河合奈保子・Pure Dream

奈保子さんの歌声が聴ける日を夢見て・・・
(当ブログはご本人とは無関係です)

奈保子さん以外の記事もあります

本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna(その3)

2011-05-04 00:00:01 | Laguna

最近この話題が多くなってしまいました。

今回は、全9部+あとがき という前回以上の長文です。

最後までお読みいただけたら幸いです。
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「本格ドラマティックJ-POP Laguna(その3)」     


■1.連作「息吹」の流れ

前回はアルバム「息吹」の中から関連作品のうち3つの曲、「小さな翼」、「息吹」、「ねがい」について紹介しました。

これらの曲の関連曲となる「虹」と「私という名の小さな光」は、それぞれ、アルバム「私のという名の小さな光」の1曲目、そして最終曲として収録されています。

ライナーノーツによると「息吹」7部作に含まれるうちの2曲だそうで、先日ご紹介した「小さな翼」、「息吹」、「ねがい」を含めると時間的つながりは次のようになります。

(A)「虹」→(B)(「小さな翼」/(C)「息吹」)→(B)「ねがい」→(B)「私という名の小さな光」

曲名の最初につけてある記号は、その曲を伝える人物についての分類で、(A)は人物1、(B)は女性1、(C)は女性2の立場で詞が語られていることを意味しています。

(A)の人物1は(B)の女性の親であることがライナーノーツに記されています。

「虹」と「私という名の小さな光」はそれぞれ、「息吹」7部作の最初と最後に当たる曲であり、いずれもアルバム「私という名の小さな光」に収録されています。
そして、ここまでで、息吹7部作のうち、これで5曲の曲名がでて来たことになります。

「虹」、「私という名の小さなひかり」はオフィシャルサイトで試聴できます。

「私という名の小さな光」オフィシャル試聴サイト



■2.「虹」

この作品は、「女性1」がこの世に生を受け、「その親」がその娘にたいして、心に描いていた(描こうとしていた)我が子に対する思い、願いを表現した曲です。

この曲で、幼い我が子に対する思いを表現する最も大切な言葉、それは作品全体のテーマの一つともなる(と私は考えています)「言葉」は曲の一番最後で、「光」として語られています。

曲最後のアコースティックの音色、そして語りかけるような歌声は、まさに我が子に対する「ねがい」を感じさせる優しさを心に響かせています。

Lagunaさんの作品の中には、作品全体を通して重要な意味を持つ「言葉」がたびたび登場します。
それは、アルバムのプロローグとなるこの曲でも随所に織り込まれています。
これらの言葉は、Lagunaさんの作品を聴く上では聞き流せないもので、文字には出来ても具体的形で表すことが難しいものばかりです(と私は思ってます)。

それ故に、この曲での主人公である「女性1の親」は、生まれたばかりの我が子に対して「この気持ちを伝えるのに、言葉はいらないと思った」と詞の中で言っています。その言葉は詞の中に情景描写とともに描かれています。これらの言葉がどのような意味で使われているかを想像詞ながら聴くと情景も心情も深まるのではないかと思います。


大切な言葉、それらは連作の中でも歌い継がれているのですが、その意味するところは連作の最終曲となる「私という名の小さな光」の中で語られることになります。


■3.「私という名の小さな光」

アルバム名と同一、タイトルナンバーとなるこの曲は、アルバムの締めくくりとして収録されています。
「小さな翼」、「ねがい」から、かなりの時間が過ぎて、今の自分が何をなすべきか、何を心の糧に進むべきかと思い悩んできたこれまでの道を振り返りながら、心に浮かんだ思いを語っています。

歌詞の冒頭、風に飛ばした紙飛行機、それは自分そのもの。
その飛び行く先は自分が歩んできた道のりであり、自分が生まれから両親がずっと願い続けてきてくれた「光」が指し示す未来。
心の中に最後に残ったもの。それは大切な人たちが今まで自分に伝えようとしていた。
そして、自分自身が追い続けた夢がなんだったのかは今もまだはっきりと見えていないけれども、「小さな翼」のキャンバス、そこに大切なものを描き込んでいこう。
これまで自分が歩んできた道を振り返り、自分なりに見えてきたものを

大サビで歌われる言葉。
「自分のために、誰かのために、今に出来ることは何だろう?」
この言葉はかつて、自分の親も(「虹」の中で)問い続けてきた言葉であり、その意味を自分も今問い続けていることに気づいたのだと思います。


