昨日の午後5時、以前から約束していた方と市役所1階ロビーで待ち合わせしていました。時間どおりに到着し、お互いに名刺交換を。差し出され た名刺の表には”足利事件 冤罪(えんざい)被害者 菅家利和”と書いていました。早速、菅家さんと国民救援会のメンバーで岩倉市長を表敬訪問。(添付写真:右)初対面の市長は、菅家さんに労いの言葉を含め、「近隣には道内最大の温泉もあり、時間があれば(温泉で)身体を休めて下さい。”冤罪”は繰り返してはならない・・・」と激励の言葉をかけました。菅家さんからは「犯人でもないのに犯人にさせられ、本当に辛かった。家族も含め音信不通に、(私には)味方がいなかった。DNA再鑑定がなかったら今の私はいない」、「私を支援する人たちがいることを知って希望が見えた!」と苦労話と国民救援会との出会いを紹介しながら30分間の懇談を終えました。(市長はエレベーター前まで見送ってくれました)
同行した国民救援会のメンバーから「渡辺議員、こういう機会ですから、菅家さん とツーショットを」と握手しての写真を撮ってくれました。(添付写真:左)
今日は午後1時半からプリンスホテルを会場に”足利事件を語る市民の会”が開かれ、椅子を追加する盛況ぶり。もちろん、主役は菅家利和さんと再審請求弁護人のひとりの笹森学弁護士です。笹森弁護士から1990年5月12日の事件日から宇都宮地裁で無罪判決が確定した2010年3月26日までの19年10ヶ月間を詳細に報告されました。冤罪を裏付ける決め手は、DNA鑑定のあり方と自 白の二つです。改めて菅家さんから報告がありました。「91年12月1日の朝、刑事が2人入ってきて、いきなりお前が”犯人”だ!(肘鉄砲をくらう)もう一人の刑事は子供の写真を見せて”謝れ”。(私が)合掌すると、やっぱりお前が犯人だ」とすぐに連行され、朝から深夜まで「お前がやったんだ(繰り返し)証拠はあると足蹴り、毛髪を何度引っ張られたか!”疲れと眠気”に耐え切れず、自作自演の自白を・・・」と”自白”の経過が説明されました。犯人ではないので、事件で報道されている情報を想定して考えたそうです。いま、調書(一問一答ではなく、また聞きをして作成)が問題になり、可視化の有無が問われています。確かに、取調の行き過ぎで”冤罪”を作り出している事例がたくさんあります。専門家には「少なくとも取調の時に録画・録音することが第1歩。あとは裁判のなかで事実を検証すべき」であり「すべてを可視化」すると今回のように証拠品を偽装される場合の対応が出てくる、と考えると難しい問題です。
菅家さんの趣味はカラオケ。「昔の御三家。なかでも橋幸夫が大好き」とのこと。以外な一面を知りました。今後の生き方について、「(私と同じ)冤罪で苦しんでいる人を支援したい。9/15付けで自動車普通免許を取得した」と最後に笑顔で語ったことが印象的でした。今後も(全国展開の活動だけに)健康に留意して頑張ってください。
明日(10/3)は"もみじまつり"(主催:日本共産党苫小牧地区委員会)が午前10時から若草中央公園(お祭り会場)で開催。市議選の予定候補の発表を行います。
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