河合奈保子・Pure Dream

奈保子さんの歌声が聴ける日を夢見て・・・
(当ブログはご本人とは無関係です)

奈保子さん以外の記事もあります

本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna(その6)

2011-08-28 00:55:38 | Laguna


本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna(その6)」

今回は、Lagunaさんの楽曲についての記事です。

以前は「息吹」シリーズについて5回に分けてご紹介しました。
今回は「ひまわり」シリーズ、1回完結です。

「ひまわり」シリーズは3曲で構成されていて、(リリース順ではなく)物語の時間軸順に並べると
・ひぐらし日記 (アルバム「息吹」収録)
・ひまわり   (アルバム「風立つ道」収録)
・それから   (アルバム「息吹」収録)
となります。

「風立つ道」オフィシャル試聴サイト


「息吹」オフィシャル試聴サイト


3曲の中での語り手(歌手の主人公)は、互いに大切な存在に思っている男女の2人。
「ひぐらし日記」が男性、
そして「ひまわり」と「それから」は女性の立場で語られた曲です。


「息吹」シリーズに比べると構成楽曲数は少ないですが、それぞれの曲の深さはかなりあるように思います。
今回は歌詞の要約も3曲、一気に解釈して見ました。


■夏の日の出来事
「ひぐらし日記」-「ひまわり」
この2曲は、同じ日、同じ場所に出かけたときの出来事を、話を続けて語るかのように連続した時間、あるいはわずかな時間差のつながりとなっています。

「ひぐらし日記」から「ひまわり」へと内容は続くのですが、「ひまわり」のイントロはなく、いきなり歌い出されています。
そういったところも、話を続けて語り出しているうように聴くことができます。

「ひまわり」は「ひぐらし日記」の3年先がけてリリースされていた曲なので、リリース当時にそういった意図があったかはわかりませんが、今聴くとそのように感じられます。


物語の概要については、ツルさんのブログで解説されています。
こちらの方もあわせてご覧ください。

ツ ル 的 ☆ 写 真 日 記(2010/9/9)の2番目の記事です
http://lagunatsuru.jugem.jp/?day=20100909


ひぐらし日記を聴いたとき、主人公の男性は悲しい別れをすることを想像して聴いていたのですが、解説を読むとそうではなかったようです。

「ひぐらし」という言葉から私が想像すること
・一日の終わりを、夏の終わりを告げるかのように寂しげに聞こえるその声は、いつか来るふたりの別れを暗示している
・二人の時間はそう遠くない先に限りがあることを既に知っている
・今日も1日、ふたり過ごせたことが大切な思い出

実際「ひまわり」や「それから」の中にもそういったことを連想させる歌詞もあり、そして「日記」というタイトルにも、最後のページがある、埋められなかったページがあることを想像させるものを感じてました。

そういった想像をしても、3つの物語がつながるということは、Lagunaさんの作品の「ドラマティック」たる所以でもあることを改めて感じました。


■ひぐらし日記

男性の立場で歌うこの曲でのツルさんの歌声、若干トーンを抑え気味に切々と心情を吐露している切なさが感じられます。
セルフコーラスでの音階を変えたハモりの歌声は、ふたりの歩んできた道のり、心がつながっていることをうかがわせるように響いて来て、私はこの歌のハモりがとても好きです。
歌詞の要約
**********

いつものように
動き始めた電車の窓から
見える夕暮れの空
今日も夕日が美しいと思える
自分が今ここにいる

と生きていることを感じてる
君を心に描けることに喜びを感じてる

会えない時間はもどかしい
心に浮かぶ君の笑顔は
今日を生きる僕の
明日への願い


日曜の朝
待ち合わせの駅
手を振る君の
思い描いた通りの笑顔

ふたり手をとり歩く坂道
潮騒をめざし登り切った先が
僕にとって大切な景色

いま僕の瞳に映る大切な人
君と一緒に見たかった海

僕の手を離れかけだした
ひぐらしがざわめきく丘の上
逆光に浮かぶ君の姿は
波の音さえ消し去るように
静けさを僕の胸に満たしていく

ふと心によぎるこれまでのふたり
そのどれもが君との大切な思い出

今はただ残そう
ふたりのこの時を

僕はもっと生きるよ
大切な君と一緒に

いまある時間の限り
君と歩き続けよう
**********


■ひまわり

前述しましたが、この曲ではイントロなしで歌い出されています。
そういうこともあり、「ひぐらし日記」との連続した話を語り出しているように感じられます。

楽曲のリリースとしては最も古い時期になるためか、リズムサウンドの手法が若干異なるようにも聞こえます。また、ツルさんの声質、歌い方も今とは異なることもあり、物語として聴いたとき、構成上、追憶の曲として位置づける効果もあるように思います。


歌詞の要約
**********
突然の雨に打たれながら
よりそうふたり

海の見える丘
しずく伝うひまわりだけが
ふたりをみている

君と歩いてゆく迷いを
このとき捨てていた

つないだ指先から伝わる
思いを受け止めたい


雨の上がる先に見える青空
砂浜まで走りだそう
ふたりいつまでも
ずっと君のそばにいたい

そしていつか思い出すだろう
心に決めたこのとき
雨のしずくと一緒にこの涙を

君のことをいつでも
見つめ続けている私
ひまわりのように

**********

AメロとBメロでサウンドが激変する

■「それから」

「ひぐらし日記」-「ひまわり」の出来事からかなりの時間が経過した、その後の思いを女性の立場で語った曲です。

メロディ構成は
A→A'→B→サビ
となっていて、AメロからBメロでサウンドが激変するアレンジになっていて、ツルさんの歌い方も変化させています。

変わら日々が続いているなかに幸せがあること、心のなかの熱い思いを対比させているかのようです。

2コーラスサビ後の間奏で「ひぐらし日記」のメインモチーフが流れる構成も劇的さを感じさせてくれます。
男性の立場の「ひぐらし日記」のメロディをいれているということは、いまでもふたりの時を共有できていることの明確な証でもあるように思います。

「ひぐらし日記」のメロディ、詞ともに泣けるくらいにいい曲なので、そのつながりにも涙が出そうになります。


歌詞の要約
**********
ふとしたことで心に浮かぶ
君と交わした何気ないことばは
それからのふたりの日々のすべて

当たり前のように
変わらず過ぎてゆく日々
いつもそれを願っている

これからのふたりの気持ちも
きっと変わらない

あれから何年たったのだろう
今も思い出すあの暑い夏の日を

君が話してくれた言葉で
迷いが消えていた私

いつまでもふたりでいることを
薄紅色の夕暮れの中で誓っていた

あの日のふたりを見ていたように
よりそいながら今年も咲いている
庭に蒔いたひまわり

「ねえ、あの夏の日。まだ覚えてる?」

あの時ふたりを包んだ
いま落ちてきた同じ雨は
涙となって頬を伝う

心に願うふたりのこれから
君にずっと「おかえり」と言える日々を

**********


眩しく遠い季節

2011-08-12 18:15:24 | Laguna

今日はLagunaさんの曲についてです。


「眩しく遠い季節

Lagunaさんの3曲入りシングルCD「眩しく遠い季節」のタイトルナンバーです。

作詞・作曲・編曲:中山武大

先日、新宿でのライブに行ってこのCDを入手しました。

(携帯アクセス時リンク先サイズ注意)

