今日は(も)河合奈保子さんの話題ではありません。
済みません。
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「本格ドラマティックJ-POP Laguna(その2)」
先日、紹介させていただいた Lagunaとういうユニットについてのご紹介(第2弾)です。
先日から聞き始めたLagunaさんの音楽について自分の頭の中を整理するという意味で書いてみました。
全文7部構成のという長文になってしまいました。
「■で始まる各節を1回分の投稿としてもよいくらいになってるなぁ。」と書き終えたあとで感じましたが、全文この1回で投稿します。
最後まで読んでいただけたら幸いです。
■1.Lagunaさんの人柄について
このブログを読んでくださっている、今でも河合奈保子さんを応援している方達にとって、歌のすばらしさや容姿の可愛さ・美しさだけでなく、奈保子さん自身の純粋で優しく思いやりのある人柄を、奈保子さんの大きな魅力と感じておられる方も多いのではないかと思います。
先日Lagunaさんのライブを見てきたことは書いたとおりです。
そのとき実際にお二人と話したときの印象、とても丁寧で優しさを感じられる対応でした。
また、これまでツルさんブログでコメントに対するお返事はどなたに対しても丁寧で、心使いを感じさせる内容で、思いやりのある人柄だと感じてました。
そう言う印象があったことも、今回Lagunaさんのライブに出かけてみたいと思った動機の一つになったのかも知れません。
今はライブハウスでの活動を中心にされておられるようですが、2007年頃は秋葉原でのストリートライブも精力的に行われていたようです。
その様子はオフィシャルHPのライブレポートでも多くの写真で紹介されています。
Laguna ☆ Street Live Report
(注:このリンク先は携帯対応ではありません。)
ここで掲載されている数々の写真を見ていて、Lagunaさんのお二人の人柄が良く出ていると感じました。
Lagunaさんについてちょっと気になったという方は、このライブレポートの写真を見ることをオススメします。
写真にはお二人の人柄の雰囲気を感じ取れる数々の表情があると私は思います。
そう言ったお人柄がらについても、Lagunaさんの魅力だと思います。
写真の多くはボーカルのツルさんですが、それは当然というか仕方ないですね(笑)
■2.「小さな翼」
前回は「息吹」という曲について紹介させていただきました。この曲は「息吹」という大きなテーマで作られた7部構成のうちの1曲にあたり、そのうち3曲がアルバム「息吹」に収録されています。
そして他の4曲は別のアルバム2枚に収録されています。つまり、アルバムの区切りを超えた3枚の中で表現されたテーマの作品なのです。
「小さな翼」は前回紹介した「息吹」と対になっている曲で、この曲はアルバム「息吹」のDISC2の4曲目に収録されています。
しかし、残念ながらオフィシャル試聴サイトでも公開されていないので、皆さんにその曲の雰囲気を感じていただくことが出来ません。
ちなみに前回も紹介いたしましたが、「息吹」は試聴サイトで聞くことができます。
DISC1の3曲目です。
「息吹」オフィシャル試聴サイト
(注:このリンク先は携帯対応ではありません。)
「小さな翼」はとてもテンポのいい曲です。外を歩きながらポータブルプレーヤーでこの曲を聴いていると、いつのまにか曲に歩調が合って、行進曲みたいになってしまいます。(笑)
■3.曲どうしのつながり
「息吹」と「小さな翼」で登場するのはふたりの女性です。高校時代、青春を共に過ごした間柄のふたり。
「息吹」では、卒業後もずっと故郷で毎日を過ごしている女性の側での、そして「小さな翼」では、卒業後に自らの夢を探し求めて東京へ旅立った女性の側での心情がそれぞれ描かれています。
両曲は数日以内の時間的つながりを持っていて、時間的順序は「小さな翼」が先になります。
