10:30頃、自宅を出て小布施町へ。
今日は、武将・福島正則公に関する史跡を尋ねた。
同行者は、ケンジ君。
まずは、須坂市にある大乗寺。
ここには、福島正則の子・忠勝公のお墓「五輪塔」がある。
福島正則公は安芸、備後(現広島県)50万石を治めていた武将。
しかし、広島城改修の罪で信濃に流され、一時須坂に住んでいた。
忠勝は正則が須坂に移り住んだ元和5年(1619)の前後に須坂に入ったとされている。
しかし、その翌年9月に22歳という若さで病気の為に他界。
忠勝は大乗寺において住職より教えを受け、学問や禅を学んだという経緯があり
供養の
五輪塔が大乗寺境内に建立されたそうである。
五輪塔は平安時代後期より密教の「塔」として造られ
その後時代と共に墓として造られようになり小型化していったそうな。
この福島忠勝の五輪塔は須坂では一番大きな五輪塔だとか。
正則公の無念と悲しみはいかばかりであったか…
父の想い、子の想い…に、思いを馳せながらお参りをした。
次は、高山村の高井寺へ。
ここには、
福島正則公の屋敷跡と
遺品や肖像画がある。
境内に入っていくと、ご住職らしき方の姿が!
アポイントも取っていなかったし、お昼時になりそうな時間なので
ご挨拶だけして・・・と思い、お声掛けをしたところ
どうぞ、中へ
と、お寺の中へ入れていただき、肖像画の説明までしてくださった。
そして、日を改めて、正則公に関するお話をもっと詳しく話していただけることになった。
本を読んだだけでは、知ることが出来ない内容なので
舞台関係者にも聴いてもらいと思い、連絡網で流したところ
劇団員始め10人程のメンバーから参加するとの返事が!
嬉しいですね~
役者として、時代背景や当時の価値観を知ることも大切な要素の一つ。
モデルにする人物がいれば、尚更のこと。
芝居の上手さに直結しないが、人間としての深みや厚みに繋がり
それは、必ず舞台で生きる、と、私は思っている。
時計を見ると、既に12:30を回っている!
ご住職に突然お昼時に訪問したお詫びと御礼を申し上げ、小布施町へ向かう。
小布施町役場で、オープンエアシアター会場の建築図のコピーを入手。
今日は、14:00から現場の下見なのだ。
駅近くにあるお蕎麦屋さん「つくし」で、ざる蕎麦をいただき
会場である小布施ハイウェイ・オアシスへ向かう。
13:55、現場到着。
三光スタッフさん3人と劇団員3人で、必要箇所の計測を開始。
ステージの写真も色々な角度から撮影。
舞台監督のTさんに、平台の設置個所やドロップの吊り方などを相談し
照明のHさん、音響のNさんと、イントレやブース設置位置を検討。
声の響き方がね
これまでの会場とは全く違うことに今頃気付いた。
構造が違うから当然と言えば当然なんだけど…
ステージから30mぐらい離れていても
普通の音量の生声が聞こえることにびっくり!
特にステージ奥を向いてしゃべると、すっごく響く!
お客様に背中を見せることになるので微妙だけど
今回は、あえて後ろ向きの演技も使ってみようか…
ステージの外側にある木にもライトが欲しいなぁ~
などと、照明さんに我儘を言ってみたり
お客様の入り口・動線を考えたりしているうちに
あっという間に90分が経過。
舞台監督Tさんが、舞台図を製作してくださるとのこと。
ありがとうございます!助かります!
とにかく、早く台本を完成させること。
製作物の全ては、それから始動するのだから。
16:00頃、三光スタッフさん、劇団員と別れ
私とケンジ君は、
岩松院へ。
ここは、葛飾北斎の天井絵と一茶の句碑で有名で
以前、2回ほど訪れたことがある。
このお寺の裏側に
正則公の霊廟(れいびょう)があるという。
申し訳ありません…
今まで、私、霊廟の存在を知りませんでした…
なので、お参りしたこともなく…
平日の夕方なので、お堂の周辺は人気(ひとけ)がない。
裏手のほうを見ると、長い石の階段があって
その先に、祠らしきものが見える。
ずんずんと階段を上がっていき
登り切ったところで、後ろを振り返ると
うわぁ~見晴らしがいい!
裏手には雁田山がある。
山の頂上からの景色は最高だろうな…
私は、雁田山にも非常に興味がある。
この山には雁田大城と小城の跡地があって
かなりしっかりした石積みの石垣があるんだよね。
写真では見たけど、現物をみたい!
登ってみたいんだけどね…
かなり急な斜面らしく、半日がかりになりそうなので
暫くは登れそうにない。
景色を一望して、いざ霊廟にお参り。
中を覗くと、出入り口の上に下記の額を発見!
漢文だ!
よ、読めない…
あとで、漢文の得意な方に解読してもらおう…
八方睨み鳳凰図も観て帰りたいなぁと思ったけど
稽古時間が迫っているので、そのまま帰路へ。
来週の火曜日に、もう一度高井寺へ伺う予定。
どんなお話を伺えるか、とっても楽しみだ!