「眩しく遠い季節」はLagunaさんのオフィシャル動画で視聴できます。

http://www.youtube.com/watch?v=zlvYLBxiRpM&feature=player_embedded
(Youtubeへのリンクです:CDに収録されている全3曲のダイジェストです。)

CDのキャッチコピーの補足に記されている内容によると、Lagunaさんの音楽の原点はロックだそうです。
テンポ、サウンドはロックを強く印象づけるものですが、メロディはとても抑揚が深いのが印象てきです。
作者の中山さんは別なアルバムのセルフライナーノーツで、自分の音楽のフィールドが「歌謡曲である」と仰っていることからも、ロック調でありながらもメロディアスな曲となっているのは、ごく自然なのかもしれません。

その曲調は、切ない雰囲気を漂わせながらもどこかさわやかさを感じさせる不思議な曲です。
サウンド構成は、ギター、ドラム、(ストリングス風音色の)シンセと、かなり抑え気味なベース音で、比較的シンプルに作られているように思います。
その分、ボーカルのツルさんの歌声が引き立てられています。コーラス、ハーモニーでも透明感、深みのある歌声がとても心地いいです。


歌詞の要約ですが、状況の理解が正しいかちょっと不安で、作者の意図をちゃんと解釈できていないかもしれませんが、書いて見ました。

歌詞の要約
*****
キミのことを思い出す
きらめく季節の青空の下

あの日のふたり
いつまでも同じ想いのままで
続いてゆけると信じていた
すれ違いの日々さえ
乗り越えられることを疑うことさえなかった

いま思い出すだけのキミ
もう戻れない遠い季節のあの笑顔


いつでも一緒に歩いて来た日々
あのときのふたりの瞳には
同じ未来が映っていたはずなのに
いつしか違う景色になっていた

キミ過ごした日々
今も私の幻のなかによみがえる
今も心から消えないけれど
それは、もう取り戻せない遠い季節の輝き

光の中に消えゆく
キミの笑顔

*****

 


本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna(その5)

2011-07-05 05:10:56 | Laguna

しばらくぶりにLagunaさんの音楽について書きます。
Lagunaのボーカルのツルさん、体調を崩しておられ、現在静養中とご本人のブログ(ツル的☆写真ブログ)でのお知らせがありました。
一日も早い回復をお祈りしてます。

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「あさきゆめみし」

本格ドラマティックJ-POPユニット Lagunaさんのアルバム「私という名の小さな光」の3曲目に収録されている曲です。

「あさきゆめみし」はオフィシャルサイトで試聴できます。

(注:試聴サイトは携帯非対応です)
「私という名の小さな光」オフィシャル試聴サイト


isla de Laguna  (注:携帯非対応サイトです)

(Lagunaさんのオフィシャルサイト:光栄なことに、このブログもオフィシャルサイトのトップページでご紹介いただいてます)

「息吹」7部作(二人の女性を主人公にした物語)について、前回までに6曲をご紹介してきました。

主人公(1)の側の5曲
「虹」-「花」-「小さな翼」-「ねがい」-「私という名の小さな光」

主人公(2)の側の2曲
「息吹」-「あさきゆめみし」
(※)「息吹」は主人公(1)の「小さな翼」から枝分かれする形で、主人公(2)へと話がつながります。

「あさきゆめみし」という曲は、主人公(1)の「私という名の小さな光」とパラレルに進む主人公(2)の物語です。
主人公(2)については7曲中2曲しかないので、そう言う結論に結びつけるのは乱暴かも知れませんが、主人公(1)と主人公(2)のそれぞれの曲調を聴いていると、異なったものであるように聞こえます。
それは、ふたりの生きている(生きてきた)時間のなかには共有する大切な言葉があり、二人の進んでいる方向は同じなのですが、それぞれに流れる時間のスピードは異なったものであるように感じられます。

主人公(1)の女性の時の流れは主人公(2)の女性の時の流れよりも速く流れている、あるいは主人公(1)の女性は「光」の行方を探し求めているが故にあゆみが早くなっている。

「息吹」という曲のイントロはゆったりとしたオルゴールの音色で始まります。
そして、次第にテンポをあげながら歌へと入って行きます。

このテンポの違いが二人の時間の流れの違いを表現しているように思います。
「息吹」という曲で再会を果たす二人。そのことによって、ゆっくり流れていた主人公(2)の女性の時間の流れと主人公(1)の女性の時間の流れが再び同じ速さに(一時的に)戻ったという事なのだろうと想像します。


ふたりの間に存在する「時間」の流れの違いがあるために、主人公(2)の女性は、まるで夢をみているように感じているのではないかと、私は想像しています。
それが「あさきゆめみし」という曲で述べられた、主人公(2)の女性の感じた、「言葉」だったのではないかと思います。

主人公(2)の女性は、何故「ゆめ」を見ているように感じたのだろうかと、ずっとその意味を考えていました。
2曲+5曲の中で、想像するのは難しい部分もありますが、しばらく時間をおいて聴いて見たら、時間の流れ、速さの違いによるものだったのではないだろうかと。
作者の意図するもとも全く異なっているかも知れませんが、私はそのように感じました。


「あさきゆめみし」という曲については、自分のなかで今でも解釈しきれていません。
歌詞の要約を書いてれば、何か分かるかも知れないと思って、とりあえず書いてみました。
Lagunaさんの曲については、初めて書いた歌詞の要約です。

歌詞の要約
*****
日々暮らして来たこの街
いつもと同じ夕暮れ
そしていつもと同じ時間の中

あのときの言葉
キミと共に過ごしたときの
ふたりの言葉が心をよぎる

あのとき形には見えていなかったけれど
今にして思えば
ずっと探していたものかも知れない
あのとき流れた涙
それが探していたものかも知れない

キミとの別れと再会の春
その春の美しさは
私の胸を強く揺さぶる
春の息吹をのせ吹き抜ける風は
あの頃の想いを蘇らせる

何も変わらないと思っていた
何か変わってしまったと思っていた
私が探していたものは何?