卒業後自分の夢を探しているが、未だ見えない、夢に届かない毎日に何かを変えなければと迷い、故郷で夢を思い描いていた頃の事がふと心に浮かび、何かが見つかるかも知れないと思い立ったように電車に飛び乗り故郷へ戻っていくという話が「小さな翼」です。
それに続く「息吹」では、故郷に戻ってきた「小さな翼」の女性が再び東京に戻って行く場面を、ふたりで駅まで歩いてゆき、電車の扉がしまるまでの心情を見送る側(息吹側)の女性の立場で描いています。
「息吹」と「小さな翼」に登場するふたりの女性。それぞれが自分が本当に自分の思った生き方を今しているかという疑問を心に持ち悩み続け、昔共に夢や未来を語り合っていたときの気持ちを、ここで再会することで思いだし、それぞれの心の中に何かを見つけることになります。
「小さな翼」がテンポのいい曲であることは最初に書いた通りです。逆に「息吹」は切ないバラード調の曲です。
そして、それぞれの曲調の違いは、卒業後のふたりの女性の生き方を象徴しているのかもしれません。
■4.秘められたメロディ(想い)
こういった別の視点で描く手法は物語の中では時々あります。
描き方、表現方法は異なるかも知れませんが、私が最初に思い浮かべたのは「愛と哀しみのボレロ」でした。(この映画を最初にTVで見たときはつながりがなかなか見えず、?な思いだったことを今も覚えています。)
しかし、それをポップスという音楽作品アルバムの中で、楽曲を使って表現するという手法はとても新鮮です。
実は、それぞれの曲の中に込められた想いを表現しているのは歌詞だけではありませんでした。
「息吹」と「小さな翼」、共にそれぞれの曲で2コーラス後に大サビが入り、それから間奏へとつながります。
間奏で流れるメロディはエレキギターの音色で奏でられており、それぞれの曲で全く同じではありませんが非常に似たフレーズ(モチーフ)が使われています。
この間奏でのナカヤマさん(相方さん)の演奏がちょっと格好くて聞き惚れてしまいます。
また、大サビ部分の歌唱、特に「小さな翼」では長いフレーズのメロディで、ブレスする箇所がほとんどありません。それを一気に歌い上げるツルさんのボーカルにも聴き入ってしまうので、聴くたびにモチーフが同じかどうかなんてどうでもよくなって、聞き逃してしまいそうなんです(笑)。
(「小さな翼」の大サビ~間奏はボーカルも演奏もちょっと格好良すぎます。)
話は戻って、
間奏なので当然歌詞はありません。
それは、ふたりの女性が心に迷いを感じながらも、実は今でも「変わらぬ想い」を心の底では持っている。しかもその想いが実は共通しているということを表現しているように思います。
それを歌詞で表現しないのは、彼女たちにもはっきりとした形で「見えていない」、または「今は見失っている」ということを聴き手に伝えているのかも知れません。
メロディで物語(曲)間のつながりや想いを表現出来るのは、音楽ならではの手法です。このアルバム作品にグッと心を引き込まれます。
「3.曲どうしのつながり」の最後で書いた、二つの曲調の違いはそれぞれの生き方の象徴という点について、「小さな翼」が行進曲風ということや、大サビで息をもつかせぬメロディになっていると言うことは、「小さな翼」の女性の東京に出てきてからの生き方はひたすら走り(歩き)続けてきたという事の表現なのかも知れません。
■5.「ねがい」
アルバム「息吹」に含まれるもう一つの関連曲、「ねがい」はこのアルバムの最終曲として収録されています。
「息吹」の最後で再び東京に戻る「小さな翼」の女性が、夜遅く降り立った都会の駅から家まで歩く間に心にはっきりと浮かんだ想いについてを「ねがい」の中で描いています。
さきほど書いた、「息吹」と「小さな翼」に共通するモチーフは、「ねがい」の中で三たび流れることになります。
それは、この曲の大サビで具体的な言葉(歌詞)で語られて(歌われて)います。
