上級武士の間では家柄で結婚が決まっていたので、不器量(面倒なので以下、ブス、と記す)でも結婚できた、ということである。江戸期以前に美人が重宝されていたことは例えば浮世絵を見ても分かるし、「源氏物語」を思い出せば、末摘花がブスにも関わらず光源氏の寵愛を受けた、という記述は、この時代には美人とブスの区別があった証拠である。恐らく、美人とブスの概念は、労働しなくても生きていける富裕階級が生まれた時点からあったものと思われる。
 そういうわけで、岸田さんの記憶違いがきっかけになって入手し、3日間ファミレスでランチを食べるついでに30分ぐらいずつ読んで読了した。以下、引用は一切せずに、記憶に残った部分のみを書き留める(「性的唯幻論序説」はひどい悪文だが、これも面白い本なのでいつか紹介しよう)。

井上氏は本来建築史の専門家で、理科系の人物だから、文章は余りうまいとはいえない。その代わりに非常に分かりやすい言葉で、しつこいぐらい丁寧に書いてある。文献を引用しては、その引用をさらに解説するというスタイルを通しているし、前節で書いたことを繰り返し書く、という癖があるので、一通り読めば、いいたいことが十二分に伝わって、記憶に残る。恐らく私が同じ本を書けば半分の量で終わっていただろう。そういう意味では丁寧な、あるいは原稿代を稼ぐのに都合のいい本でもある。

さて、本書が明治から現代にかけての様々な文献を駆使して証明しようとしているのは、実に単純なことである。それは明治時代に厳然としてあった美人の概念が1920年頃を境に崩壊し、現代では「誰でも美人」、あるいは美人の価値すら否定する風潮が生まれた、という流れである。
 もう少し細かく見てみよう。

明治時代には美人は「柳腰、うりざね顔、色白、おちょぼ口、スズを貼ったような目」という絶対条件があった。色黒の美人や口の大きな美人、丸顔の美人など存在しなかった。このような条件を満たさねばならないために、美人は稀有の存在だった。つまり現代よりも美人ははるかに強いオーラを持っていた。
 それで明治の元勲たちは美人を妻にした。江戸時代は士農工商という身分序列が確固として存在し、武士は家柄格式で結婚相手を決めていたが、明治の元勲は下級武士の出身であり、その身分序列を自分で破壊した階層なので、純粋に、家柄に関係なく美人を求めることに躊躇しなかった。本書には書いていないが、確かに伊藤博文、木戸孝允、陸奥宗光らは芸者を細君にしている。
 家柄も教養も関係なく、単に容色だけで上流階級に入ることの出来る美人という存在は、逆に言えば、上流階級の大多数を占めるブスにとっては脅威であり、嫉妬の対象となる。
 このために、「倫理」「恋愛論「人生論」といったタテマエの言説の場では、美人は「高慢で、好色で、教養の無い、周りに災難を巻き起こす」まるで悪魔のような存在であると定義され、一方ブスは「教養があり、性格が良く、貞節」であると讃えられた。

面白いエピソードを紹介している。「卒業顔」という言葉が流行っていて、それはブスを意味するというのだ。つまり、明治時代に女学校へ通う生徒は、参観日の折などに近隣の富裕階級の親たちが見学に来て、美人の順から自分の息子の嫁にするために、美人は全員中退する。従って女学校を最後まで勉めて卒業するのはブスであり、まして師範学校へいって教員にでもなろうものなら、ブスの中のブスとして軽蔑されていたらしい。当時は職業婦人は卑しい階級とされていたから、なるほどそういうこともあっただろう。女学校の入試面接のときに「あなたは器量が悪いから卒業できるでしょう」と言われた、といったエピソードが残されている。

そういうわけで、この時代は美人とブスとの差が実に明瞭に意識されていた。
ところが1920年頃になると、突然風潮が変わってくる。健康美人、知的美人、といった概念が導入されるのだ。ついでに言えば、日本には「表情」という言葉はもともと無く、明治に翻訳されて1920年頃から使われるようになる。つまり、江戸から明治にかけて上流階級の婦女子は、ちょうど今の美智子皇后や中山恭子補佐官のように、能面顔で表情を表さないのが上品だと思われていたのである。それがこの時代になると、表情豊かであることは良いものとされていく。
 こうしてこの時代になると、明治時代のような固定された美人の概念が民主化、大衆化していく。
その理由を筆者は詳しく書いていないが、恐らくこの時代重工業が発展し、サラリーマンという新中間層が生まれ、都市化が生まれ、大正デモクラシーと呼ばれる風潮が高まったことで、庶民の声がジャーナリズムに反映されていったからだろう。それまでは華族、政治家、豪商、知識人といった一握りの階級の言説(あるいは常識)だけで成り立っていたジャーナリズムに、中間層の声が反映されるようになった。そうすると圧倒的な多数を占めるブスの権利が主張されることになり、「顔面の造作」を示す美人という言葉の意味に、「知性」やら「健康」やらが侵入して、美人の概念が拡散するわけだ。

こうした美人の大衆化が1920年から始まり、現代まで続いていると作者は主張する。現代になると「誰でも美人」であり、さらに積極的に、美人なんて関係ない、という主張すら現れるようになった。それには化粧品産業の戦略もあったと説く。一握りの人間しか美人になれない時代よりも、誰でも美人になれる時代が来るとすれば、化粧品は顧客を飛躍的に伸ばすことが出来る。だからこういう美人の大衆化には化粧品業界の工作でもあるという。