今キミの事を思い出す
キミが探していたものは
見つかっただろうか

私はまだ探し続けています
今でもこの街でずっと

探し続ける日々
素晴らしき日々

キミと同じ言葉が見つかる時
その時私は笑っているだろうか

そのときまで私はこの街で生きてゆこう
キミと過ごした日々を思い出しながら

*****

「息吹」シリーズの曲について考えて見ると、主人公(1)の女性は「願いの中で生きてきた人」、主人公(2)の女性は「夢の中で生きて来た人」であるのかもしれないと思います。

彼女(主人公(2)の女性)の願いは自分の夢、ふたりの心をつなぐものは同じ

変わっていないようで、変わっている世界
変わっているようで、変わっていない世界
いまある日々こそが素晴らしき日々
それぞれの事象が錯綜し「ゆめ」のようであるのかも知れません。

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過去のLagunaさんに関する記事

本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna(その4)

本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna(その3)

本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna(その2)

本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna


本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna(その4)

2011-05-16 00:00:01 | Laguna

Lagunaさん関連の記事の第4弾です。

今回は少し短めです。

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「本格ドラマティックJ-POP Laguna(その4)」     


■1.「花」

「息吹」7部作については、前回までに5曲をご紹介してきました。


「花」という曲は、Lagunaさんのファーストアルバム「風立つ道」6曲目に収録されていて、「息吹」シリーズの1つでもあります。

私は「風立つ道」のCDを持っていないのでフルで聴くことは出来なかったのですが、オフィシャル動画にはストリートライブで歌う様子が公開されており、ここから聴くことが出来、聴きながら歌詞をメモしました。

オフィシャルライブ動画サイト「花」(YouTube)


「花」の「息吹」とのつながりは、ライナーノーツでの解説によると次のようになるそうです。

(A)「虹」→(B)「花」→(B)(「小さな翼」/(C)「息吹」)→(B)「ねがい」→(B)「私という名の小さな光」

(A):人物1(Bの女性の親)
(B):女性1
(C):女性2

「風立つ道」にはライナーノーツがないので、「花」の主人公が明確に(B)であるとは書かれてはいませんが、流れと歌詞の内容から想像しています。

スローバラードの切ないメロディの曲で、「花」の中にも他の曲とのつながりを強く感じさせる「言葉」が散りばめられています。
全篇ファルセットで、特にサビの高音部の澄んだ声は胸にグッと響いて来る曲です。


故郷で大切な人との別れ(と私は想像してます)が、その後の自分の行く先(目指す光の先)を、そして故郷との強いつながりを教えてくれています。
歌詞の内容は、「光」との対話という形で描かれています。タイトルの「花」=「光」(朝日、月、空等の故郷をあまねく照らす光)であることも歌詞の最後で語られています。


「息吹」の歌詞の中で「空には花を そしておやすみを」と語られています。この中でもやはり「花」は光の象徴、そして「おやすみ」=「夢」の入り口(旅立ち)なのだろうと想像しています。

■2.別れと旅立ち

「小さな翼」の中で出てくる「君を愛したわけ」という言葉は、「花」の中でも同じように語られていました。
「花」と「小さな翼」が強く結びつけられている言葉でもあり、かつて「愛したひと」が自分の進むべき道への旅立ちを促してくれたのだと思います。

前回(その3)で、「愛したわけ」には別れの意味が込められていて、その関連として「風花」、「コスモス」があるのではないかと書きました。

「コスモス」の歌詞、特に最後の部分で、大切な人と死別したとも想像できるような言葉があります。
この曲に限らず、私の曲の聴き方なのですが、死を想像させるような言葉があったとしても、明らかな場合を除いては極力「死」とは結びつかない解釈をするようにしています。

「コスモス」の中の「君の歩くスピードより もっと速く月日は流れた」は、「君」の時間の流れが断たれたのではなく、自分と「君」の流れる時間の向き(指し示す光の先)が違ったものになり、「二度と戻らない」結果になったと。

そう解釈すると、「風花」とのつながりも少なからずあるのではないかと思うにいたりました。

「死」を考えてしまうと、どうしてもその「静」という状況からは、旅立ちの「動」への動機付けとは考えにくいのではないかと思います。
「君」の旅立ちで自分との時間の流れは異なったものになったけれども、今でもお互いの時間はすすみ続けているということなのだと思います。


「花」という曲には、「ちいさな翼」に続く旅立ち、そして思い悩んだときに故郷へ戻る動機が記されています。

これらのことを、ここで整理します。
「息吹」連作の中でのつながりを、「風花」、「青い嵐」も含めて考えるとするならば、次のようになるだろうと考えています。

(画像クリックで拡大します)
・塗りつぶした曲名は、「息吹」関連曲ではありません。
・点線のつながりは回想を意味します。
・曲名枠の色を主人公別に分けてあります。


■3.「青い嵐」

前回(その3)で「風花」の役割は、他の曲と関連を共有しているとして、「コスモス」と「虹」からのつながりとして紹介しました。

今回、「花」を聴いていて、更に別の曲とのつながりがあるようにも感じられました。「青い嵐」という曲です。
この曲は、アルバム「風立つ道」の最終曲、更にアルバム「私という名の小さな光」の12曲目にライブバージョンが収録されています。


「風立つ道」オフィシャル試聴サイト


「私という名の小さな光」オフィシャル試聴サイト

「青い嵐」は静かなメロディの中にも深い切なさが込められている曲なのですが、最初にこの曲を聴いたときに、どうしてもこの曲の情景を思い浮かべることが出来ませんでした。静かなメロディなのに何故「嵐」なのか、語られている言葉の意味を具体的に想像することが出来ませんでした。


「青い嵐」の冒頭で語られる、「通り雨」の想い出は「虹」へつながる回想、そして、大切な人と別れる以前から夢を追い続けて旅立ちこれまでに続けてきた「遠い旅」、それぞれを想像させる言葉が埋め込まれているように思います。

それらの思いがせつない「嵐」となって胸の中に押し寄せる情景だから「青い嵐」としているのかも知れません。

「青い嵐」は先ほども書いたように、バラード調、伴奏もアコースティックギターを主体とした静かなメロディの曲なのですが、2コーラス目のサビから一気に押し寄せるような重厚なサウンドが重なってきます。

曲調に対してきつめかとも思えるくらいに、歪ませたギターの音色が間奏とコーダで入っているのですが、これは歌詞の中でも出てくる「ひぐらし」のざわめきを表現しているのだと思います。

ボーカルのツルさんの歌声、コーラスについては以前にも書いたのですが、この曲でのサビでのコーラスは、私は特に好きです。(ライブバージョンの方)

音階を結構離した声の重ね方にしているのですが、それが重なったときに「ズレ」のように聞こえてきます。
この「ズレ」は、表面では穏やかに別れを告げているのに、心の中では深い悲しみ、切なさが実はあるという「ズレ」を表現しているように思います。

この部分を聴くたびに、いつも凄いと感じてます。


■4.クロスオーバー

「青い嵐」の曲の中には「ひぐらし」という言葉が出てきます。「ひぐらし」という言葉については、「息吹」系の連作ではなく、「ひぐらし日記」という別の連作のキーワードになっているので、「息吹」のシリーズにつなげて考えることは適切では無いのかも知れません。

各アルバム作品の中にある楽曲を、無理に一つのストーリーに結びつけようとすると、作者の意図している空間的広がりが無くなり、一つの時間軸だけの物語になるため本当はそう言う聴き方ではいけないのかも知れませんが、私の中では関連性を持たせた方がより具体的にイメージ出来るように思いました。