あのとき心に思い描いていた夢は今も変わらずそれぞれの胸の中に咲き続けていると。
「ねがい」のシチュエーションは、流星群が見られる夜という劇的な場面の中で思い至るという設定になっています。
自分がずっと心に描いていた夢をかなえるために何をすべきだったのか、はっきりと見えないまま走り続けてきたけれど、いま心の中にはっきりと見えたものが、「ねがい」を叶えるために最も大切だったと気づきます。
そして降り注ぐ流れ星の下で、「ねがい」を叶えるための思いをあらたにする。
この曲では「息吹」の側の女性の気持ちは描かれていませんが、大サビでのメロディを共通に取り入いれていることを考えると、おそらくふたりの女性ともに根底にあるのは同じ思いだったのではないかと想像できます。
このつながりを知った時、今までこのような表現をした音楽作品に出会ったことは初めてで、大きな感動を覚えました。
アルバムのライナーノーツにはこれらの3曲は関連曲で、それぞれのシチュエーションの紹介はありましたが、同じ(似た)フレーズを仕込んでいることまでは書いてありませんでした。
そこまでライナーノーツに書かれてしまうと、聴き手側の想像が狭まってしまうので、曲を聴いたときの感動は逆に薄れてしまうので、あえて「書かない、聴き手に任せる、聴き手次第」という解説の仕方もよく考えられていると思います。
実は、同じアルバムの全く別の曲の解説にヒントがあったりもします。
■6.ドラマティックとは
「息吹」、「小さな翼」、「ねがい」の中で似たフレーズが出てくることはCDを聞き始めてから比較的早い段階で気づいていたのですが、それがどういう意味を持っているかということまでは最近まで全く理解できていませんでした。
その時、ライナーノーツの解説を読んでも「?マーク」が頭の中に増えていくばかりでした。
実は前回、「息吹」の紹介を書いて一旦投稿しながら修正削除していました。それは、Lagunaの音楽が持つ、そしてグループの肩書きにまでつける「ドラマティック」とは何だろう?ということについてでした。「?」が頭の中を埋め尽くしている段階でこれを語るのは時期尚早と思い、迷ったあげくそのときは削除しました。
その意味についは、今もまだほんの一部しか自分には見えてはいないと思います。
一つの事象(日常や物語)、あるいは同じ場所でもそこに居合わせた別々の人に関することを多面的、それぞれの当事者からの視点で描いていることについてはライナーノーツでも説明されていましたが、それが言葉だけではなく、メロディの中にダイナミックに表現されていることが「ドラマティック」につながっているのではないかと感じています。
「息吹」と「小さな翼」。いずれの曲もメロディ、歌声ともに聴き入ってしまうほどそれぞれの曲単体でも感動し、十分に曲を楽しめる作品です。
先ほど書いたように、仕込まれたフレーズがとても格好良くギターで奏でられているので、聴き入ってしまうとそのつながりを完全に見落としてしまいます。
曲どうしでのつながりにかかわらず、これらの曲を単に楽しみたいという考えで聴くのも、もちろんあると思いますし、そう言う楽しみ方も正当な考えだとも思います。
●追記(2011.4.28)
「小さな翼」のライナーノーツの中には、「大サビ」のメロディと間奏でのギターソロのメロディをどちらにするか(入れ替えるべきか)しばらく迷っていたという事が記されています。
そして、大サビとギターソロが「もし逆であったら、中盤の雰囲気も違ったものになっていたかも知れません」とも記されています。
それは、この曲での大サビがもつ意味合いを考えると、そこにつながるためのメロディにも変化が起きるのは当然だと思います。
更に、「息吹」や「ねがい」という作品とのつながりを考えると、その変化は「小さな翼」だけには収まらないように思います。
その変化だけで、登場するふたりの女性のそれぞれの心情は「時間の経過と共に異なったものになってしまった」と解釈できることにもなります。もしかしたら、「息吹」や「ねがい」の歌詞、メロディにも変化が起きてたかも知れません。
