庭に咲いたアーテイチョークの花
「人が住めば環境が悪くなるのは仕方がないことで、少しでも人以外の生き物たちが生きられるようにしてやらないといけないーそのための保全対策をおこなってきた」と言われた言葉を今頃かみしめて、立ち止まってしまいました。「環境保全の取り組み」を聴ていても感じていたモヤモヤ感は、あったのです。
これはまさしく、「人間優勢思想」というものですよね?
ー絶滅危惧種だろうが、特別天然記念物だろうが「人間の下」に置いて保全を考え、対策を立てる。人間様の当面の目的のためには、他の生き物たちが犠牲になってもやむを得ないーこんな目線の教授ではなかったかと思います。(ここでは自分を棚上げして敢えて書きます、ダムは大型の環境破壊事業ですから)
たかだか当面の目的のために失われた生き物たちが、実はにんげん様にとって無くてはならない命だったと後から判るってこと ありませんか?
オオサンショウウオを人が上流に移転させるのでなく、オオサンショウウオみずから上に移動してもらうのがいいと考え「オオサンショウウオ道」を設置したそうですが、今思うとオカシイ。ここから先はダムだから上に行けと、指令出せます? あの2つの川にオオサンショウウオが激減したらどうコメントするのでしょうか。
川上にオオサンショウウオが異常にいると(だれがいった?)いうのは科学的にまちがいと言い、文化庁の許可を得ての保全活動で問題ないと言いきりました。
学者特有の中庸さをお持ちと見せかけていたと思います、水機構が1つお叱り受けたと言ってました。しかし、私にとっては説得力に欠けるお話と感じました。
環境学が、日本特有の肩書きの力で押し切られること無く世界中のデータや知識を持ち寄って議論して発信して政策を変える力になって行かないと、いつまでもこのようなポーズだけでとうりいっぺんの保全活動・講演がまかり通るのだとおもいます。