「青い嵐」という曲は、大切な人との別れを回想するのですが、アルバム「息吹」の中にある「サヨナラ」という曲も大切な人との別れで、二人の進む道が別々になったことを歌っています。

「サヨナラ」という曲は「青い嵐」とは異なる曲調なのですが、出だしのフレーズは似ているようにも聞こえます。
もしかすると、「サヨナラ」という曲は、「青い嵐」とは別の、別れのシチュエーションを描いたものではないでしょうか。


どうしても、次々と関連づけて聴いてしまうのですが、一つの物語ではなく、別の物語の可能性の広がりをLagunaさんの作品は表現しようとしているのかも知れません。

そう言った中で、連作関連曲以外の「風花」、「青い嵐」という曲はそれぞれの物語にクロスオーバーする役割を果たしていると言えるかも知れません。

 


本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna(その3)

2011-05-04 00:00:01 | Laguna

最近この話題が多くなってしまいました。

今回は、全9部+あとがき という前回以上の長文です。

最後までお読みいただけたら幸いです。
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「本格ドラマティックJ-POP Laguna(その3)」     


■1.連作「息吹」の流れ

前回はアルバム「息吹」の中から関連作品のうち3つの曲、「小さな翼」、「息吹」、「ねがい」について紹介しました。

これらの曲の関連曲となる「虹」と「私という名の小さな光」は、それぞれ、アルバム「私のという名の小さな光」の1曲目、そして最終曲として収録されています。

ライナーノーツによると「息吹」7部作に含まれるうちの2曲だそうで、先日ご紹介した「小さな翼」、「息吹」、「ねがい」を含めると時間的つながりは次のようになります。

(A)「虹」→(B)(「小さな翼」/(C)「息吹」)→(B)「ねがい」→(B)「私という名の小さな光」

曲名の最初につけてある記号は、その曲を伝える人物についての分類で、(A)は人物1、(B)は女性1、(C)は女性2の立場で詞が語られていることを意味しています。

(A)の人物1は(B)の女性の親であることがライナーノーツに記されています。

「虹」と「私という名の小さな光」はそれぞれ、「息吹」7部作の最初と最後に当たる曲であり、いずれもアルバム「私という名の小さな光」に収録されています。
そして、ここまでで、息吹7部作のうち、これで5曲の曲名がでて来たことになります。

「虹」、「私という名の小さなひかり」はオフィシャルサイトで試聴できます。

「私という名の小さな光」オフィシャル試聴サイト



■2.「虹」

この作品は、「女性1」がこの世に生を受け、「その親」がその娘にたいして、心に描いていた(描こうとしていた)我が子に対する思い、願いを表現した曲です。

この曲で、幼い我が子に対する思いを表現する最も大切な言葉、それは作品全体のテーマの一つともなる(と私は考えています)「言葉」は曲の一番最後で、「光」として語られています。

曲最後のアコースティックの音色、そして語りかけるような歌声は、まさに我が子に対する「ねがい」を感じさせる優しさを心に響かせています。

Lagunaさんの作品の中には、作品全体を通して重要な意味を持つ「言葉」がたびたび登場します。
それは、アルバムのプロローグとなるこの曲でも随所に織り込まれています。
これらの言葉は、Lagunaさんの作品を聴く上では聞き流せないもので、文字には出来ても具体的形で表すことが難しいものばかりです(と私は思ってます)。

それ故に、この曲での主人公である「女性1の親」は、生まれたばかりの我が子に対して「この気持ちを伝えるのに、言葉はいらないと思った」と詞の中で言っています。その言葉は詞の中に情景描写とともに描かれています。これらの言葉がどのような意味で使われているかを想像詞ながら聴くと情景も心情も深まるのではないかと思います。


大切な言葉、それらは連作の中でも歌い継がれているのですが、その意味するところは連作の最終曲となる「私という名の小さな光」の中で語られることになります。


■3.「私という名の小さな光」

アルバム名と同一、タイトルナンバーとなるこの曲は、アルバムの締めくくりとして収録されています。
「小さな翼」、「ねがい」から、かなりの時間が過ぎて、今の自分が何をなすべきか、何を心の糧に進むべきかと思い悩んできたこれまでの道を振り返りながら、心に浮かんだ思いを語っています。

歌詞の冒頭、風に飛ばした紙飛行機、それは自分そのもの。
その飛び行く先は自分が歩んできた道のりであり、自分が生まれから両親がずっと願い続けてきてくれた「光」が指し示す未来。
心の中に最後に残ったもの。それは大切な人たちが今まで自分に伝えようとしていた。
そして、自分自身が追い続けた夢がなんだったのかは今もまだはっきりと見えていないけれども、「小さな翼」のキャンバス、そこに大切なものを描き込んでいこう。
これまで自分が歩んできた道を振り返り、自分なりに見えてきたものを

大サビで歌われる言葉。
「自分のために、誰かのために、今に出来ることは何だろう?」
この言葉はかつて、自分の親も(「虹」の中で)問い続けてきた言葉であり、その意味を自分も今問い続けていることに気づいたのだと思います。


「とても素敵なものに触れるたび 胸の震えるこの気持ちは 言葉にすればとても短いものだったと今はわかる」この曲の中で語られている思いです。

大切なものは、実は身近でシンプルなもので、それは簡単な言葉で語られていた。
それ(それら)は作品を通して、何度も語られて来た共通の「言葉」であったと思います。


■4.ドラマティックの広がり

Lagunaさんの作品を通して語られている共通する「言葉」。それぞれの作品を読み返してみると次のようなものがあります。

・世界観をつながりある空間とするための「空」という言葉
「太陽」、「雨」、「雲」、「星」、「夕日(夕暮れ)」

・夢、願いを意味する願望、目標の象徴としての「空」という言葉
「空」、「虹」、「星」

・想い出、夢等が存在した証を与える「大地」を象徴する言葉
「花(木)」、「風」、「道(坂道)」

・大切な人とのつながりとしての「心」を象徴する言葉
「笑顔」、「涙」、「願い」

・それらに「時間の流れ」を与える言葉
「歩く」

これらの広がり、つながり、流れ、全てを包み込むものとして「光」という言葉が使われているのだろうと思います。
それらが実は、言葉にすれば短いものだったと気づいた「言葉」だったのかも知れません。

そうすると、「私という名の小さな光」の主人公は、自分に「想い」を伝えようとして、どう伝えたら良いか分からず悩み続けていた「形にできないもの」を最終的には、それを表す「言葉」として受け止めたことになります。

アルバムに収録されている全ての曲を、強引に結びつけて解釈しようとは思っていませんが、私自身はこのように感じられました。

これは、私の個人的な1つの解釈に過ぎませんので、お聴きになる方の心の中で想像を広げると、また違った世界になるのかも知れません。


■5.「風花」

この曲は、アルバム「私という名の小さな光」に収録されていて、メロディ、サウンドアレンジはとても劇的で、心にとても響く感動的な曲だと思います。

作者は「ひぐらし」の鳴き声に思い入れがあるとライナーノーツの中で語っています。
2コーラス後、大サビ前の間奏、ギターソロの音色はエフェクターをかけ、ピッキングを際立たせないように押しつぶしたように「ひぐらし」のざわめきを表現しているようにも聴き取れます。

