4月初めの花盛りに向かう頃、古河市近郊の満福寺で、今年も花の下連歌会を開催しました。そこには、宗祇らとともに新撰菟玖波集の編纂に当たった猪苗代兼載翁の墓所があります。その追善・顕彰のため、むさしの連歌会では、現在の形で結成されてから8年間、毎春ここで連歌会を行っています。(コロナの間はリモートで開催)
古河市において連歌会が再興した契機は、これを更に10年ほどさかのぼった第23回国民文化祭(いばらき2008)でした。その前年の5月、当地在住の歌人で短歌を教えておられた立石和正先生が、古河市歌人協会において、「古河市は連歌と縁の深い地であり、茨城県で国民文化祭が開催されるにあたり、連歌会を開催し連歌復興の足掛かりとしたい」と情熱をもって語られたことに始まります。その後の展開は急でした。7月には古河文学館の主催で、島津忠夫先生らを招待して「連歌に関する講演会」が開催されました。また、8月以降は、地元の連衆の参加を実現するため、「古河連歌の会」が結成され、鶴﨑裕雄・筒井紅舟・光田和伸らの諸先生を招いて定期的に連歌実作会が行われました。2008年4月、満福寺で最初の「花の下連歌会」は、こうした動きの中で開催されたものです。
むさしの連歌会は、その前身の時代も含め、古河連歌の会と一緒に花の下連歌会を開催してきました。最近は会員の高齢化もあって古河在住の方の参加が少なくなり、淋しく感じていたのですが、今年はとても嬉しいことがありました。長年立石先生を助けて古河連歌の会を盛り立ててこられた柴戸英一さんが、花の下連歌会に顔を見せて下さったのです。老身ゆえと謙遜され付句はされなかったのですが、連歌会の様子を終始なつかしそうに見守ってくださいました。
いつも花の下連歌会では、まず御住職の先導で猪苗代兼載翁の墓所にお参りします。桜の花をこよなく愛した兼載翁にふさわしく、そばには見事な枝垂れ桜が咲いていました。 この十数年の間にも、一段と丈高くなったような気がします。
それから、場所を御本堂に移し、楽しく食事をしてから、時間の許すかぎり膝送りで詠み連ねます。
今年の発句は、兼載翁の「世に一木さかば都や花の蔭」。これは、当会の池田南天代表が、山門脇の桜の大樹を念頭に選んだものです。古木なので、その保存のため昨年は大きく切り詰められ少し淋しくなっていたのですが、今年は枝振りもかなり復活していました。
当日の実座では世吉の前半を詠み、境内の一角の花のお庭で記念撮影して散会しました。残りの世吉後半はいつも、グループメールを使った「文音連歌」で巻き上げることにしています。そこには、花の下の実座には出席できなかった大阪在住や米国在住米国籍の若い会員も参加します。兼載翁がそれを見たら、どう思われるでしょうか。「いったん途絶えたと思った正風連歌も、意外なところで広がり始めたものだ。しかも、どれが外国人の作か見分けがつかない。ハンパないな」とでも言ってもらえると嬉しいのですが・・・
*文音で巻き上がった花の下連歌は、カテゴリー「作品集」に掲載しました。ぜひご覧ください。