「とても素敵なものに触れるたび 胸の震えるこの気持ちは 言葉にすればとても短いものだったと今はわかる」この曲の中で語られている思いです。

大切なものは、実は身近でシンプルなもので、それは簡単な言葉で語られていた。
それ(それら)は作品を通して、何度も語られて来た共通の「言葉」であったと思います。


■4.ドラマティックの広がり

Lagunaさんの作品を通して語られている共通する「言葉」。それぞれの作品を読み返してみると次のようなものがあります。

・世界観をつながりある空間とするための「空」という言葉
「太陽」、「雨」、「雲」、「星」、「夕日(夕暮れ)」

・夢、願いを意味する願望、目標の象徴としての「空」という言葉
「空」、「虹」、「星」

・想い出、夢等が存在した証を与える「大地」を象徴する言葉
「花(木)」、「風」、「道(坂道)」

・大切な人とのつながりとしての「心」を象徴する言葉
「笑顔」、「涙」、「願い」

・それらに「時間の流れ」を与える言葉
「歩く」

これらの広がり、つながり、流れ、全てを包み込むものとして「光」という言葉が使われているのだろうと思います。
それらが実は、言葉にすれば短いものだったと気づいた「言葉」だったのかも知れません。

そうすると、「私という名の小さな光」の主人公は、自分に「想い」を伝えようとして、どう伝えたら良いか分からず悩み続けていた「形にできないもの」を最終的には、それを表す「言葉」として受け止めたことになります。

アルバムに収録されている全ての曲を、強引に結びつけて解釈しようとは思っていませんが、私自身はこのように感じられました。

これは、私の個人的な1つの解釈に過ぎませんので、お聴きになる方の心の中で想像を広げると、また違った世界になるのかも知れません。


■5.「風花」

この曲は、アルバム「私という名の小さな光」に収録されていて、メロディ、サウンドアレンジはとても劇的で、心にとても響く感動的な曲だと思います。

作者は「ひぐらし」の鳴き声に思い入れがあるとライナーノーツの中で語っています。
2コーラス後、大サビ前の間奏、ギターソロの音色はエフェクターをかけ、ピッキングを際立たせないように押しつぶしたように「ひぐらし」のざわめきを表現しているようにも聴き取れます。

「風花」の季節は冬の頃で、蝉の鳴く季節ではないのですが、音で季節のズレを取り入れることによって、想い出がフラッシュバックするような回想シーンを差し込ませているのではないかと想像(妄想)しています。


「風花」は「息吹」7部作等、どの曲とも関連性がないとされていますが、ライナーノーツには、Lagunaの集大成的楽曲であり、言葉を選びに選んで作った曲だと書かれています。
しかし、歌詞を見てみるとその中には、先ほど列挙した言葉の多くが並んでいます。

特定の曲との結びつき(連作)の中で作られた曲ではないかも知れませんが、あらゆる曲との結びつきを意味する曲となっているのかも知れません。

「風花」には、旅立ち、別れの場面が描かれており、見送る側の強い想いが歌われている曲です。


■6.「風花」とのつながり

「風花」に関連曲がないことは先ほど書いた通りなのですが、「風花」との関連を「息吹」と「私という名の小さな光」の二つのアルバムの中から見つけることが許されるのならば、次のふたつの可能性があるように思えてなりません。
本当は「風立つ道」を含めた三つのアルバムで読み取るべきなのでしょうが、今私の手元にあるのはこの2枚のアルバムだけです。

(1)「虹」-「風花」-「私という名の小さな光」
・見送る人:「虹」の語り手(「私という名の小さな光」の語り手の親)
・見送られる人:「私という名の小さな光」の語り手=「小さな翼」の主人公

「虹」で描かれている、想い、探し続けた言葉が見つけられず、我が子に何をしてあげられずに悩み続け答えが見つからないまま、見送らなければならなかった心情、情景が思い描かれます。

個人的な事ですが、私の子を持つ親として「虹」の心情を思うとき、心に感じるものがあります。
「あまりにはやく大切な時は ふたりの前を黙って過ぎて行った」
私の場合、まだ旅立っていませんが、子供と過ごす時間は思っている以上に短いとの想いは、子供が生まれてた時からずっと心に想い続けてきたことです。
そう言った心情でこの曲を聴くと、思わず重ね合わせてしまいます。


(2)「コスモス」-「風花」-「小さな翼」
・見送る人:「コスモス」の語り手=「小さな翼」の主人公
・見送られる人:「コスモス」の中で恋した相手


■7.「風花」と「コスモス」、「小さな翼」

Lagunaさんの3枚のアルバムのうち2枚しか持ってないと、どうしても解釈、根拠が中途半端になってしまうのですが、現時点で私が想像しうる内容としてご理解ください。

「小さな翼」の大サビで、「君を愛したわけを時々は思い出す」という歌詞があります。
過去に大切な人との別れがあった事を想像させる1文です。
大サビで用いる重要な言葉であるのに、この部分だけがどうしても息吹7部作(私が実際に聴くことが出来るのは、CDを所持している中の6曲だけになるのですが)との関連が見いだせません。

故郷に帰る決意をした主人公の心情を考えると、その別れは東京に出てきてからではなく、故郷でのことなのだろうと思います。

「小さな翼」で語られた「愛した人との別れ」が具体的に描かれている曲はありません。(もしかしたら、「風立つ道」にあるのかも知れませんが)
そういった中で、「風花」がその場面だととらえる事も可能なのではないかと思います。