「風花」の季節は冬の頃で、蝉の鳴く季節ではないのですが、音で季節のズレを取り入れることによって、想い出がフラッシュバックするような回想シーンを差し込ませているのではないかと想像(妄想)しています。


「風花」は「息吹」7部作等、どの曲とも関連性がないとされていますが、ライナーノーツには、Lagunaの集大成的楽曲であり、言葉を選びに選んで作った曲だと書かれています。
しかし、歌詞を見てみるとその中には、先ほど列挙した言葉の多くが並んでいます。

特定の曲との結びつき(連作)の中で作られた曲ではないかも知れませんが、あらゆる曲との結びつきを意味する曲となっているのかも知れません。

「風花」には、旅立ち、別れの場面が描かれており、見送る側の強い想いが歌われている曲です。


■6.「風花」とのつながり

「風花」に関連曲がないことは先ほど書いた通りなのですが、「風花」との関連を「息吹」と「私という名の小さな光」の二つのアルバムの中から見つけることが許されるのならば、次のふたつの可能性があるように思えてなりません。
本当は「風立つ道」を含めた三つのアルバムで読み取るべきなのでしょうが、今私の手元にあるのはこの2枚のアルバムだけです。

(1)「虹」-「風花」-「私という名の小さな光」
・見送る人:「虹」の語り手(「私という名の小さな光」の語り手の親)
・見送られる人:「私という名の小さな光」の語り手=「小さな翼」の主人公

「虹」で描かれている、想い、探し続けた言葉が見つけられず、我が子に何をしてあげられずに悩み続け答えが見つからないまま、見送らなければならなかった心情、情景が思い描かれます。

個人的な事ですが、私の子を持つ親として「虹」の心情を思うとき、心に感じるものがあります。
「あまりにはやく大切な時は ふたりの前を黙って過ぎて行った」
私の場合、まだ旅立っていませんが、子供と過ごす時間は思っている以上に短いとの想いは、子供が生まれてた時からずっと心に想い続けてきたことです。
そう言った心情でこの曲を聴くと、思わず重ね合わせてしまいます。


(2)「コスモス」-「風花」-「小さな翼」
・見送る人:「コスモス」の語り手=「小さな翼」の主人公
・見送られる人:「コスモス」の中で恋した相手


■7.「風花」と「コスモス」、「小さな翼」

Lagunaさんの3枚のアルバムのうち2枚しか持ってないと、どうしても解釈、根拠が中途半端になってしまうのですが、現時点で私が想像しうる内容としてご理解ください。

「小さな翼」の大サビで、「君を愛したわけを時々は思い出す」という歌詞があります。
過去に大切な人との別れがあった事を想像させる1文です。
大サビで用いる重要な言葉であるのに、この部分だけがどうしても息吹7部作(私が実際に聴くことが出来るのは、CDを所持している中の6曲だけになるのですが)との関連が見いだせません。

故郷に帰る決意をした主人公の心情を考えると、その別れは東京に出てきてからではなく、故郷でのことなのだろうと思います。

「小さな翼」で語られた「愛した人との別れ」が具体的に描かれている曲はありません。(もしかしたら、「風立つ道」にあるのかも知れませんが)
そういった中で、「風花」がその場面だととらえる事も可能なのではないかと思います。


故郷での別れがあった事を想像できる曲は、アルバム「息吹」に収録されている「コスモス」しかありません。
「コスモス」は高校時代に恋していた(両思いの)人との想い出について歌われている曲です。しかし、その人とはもう2度と会うことはない(会えない)状況になって、当時のことを回想して涙する様子が描かれています。別れと会えなくなった状況については「コスモス」の中では触れられていません。

それ故に、「風花」での劇的な旅立ちと別れは、「コスモス」の別れの場面としても成り立ちうるように思います。

「風花」のシチュエーション設定となる駅は「コスモス」、「息吹」(「小さな翼」の主人公が帰る駅)と同じであることが、ライナーノーツで示されていて、設定としての整合性もあります。


そして、月日が過ぎ去った後の日々に、「風花」を含む出来事を思い出すこともあるのが「小さな翼」になります。

また、「コスモス」の前半には大切な想い出が語られています。
出来事は「風花」以前ですが、回想という時間順を考えると、「風花」以降になるのかも知れません。
「コスモス」の前半で語られる想い出部分については、先ほど書いた、「風花」の間奏でのひぐらしのざわめきをイメージさせるサウンドの中でフラッシュバックさせているようにも思えます。


■8.「コスモス」の曲風

ライナーノーツで解説されていますが、イントロ、サビ部分で刻まれているリズムはレゲエのリズムです。
ただ、そのリズムもコード進行に従って細やかに響きを変えてゆきます。それはJ-POP色を強く感じさせる部分でもあると私は思っています。
また、これはこの曲に限った事ではありませんが、Lagunaさんの音楽での主なサウンド構成は、ギター、シンセ
、ピアノ(キーボード)、ドラム、ベース(もしかしたらリズム系はシンセで作っているかも知れませんが)というシンプルな構成です。
「コスモス」の2コーラス目で重ねられているシンセの音色は、ストリングスを思わせるような使い方です。この曲に限らずLagunaさんの音楽は、ストリングスの音色、アレンジを感じさせる部分が多くあるように思います。
J-POP、歌謡曲というジャンルについては曲の世界観を広げるサウンドであり、私は音色がとても好きです。

もしかしたら、作者もそう言うことの意識があるのかも知れません。


■9.新しいアプローチ

Lagunaさんが描くアルバム作品、それぞれの場所、一見別々に起きている何でもない日常の出来事。同じ時間の流れの中でそれらの物語が当たり前にある、無関係なようで実は全てが身近な何かでつながっているという奇跡、それがドラマティックであるということを根底に描いているのだと思います。

アルバムの中で描かれてきた連作ものの作品は、つながりを埋めるための1部分としてそれぞれの曲が位置づけられています。
しかし「風花」については、複数ある曲どれともつながりを持つ可能性がある曲として考えられているのではないかと想像しています。

他の作品とは逆、もしくは全く別のアプローチをしている作品なのだろうと思います。

以上、私の勝手な解釈ですので、著しい誤解があるかも知れません。
もしそうでしたら、申し訳ございません。


■あとがき

河合奈保子さんがデビューしたのは30年以上前の事ですが、私はその頃から幸運にも奈保子さんの曲を聴く機会がありました。当時高校生だった私は、それほど深く曲を聴くことはなく、メロディやサウンドについて耳に心地よければ、それがいい曲だというように、感覚的にしか曲を聴いていなかったように思います。そして、残念なことに、奈保子さんが歌う曲の内容については理解することなく、次々とリリースされるシングル、アルバムの楽曲を聞いているだけでした。