「小さな翼」での今の大サビ、ギターソロの選択は偶然か必然かは私には分かりませんが、その選択1つで物語が大きく動くという可能性を秘めているアルバム「息吹」は、まさに「ドラマティック」なのだと言えるのかも知れません。
■7.素敵な歌声
前回のLagunaさんに関する投稿にも書いたのですが、Lagunaのボーカルは「ツル」さん(オフィシャルHPにはちゃんとその方のお名前が書いてありますが、ブログ等でご自分もこういう書き方をされてることが多いようです)という女性の方です。
曲毎にその立場で心を込めて表現していることがよく感じられ、歌声には曲それぞれで異なった響きがあります。
また、歌声だけでなく各曲の随所で用いられているセルフコーラスも多彩で、同じ声で重ねて厚みを増すだけでなく音階(高い側にも、低い側にも)や声質を変え(しかも何種類もある)、ハモりも入れられて更に曲の広がり、深みを出しています。
自分の声で重ねているだけなのに、その歌声、ハーモニーは違った声で心に届くのがとても不思議です。
Lagunaさんの場合、圧倒的歌唱力(そもそも、歌唱力とは何かという考え方もありますが)で押すタイプの歌い手さんではないと私は思っているのですが、それ故にその歌声には、よりいっそう表現する心が表れるのではないかと思います。
河合奈保子さん以外で、これほど素敵な歌声を持っている方と思ったのはLaguna(ツルさん)が初めてでした。
もちろんこれまでにも、1曲1曲について感動を覚えた歌い手さんは何人もいました。しかし、複数曲、アルバム作品を通してそう感じられたのは、私の中では奈保子さんとツルさん、このふたりだけです。
今回紹介したアルバム「息吹」のなかの1曲を聴いただけでは、「この人はそう言う歌声だ」と思われるかも知れません。興味を持たれた方は他の曲も聴いて見てください。何かを感じることが出来るかも知れません。
河合奈保子さんと異なる声質ではありますが、ツルさんの歌声、奈保子さん同様に私はとても好きです。
試聴サイトの音源はCDと比べるとやや音質が落ちるようなので、CDで聴くといっそうよく感じられると思います。
(と、最後は宣伝っぽくなりました)
●追記(2011.4.28)
LagunaさんのCDアルバムについては「息吹」と「私という名の小さな光」の2枚を同時に入手し、先に「私という名の小さな光」から聞き始めました。
その後、「息吹」の中から気になった曲のいくつか(2枚組アルバムの大作なので)選んで聴いていてたのですが、歌声が前のアルバムとちょっと違うなと、その時思いました。ふたつのアルバムのリリース間隔は約3年。
3年で若干声が変わったのかなと思いながら、他の曲を聴くと「私という名の小さな光」と同じ歌声が聞こえて来ました。
この時に、実は曲毎に歌声を変えている。しかも、あからさまな歌い方の変え方ではなく自然にその歌声が出ているように思え、もう一度、「私という名の小さな光」を聴くと、全ての曲でその曲ならではの歌い方(感情表現につながると思いますが)をしていると気づきました。
こうして、この2枚のCDを同時に聴いたことが、Lagunaさんの歌の表現を感じることができ、ツルさんの歌声のすばらしさに気づくことができたきっかけでした。
アルバムの中の様々なシチュエーションが心に深く感じられるのは、歌詞、メロディ、サウンドだけでなく、それぞれの情景を歌い手であるツルさんが心を込めて表現した歌い方をしている部分も大きいと私は思っています。
この節の始めに「歌声には曲それぞれで異なった響きがあります」と書きました。
この1行、実はこのような事を本当は書きたかったのですが、ちょっと省略しすぎたと思い追記しました。
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次回の投稿はもちろん奈保子さんの曲で、「黄昏ブルー」を予定しています。