故郷での別れがあった事を想像できる曲は、アルバム「息吹」に収録されている「コスモス」しかありません。
「コスモス」は高校時代に恋していた(両思いの)人との想い出について歌われている曲です。しかし、その人とはもう2度と会うことはない(会えない)状況になって、当時のことを回想して涙する様子が描かれています。別れと会えなくなった状況については「コスモス」の中では触れられていません。

それ故に、「風花」での劇的な旅立ちと別れは、「コスモス」の別れの場面としても成り立ちうるように思います。

「風花」のシチュエーション設定となる駅は「コスモス」、「息吹」(「小さな翼」の主人公が帰る駅)と同じであることが、ライナーノーツで示されていて、設定としての整合性もあります。


そして、月日が過ぎ去った後の日々に、「風花」を含む出来事を思い出すこともあるのが「小さな翼」になります。

また、「コスモス」の前半には大切な想い出が語られています。
出来事は「風花」以前ですが、回想という時間順を考えると、「風花」以降になるのかも知れません。
「コスモス」の前半で語られる想い出部分については、先ほど書いた、「風花」の間奏でのひぐらしのざわめきをイメージさせるサウンドの中でフラッシュバックさせているようにも思えます。


■8.「コスモス」の曲風

ライナーノーツで解説されていますが、イントロ、サビ部分で刻まれているリズムはレゲエのリズムです。
ただ、そのリズムもコード進行に従って細やかに響きを変えてゆきます。それはJ-POP色を強く感じさせる部分でもあると私は思っています。
また、これはこの曲に限った事ではありませんが、Lagunaさんの音楽での主なサウンド構成は、ギター、シンセ
、ピアノ(キーボード)、ドラム、ベース(もしかしたらリズム系はシンセで作っているかも知れませんが)というシンプルな構成です。
「コスモス」の2コーラス目で重ねられているシンセの音色は、ストリングスを思わせるような使い方です。この曲に限らずLagunaさんの音楽は、ストリングスの音色、アレンジを感じさせる部分が多くあるように思います。
J-POP、歌謡曲というジャンルについては曲の世界観を広げるサウンドであり、私は音色がとても好きです。

もしかしたら、作者もそう言うことの意識があるのかも知れません。


■9.新しいアプローチ

Lagunaさんが描くアルバム作品、それぞれの場所、一見別々に起きている何でもない日常の出来事。同じ時間の流れの中でそれらの物語が当たり前にある、無関係なようで実は全てが身近な何かでつながっているという奇跡、それがドラマティックであるということを根底に描いているのだと思います。

アルバムの中で描かれてきた連作ものの作品は、つながりを埋めるための1部分としてそれぞれの曲が位置づけられています。
しかし「風花」については、複数ある曲どれともつながりを持つ可能性がある曲として考えられているのではないかと想像しています。

他の作品とは逆、もしくは全く別のアプローチをしている作品なのだろうと思います。

以上、私の勝手な解釈ですので、著しい誤解があるかも知れません。
もしそうでしたら、申し訳ございません。


■あとがき

河合奈保子さんがデビューしたのは30年以上前の事ですが、私はその頃から幸運にも奈保子さんの曲を聴く機会がありました。当時高校生だった私は、それほど深く曲を聴くことはなく、メロディやサウンドについて耳に心地よければ、それがいい曲だというように、感覚的にしか曲を聴いていなかったように思います。そして、残念なことに、奈保子さんが歌う曲の内容については理解することなく、次々とリリースされるシングル、アルバムの楽曲を聞いているだけでした。

奈保子さんの曲を深く聴いていなかったと書きました。しかし、心の中には奈保子さんの歌声が伝えていた歌がずっと残っていたから、長い時間が経過しても再び感じ取ることができたようにも思います。

約2年前、再び奈保子さんの曲(それまでにリリースされていた過去の曲)をCDで聴き始めた時に、奈保子さんの歌声はこんなにも素晴らしかったということに気づきました。

それ以来、奈保子さんの曲、どのように奈保子さんが歌声で伝えようとしていたのかをもっと強く感じたいと思ったことが、このブログで「歌詞の要約」として綴り始めたきっかけでした。

奈保子さんのオリジナル楽曲は200曲以上あります。1曲1曲について何回も聴き返して来て、まもなく全曲の「歌詞の要約」を記し終える所まできました。
そのことは、奈保子さんの歌声や作詞家さんの言葉の意味、作曲、編曲のメロディ、サウンドの表現にあらためて(初めてというべきかも知れません)気づくことになりました。


長くなりましたが、そう言った状況でLagunaさんの音楽に出会うことが出来たことは私にとって幸運だったと思っています。
奈保子さんの音楽を聴き直す前だったら、Lagunaさんの音楽の意味をおそらく私は感じ取ることすら出来なかったように思います。

 

 



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