奈保子さんの曲を深く聴いていなかったと書きました。しかし、心の中には奈保子さんの歌声が伝えていた歌がずっと残っていたから、長い時間が経過しても再び感じ取ることができたようにも思います。

約2年前、再び奈保子さんの曲(それまでにリリースされていた過去の曲)をCDで聴き始めた時に、奈保子さんの歌声はこんなにも素晴らしかったということに気づきました。

それ以来、奈保子さんの曲、どのように奈保子さんが歌声で伝えようとしていたのかをもっと強く感じたいと思ったことが、このブログで「歌詞の要約」として綴り始めたきっかけでした。

奈保子さんのオリジナル楽曲は200曲以上あります。1曲1曲について何回も聴き返して来て、まもなく全曲の「歌詞の要約」を記し終える所まできました。
そのことは、奈保子さんの歌声や作詞家さんの言葉の意味、作曲、編曲のメロディ、サウンドの表現にあらためて(初めてというべきかも知れません)気づくことになりました。


長くなりましたが、そう言った状況でLagunaさんの音楽に出会うことが出来たことは私にとって幸運だったと思っています。
奈保子さんの音楽を聴き直す前だったら、Lagunaさんの音楽の意味をおそらく私は感じ取ることすら出来なかったように思います。

 

 


本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna (その2)

2011-04-25 00:00:01 | Laguna

今日は(も)河合奈保子さんの話題ではありません。
済みません。
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「本格ドラマティックJ-POP Laguna(その2)」     


先日、紹介させていただいた Lagunaとういうユニットについてのご紹介(第2弾)です。

先日から聞き始めたLagunaさんの音楽について自分の頭の中を整理するという意味で書いてみました。
全文7部構成のという長文になってしまいました。

「■で始まる各節を1回分の投稿としてもよいくらいになってるなぁ。」と書き終えたあとで感じましたが、全文この1回で投稿します。

最後まで読んでいただけたら幸いです。


■1.Lagunaさんの人柄について
このブログを読んでくださっている、今でも河合奈保子さんを応援している方達にとって、歌のすばらしさや容姿の可愛さ・美しさだけでなく、奈保子さん自身の純粋で優しく思いやりのある人柄を、奈保子さんの大きな魅力と感じておられる方も多いのではないかと思います。

先日Lagunaさんのライブを見てきたことは書いたとおりです。
そのとき実際にお二人と話したときの印象、とても丁寧で優しさを感じられる対応でした。

また、これまでツルさんブログでコメントに対するお返事はどなたに対しても丁寧で、心使いを感じさせる内容で、思いやりのある人柄だと感じてました。
そう言う印象があったことも、今回Lagunaさんのライブに出かけてみたいと思った動機の一つになったのかも知れません。

今はライブハウスでの活動を中心にされておられるようですが、2007年頃は秋葉原でのストリートライブも精力的に行われていたようです。
その様子はオフィシャルHPのライブレポートでも多くの写真で紹介されています。

Laguna ☆ Street Live Report
(注:このリンク先は携帯対応ではありません。)

ここで掲載されている数々の写真を見ていて、Lagunaさんのお二人の人柄が良く出ていると感じました。


Lagunaさんについてちょっと気になったという方は、このライブレポートの写真を見ることをオススメします。
写真にはお二人の人柄の雰囲気を感じ取れる数々の表情があると私は思います。
そう言ったお人柄がらについても、Lagunaさんの魅力だと思います。

写真の多くはボーカルのツルさんですが、それは当然というか仕方ないですね(笑)


■2.「小さな翼」
前回は「息吹」という曲について紹介させていただきました。この曲は「息吹」という大きなテーマで作られた7部構成のうちの1曲にあたり、そのうち3曲がアルバム「息吹」に収録されています。
そして他の4曲は別のアルバム2枚に収録されています。つまり、アルバムの区切りを超えた3枚の中で表現されたテーマの作品なのです。

「小さな翼」は前回紹介した「息吹」と対になっている曲で、この曲はアルバム「息吹」のDISC2の4曲目に収録されています。


しかし、残念ながらオフィシャル試聴サイトでも公開されていないので、皆さんにその曲の雰囲気を感じていただくことが出来ません。

ちなみに前回も紹介いたしましたが、「息吹」は試聴サイトで聞くことができます。
DISC1の3曲目です。
「息吹」オフィシャル試聴サイト


(注:このリンク先は携帯対応ではありません。)

「小さな翼」はとてもテンポのいい曲です。外を歩きながらポータブルプレーヤーでこの曲を聴いていると、いつのまにか曲に歩調が合って、行進曲みたいになってしまいます。(笑)


■3.曲どうしのつながり
「息吹」と「小さな翼」で登場するのはふたりの女性です。高校時代、青春を共に過ごした間柄のふたり。

「息吹」では、卒業後もずっと故郷で毎日を過ごしている女性の側での、そして「小さな翼」では、卒業後に自らの夢を探し求めて東京へ旅立った女性の側での心情がそれぞれ描かれています。
両曲は数日以内の時間的つながりを持っていて、時間的順序は「小さな翼」が先になります。

卒業後自分の夢を探しているが、未だ見えない、夢に届かない毎日に何かを変えなければと迷い、故郷で夢を思い描いていた頃の事がふと心に浮かび、何かが見つかるかも知れないと思い立ったように電車に飛び乗り故郷へ戻っていくという話が「小さな翼」です。

それに続く「息吹」では、故郷に戻ってきた「小さな翼」の女性が再び東京に戻って行く場面を、ふたりで駅まで歩いてゆき、電車の扉がしまるまでの心情を見送る側(息吹側)の女性の立場で描いています。

「息吹」と「小さな翼」に登場するふたりの女性。それぞれが自分が本当に自分の思った生き方を今しているかという疑問を心に持ち悩み続け、昔共に夢や未来を語り合っていたときの気持ちを、ここで再会することで思いだし、それぞれの心の中に何かを見つけることになります。

「小さな翼」がテンポのいい曲であることは最初に書いた通りです。逆に「息吹」は切ないバラード調の曲です。
そして、それぞれの曲調の違いは、卒業後のふたりの女性の生き方を象徴しているのかもしれません。


■4.秘められたメロディ(想い)
こういった別の視点で描く手法は物語の中では時々あります。
描き方、表現方法は異なるかも知れませんが、私が最初に思い浮かべたのは「愛と哀しみのボレロ」でした。(この映画を最初にTVで見たときはつながりがなかなか見えず、?な思いだったことを今も覚えています。)

しかし、それをポップスという音楽作品アルバムの中で、楽曲を使って表現するという手法はとても新鮮です。

実は、それぞれの曲の中に込められた想いを表現しているのは歌詞だけではありませんでした。

「息吹」と「小さな翼」、共にそれぞれの曲で2コーラス後に大サビが入り、それから間奏へとつながります。
間奏で流れるメロディはエレキギターの音色で奏でられており、それぞれの曲で全く同じではありませんが非常に似たフレーズ(モチーフ)が使われています。

