むさしの連歌会

雅な和歌の言葉で連歌を楽しむ会、一度、のぞいてみませんか?

11月7日 浄光明寺で第二回の「鎌倉連歌会」を開催しました

2019年11月10日 | 近況

晴れ上がった秋空の下、鎌倉の名刹「浄光明寺」で、昨年に続き第二回の鎌倉連歌会を開催しました。浄光明寺は、鎌倉時代の歌人(定家の孫)で連歌の一つの源流ともなった冷泉為相(れいぜいためすけ)卿ゆかりのお寺です。高校で習う「十六夜日記」の著者、阿仏尼の子息という方が分かりやすいかもしれませんね。

為相卿は、所領の争いを幕府に訴えるため鎌倉へ下向した阿仏尼に従って、ここ鎌倉の藤ヶ谷に住み、京都と往復しながら関東の武家に和歌を指導。歌道の冷泉家を開いた人です。 

それだけではありません。為相卿は、われわれが楽しんでいる連歌の世界にも、大きな影響を与えているようです。鎌倉時代の終わり頃から、庶民を交えて寺社の境内で詠む花の下連歌が盛んになりました。それと公家歌人の詠む堂上連歌とを融合して、今に伝わる連歌の基本ルールである応安新式を策定し、最初の連歌集である菟玖波集を編纂したのは南北朝時代の大政治家「二条良基」です。そして、その良基を助けたのは連歌師の「救済」(きゅうせい)。その救済の師が、連歌では花の下連歌をリードしていた善阿、和歌では為相卿だったのです。

今回の鎌倉連歌会は、浄光明寺住職の大三輪龍哉師によるご挨拶と、こうした連歌の歴史に触れた「むさしの連歌会」池田南天代表の講話から始まりました。連歌への為相卿の影響等をもっと見つめてみたいというお話でした。 

でも、難しい話はここまで。皆でお弁当を食べてから、連歌の座を始めると、笑い声の連続です。発句は、日本のあちこちに連歌の種を撒いておられる鶴崎裕雄先生から頂戴したもの。これに皆が詠み連ねていきました。大三輪住職も連歌会は二度目ということで素晴らしい月の句や花前の句を詠んで下さいましたし、見学者の方も飛び入りで二句を付けるなどの活躍ぶり。さすが為相卿ゆかりのお寺だからでしょうか、ほかの連衆も普段よりすらすらと付けることができたような気がします。 

座の後の懇親会でも笑い声の連続。ここからからまた連歌の世界が広がっていって欲しいと、皆で話し合いました。

 



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