視点を変えれば、「面食い」の男性への批判が強くなり、顔だけで女性を選ぶのは頭の悪い男のすることだ、という主張が常識になる。

そういう美人をめぐる言説の変化を実証してこの本は終わるのだが、後書きを読むと、どうやら作者の井上氏は、実は「面食い派」のほうに味方してこの本を書いたらしい。フェミニストたちへの一種の挑発の本である。ご丁寧なことに、フェミニストにしてブスの代名詞である東大教授・上野千鶴子の解説までついている。井上氏と上野さんは面識があって、トムとジェリーのように仲良く喧嘩している間柄らしい。


以上が本書の解説である。
私は、物心ついてから徹底した「面食い」なので、この本は大いに面白く読めた。とくに明治時代の美人の絶対条件「柳腰、うりざね顔、色白、おちょぼ口、スズを貼ったような目」は、私の好みのままである。明治時代には、こういう厳しい条件がついていたために、タテマエ論として道徳的には批判されながらも、本音論としては、化け物のように美しい、魂を奪われるほどの美人、という女性が存在したのである。このことが私は非常に面白い。現代のように美人の条件が甘くなり、個性こそが美、といわれるようになると、明治時代の美人のようなオーラというか破壊力が消えてしまう。
 面食いの人間にとって今より明治時代のほうがはるかにスリリングで、美人を娶るという喜びがあっただろう。
 ちなみにこの条件を満たすとすれば、美人はちょうど竹下夢二が描く女性のように、線が細く、不幸、薄幸というイメージが取り巻く。事実、当時の美人は「結核好み」と称されていたらしい。例えば次のような顔である。(右の写真は左に着色したもの)


実はこれは「唐人お吉」の19歳のときの写真である。異論もあるが、ほぼ本物とされている。
とすると1860年の写真ということになり、江戸末期である。お吉は下田一の美人芸妓と評判だったので、これが江戸から明治にかけての典型的な美人顔ということになるだろう。
 読者の皆さんはどう感じるか分からないが、私はこの写真と出合った学生時代から、猛烈なお吉ファンになった。向かって右側の切れ長の瞳と眉毛のバランスといい、鼻から口元にかけての幼さを残したセクシーさといい、文句の言いようが無い。
 ついでに言えば、「結核好み」というよりも、私には神経症の影と不幸の影が感じられる。実際、お吉は50歳のときに(明治24年)アル中+ホームレスになって、川に飛び込んで自殺した。
 こういう異常な強度を持つ、化け物のように美しい女性を私は愛し、哀れに思う。

人生は日常体験のほうが圧倒的に多い。非日常の体験というのは年に数回あるかないかである。私は子供の頃から「美が放出するポエジーの魔力」に取り付かれ、芸術学修士になった(なってしまった)。思い起こせば、医者になるチャンスも弁護士になるチャンスもあったのだが、「医者は病人と老人の相手。弁護士はトラブル解決業。俺は美を追求する」と豪語して、とうとう貧乏研究者になってしまった。
 そういう美に取り付かれた人間にとって、庶民には決して手の届かない、特権的で、徹底エリート主義で、神々しい魔力を放つ、魂を奪われるほどの美人、という存在は、これほど有難いものは無い。私は麻薬は嫌いなのでやらないが、芸術、自然、美人の中に、ごく稀に「非日常」と出会う。その瞬間のためにこの退屈な日常を生きているのだ。

もし近所にお吉が住んでいたら私は妻子を捨てても、その行く末が心中であろうがホームレスの道だろうが、躊躇無く、彼女を愛することに賭けてもいい・・・・・・・・というのは大嘘である。
 美人とは所詮顔の造作のバランスでしかない。諸行無常を悟るために、昔の禅の観法には「九想」というものがあり、私が図で見たものは、美女が老醜を晒し、死体となり、肉体が腐り、野犬に食われ、骨だけになってバラバラに散る、というイメージを坐禅をしながら頭に描いたという(現在でこういう修行をしているところは無いだろう)。
 このように、所詮は無常の美ではある。

しかし、美が無常であるからこそ、私は美を愛し、美人を愛する。お吉さんが今生きていたなら、せめて一緒に酒を飲みたいものだ。
(お吉はハリスの妾となったために、唐人とかラシャメンと言われ、溺死体も「触ると指が腐る」と丸二日も放置された。しかし、ハリスは胃潰瘍だったし、おまけに50歳を過ぎた肥満体で生活習慣病にかかっていたに違いないから、私はハリスはお吉を性的対象として扱わなかったと思っている)

ともかく「美人論」は面白かった。多分この解説で大切なところは全て語られているが、お薦めの一冊である。

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 以上です。6年ほど前に書いた書評なので、いまの私は少し考え方が変わっていていますが、これこれで当時の実感だからそのままに残します。恋愛と言うのは思春期に特有の「一時的視界狭窄」、つまり単なる思い込みですが、自分の中の女性的な部分の顕現(アニマ)ですから、神経が張り詰めている時は、異常な磁力で人をひきつけるのも確かです。

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