この間奏でのナカヤマさん(相方さん)の演奏がちょっと格好くて聞き惚れてしまいます。
また、大サビ部分の歌唱、特に「小さな翼」では長いフレーズのメロディで、ブレスする箇所がほとんどありません。それを一気に歌い上げるツルさんのボーカルにも聴き入ってしまうので、聴くたびにモチーフが同じかどうかなんてどうでもよくなって、聞き逃してしまいそうなんです(笑)。
(「小さな翼」の大サビ~間奏はボーカルも演奏もちょっと格好良すぎます。)

話は戻って、
間奏なので当然歌詞はありません。

それは、ふたりの女性が心に迷いを感じながらも、実は今でも「変わらぬ想い」を心の底では持っている。しかもその想いが実は共通しているということを表現しているように思います。
それを歌詞で表現しないのは、彼女たちにもはっきりとした形で「見えていない」、または「今は見失っている」ということを聴き手に伝えているのかも知れません。

メロディで物語(曲)間のつながりや想いを表現出来るのは、音楽ならではの手法です。このアルバム作品にグッと心を引き込まれます。

「3.曲どうしのつながり」の最後で書いた、二つの曲調の違いはそれぞれの生き方の象徴という点について、「小さな翼」が行進曲風ということや、大サビで息をもつかせぬメロディになっていると言うことは、「小さな翼」の女性の東京に出てきてからの生き方はひたすら走り(歩き)続けてきたという事の表現なのかも知れません。


■5.「ねがい」
アルバム「息吹」に含まれるもう一つの関連曲、「ねがい」はこのアルバムの最終曲として収録されています。
「息吹」の最後で再び東京に戻る「小さな翼」の女性が、夜遅く降り立った都会の駅から家まで歩く間に心にはっきりと浮かんだ想いについてを「ねがい」の中で描いています。

さきほど書いた、「息吹」と「小さな翼」に共通するモチーフは、「ねがい」の中で三たび流れることになります。
それは、この曲の大サビで具体的な言葉(歌詞)で語られて(歌われて)います。
あのとき心に思い描いていた夢は今も変わらずそれぞれの胸の中に咲き続けていると。

「ねがい」のシチュエーションは、流星群が見られる夜という劇的な場面の中で思い至るという設定になっています。
自分がずっと心に描いていた夢をかなえるために何をすべきだったのか、はっきりと見えないまま走り続けてきたけれど、いま心の中にはっきりと見えたものが、「ねがい」を叶えるために最も大切だったと気づきます。
そして降り注ぐ流れ星の下で、「ねがい」を叶えるための思いをあらたにする。

この曲では「息吹」の側の女性の気持ちは描かれていませんが、大サビでのメロディを共通に取り入いれていることを考えると、おそらくふたりの女性ともに根底にあるのは同じ思いだったのではないかと想像できます。

このつながりを知った時、今までこのような表現をした音楽作品に出会ったことは初めてで、大きな感動を覚えました。

アルバムのライナーノーツにはこれらの3曲は関連曲で、それぞれのシチュエーションの紹介はありましたが、同じ(似た)フレーズを仕込んでいることまでは書いてありませんでした。
そこまでライナーノーツに書かれてしまうと、聴き手側の想像が狭まってしまうので、曲を聴いたときの感動は逆に薄れてしまうので、あえて「書かない、聴き手に任せる、聴き手次第」という解説の仕方もよく考えられていると思います。
実は、同じアルバムの全く別の曲の解説にヒントがあったりもします。


■6.ドラマティックとは
「息吹」、「小さな翼」、「ねがい」の中で似たフレーズが出てくることはCDを聞き始めてから比較的早い段階で気づいていたのですが、それがどういう意味を持っているかということまでは最近まで全く理解できていませんでした。
その時、ライナーノーツの解説を読んでも「?マーク」が頭の中に増えていくばかりでした。

実は前回、「息吹」の紹介を書いて一旦投稿しながら修正削除していました。それは、Lagunaの音楽が持つ、そしてグループの肩書きにまでつける「ドラマティック」とは何だろう?ということについてでした。「?」が頭の中を埋め尽くしている段階でこれを語るのは時期尚早と思い、迷ったあげくそのときは削除しました。

その意味についは、今もまだほんの一部しか自分には見えてはいないと思います。
一つの事象(日常や物語)、あるいは同じ場所でもそこに居合わせた別々の人に関することを多面的、それぞれの当事者からの視点で描いていることについてはライナーノーツでも説明されていましたが、それが言葉だけではなく、メロディの中にダイナミックに表現されていることが「ドラマティック」につながっているのではないかと感じています。

「息吹」と「小さな翼」。いずれの曲もメロディ、歌声ともに聴き入ってしまうほどそれぞれの曲単体でも感動し、十分に曲を楽しめる作品です。

先ほど書いたように、仕込まれたフレーズがとても格好良くギターで奏でられているので、聴き入ってしまうとそのつながりを完全に見落としてしまいます。

曲どうしでのつながりにかかわらず、これらの曲を単に楽しみたいという考えで聴くのも、もちろんあると思いますし、そう言う楽しみ方も正当な考えだとも思います。


●追記(2011.4.28)
「小さな翼」のライナーノーツの中には、「大サビ」のメロディと間奏でのギターソロのメロディをどちらにするか(入れ替えるべきか)しばらく迷っていたという事が記されています。
そして、大サビとギターソロが「もし逆であったら、中盤の雰囲気も違ったものになっていたかも知れません」とも記されています。

それは、この曲での大サビがもつ意味合いを考えると、そこにつながるためのメロディにも変化が起きるのは当然だと思います。
更に、「息吹」や「ねがい」という作品とのつながりを考えると、その変化は「小さな翼」だけには収まらないように思います。

その変化だけで、登場するふたりの女性のそれぞれの心情は「時間の経過と共に異なったものになってしまった」と解釈できることにもなります。もしかしたら、「息吹」や「ねがい」の歌詞、メロディにも変化が起きてたかも知れません。

「小さな翼」での今の大サビ、ギターソロの選択は偶然か必然かは私には分かりませんが、その選択1つで物語が大きく動くという可能性を秘めているアルバム「息吹」は、まさに「ドラマティック」なのだと言えるのかも知れません。


■7.素敵な歌声
前回のLagunaさんに関する投稿にも書いたのですが、Lagunaのボーカルは「ツル」さん(オフィシャルHPにはちゃんとその方のお名前が書いてありますが、ブログ等でご自分もこういう書き方をされてることが多いようです)という女性の方です。

曲毎にその立場で心を込めて表現していることがよく感じられ、歌声には曲それぞれで異なった響きがあります。
また、歌声だけでなく各曲の随所で用いられているセルフコーラスも多彩で、同じ声で重ねて厚みを増すだけでなく音階(高い側にも、低い側にも)や声質を変え(しかも何種類もある)、ハモりも入れられて更に曲の広がり、深みを出しています。
自分の声で重ねているだけなのに、その歌声、ハーモニーは違った声で心に届くのがとても不思議です。

Lagunaさんの場合、圧倒的歌唱力(そもそも、歌唱力とは何かという考え方もありますが)で押すタイプの歌い手さんではないと私は思っているのですが、それ故にその歌声には、よりいっそう表現する心が表れるのではないかと思います。

河合奈保子さん以外で、これほど素敵な歌声を持っている方と思ったのはLaguna(ツルさん)が初めてでした。

もちろんこれまでにも、1曲1曲について感動を覚えた歌い手さんは何人もいました。しかし、複数曲、アルバム作品を通してそう感じられたのは、私の中では奈保子さんとツルさん、このふたりだけです。

今回紹介したアルバム「息吹」のなかの1曲を聴いただけでは、「この人はそう言う歌声だ」と思われるかも知れません。興味を持たれた方は他の曲も聴いて見てください。何かを感じることが出来るかも知れません。

河合奈保子さんと異なる声質ではありますが、ツルさんの歌声、奈保子さん同様に私はとても好きです。

試聴サイトの音源はCDと比べるとやや音質が落ちるようなので、CDで聴くといっそうよく感じられると思います。
(と、最後は宣伝っぽくなりました)


●追記(2011.4.28)
LagunaさんのCDアルバムについては「息吹」と「私という名の小さな光」の2枚を同時に入手し、先に「私という名の小さな光」から聞き始めました。
その後、「息吹」の中から気になった曲のいくつか(2枚組アルバムの大作なので)選んで聴いていてたのですが、歌声が前のアルバムとちょっと違うなと、その時思いました。ふたつのアルバムのリリース間隔は約3年。
3年で若干声が変わったのかなと思いながら、他の曲を聴くと「私という名の小さな光」と同じ歌声が聞こえて来ました。

この時に、実は曲毎に歌声を変えている。しかも、あからさまな歌い方の変え方ではなく自然にその歌声が出ているように思え、もう一度、「私という名の小さな光」を聴くと、全ての曲でその曲ならではの歌い方(感情表現につながると思いますが)をしていると気づきました。

こうして、この2枚のCDを同時に聴いたことが、Lagunaさんの歌の表現を感じることができ、ツルさんの歌声のすばらしさに気づくことができたきっかけでした。

アルバムの中の様々なシチュエーションが心に深く感じられるのは、歌詞、メロディ、サウンドだけでなく、それぞれの情景を歌い手であるツルさんが心を込めて表現した歌い方をしている部分も大きいと私は思っています。

この節の始めに「歌声には曲それぞれで異なった響きがあります」と書きました。
この1行、実はこのような事を本当は書きたかったのですが、ちょっと省略しすぎたと思い追記しました。

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次回の投稿はもちろん奈保子さんの曲で、「黄昏ブルー」を予定しています。

 


本格ドラマティックJ-POPユニット Laguna(その1)

2011-04-16 01:55:38 | Laguna

いつもご訪問いただいている皆様には申し訳ありませんが、
今回は河合奈保子さんの話題ではありません。
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「本格ドラマティックJ-POP」     

この不思議な肩書きに私が出会ったのは1年近く前になると思います。
私のブログも登録している「ブログ村」のJ-POPのサイトを巡っている時に
偶然見かけたのがきっかけでした。
Lagunaというグループのボーカルのツルさん(女性)のブログ。
しばらくは、ただ拝見するだけのROMで楽しませていただいておりました。
約半年前にツルさんが体調崩されブログしばらく休みます
という書き込み(2010.9.16)をされて心配になり、
初めてコメントさせていただきました。
それ以来、時々ツルさんブログに遊びに行かせていただいております。

先週4月9日(土)に秋葉原のライブハウスで行われた
Lagunaさんのライブに行ってきました。
以前からブログで何度かコメントさせて頂いてはおりましたが、
Lagunaさんを知ってから約1年経って、
ちゃんと音楽を聴くのは初めてのことでした。

Lagunaのお二人とも茨城県にお住まいの方では、
先の震災で大事こそなかったようですが、
今も厳しい環境のなかで過ごされておられる中、
今回ライブを開催されたとのことでした。

そのライブの中での1曲「息吹」。
(「息吹」という2枚組アルバムのタイトルナンバー)

ふたりの女性の友人同士が久しぶりの故郷での再開後、
再び都会に戻るひとり見送る別れのなかでの心情を描いた曲なのですが、
立ち直る何かの想いが届けばとこの曲を選んだ理由の一つであると仰ってました。

Lagunaさんのオフィシャルサイトで、その曲をフル試聴することができます。
素敵な曲だと思いますので、一度聴かれてみてはいかがでしょうか。

Disc1の3曲目。リンク先にある曲名をクリックすると試聴できます。
「息吹」オフィシャル試聴サイト



Laguna ツルさんのブログ
ツル的☆写真ブログ
音楽の話が1/3くらい、他はスイーツとリラックマです。女性らしくていいですね。(笑)

ライブの後、ツルさん、相方のナカヤマさん(男性)とも直接お話できました。
お二人とも気さくに、そして丁寧に対応していたき本当に素敵な方達でした。

「息吹」、サビのメロディを辿りながら儚くも
止まろうとしている優しいオルゴールの音色。
想いが再び蘇るかのように再び動き出し、
リズムを刻みはじめ歌い出しとなるイントロ部分を聴いているだけで、
私思わず涙が出そうになります。

ボーカルはツルさん、作詞、作曲、アレンジはナカヤマさん。
お二人でLagunaの音楽を作り上げているそうです。

ご自身たちはそれぞれ、「歌担当」、「歌以外担当」と仰っているようです。(笑)
ちなみに、「本格ドラマティックJ-POP」という肩書きはツルさんが考えてくれたと、
上記の試聴サイトにある「息吹」セルフライナーノーツ
(ナカヤマさんが書いてます)に書かれてます。


私はこのブログで河合奈保子さんの歌声を純粋さゆえの切なさと表現しています。
ツルさんの歌声も切なさが感じられますが、奈保子さんとは異なり、
優しさの中に切なさを秘めていて、自然に心の中に染み入ってくる歌声のように思いました。

そして、メールでこのことをツルさんに感想として述べさせて頂きました。
ツルさんは私が河合奈保子さんについてのブログを書いていることをご存じです。
お返事は、「河合奈保子さんと比べて頂いて光栄です。」と
好意的に受け止めて頂きました。


Lagunaさんの「ドラマティック」という言葉の意味はその作品にあるようです。
それについては、今回は文章が長くなりすぎたので、
また別の機会にしたいと思っています。


今回出かけたライブは、小さめの会場でした。
手の届きそうな程の距離で歌い手さんたちの表情がよく見えて、
より深く曲、歌を感じる事が出来る場所でした。

将来、こういう場所で奈保子さんの歌を聴くことが出来たら
どんなにいいだろうとも強く思いました。

次回は、順番通り「砂の傷あと」について書く予定です。
この曲は「あるばむ」の中で私が一番好きな曲です。