その中身は 去年の3,11まで暮らしていた当時の東北の人々の想い出の品々で いっぱいです。
それを「瓦礫」と一言で表現しては失礼に思うと 心ある人に言われて我に返りました。
一般的に解ってもらうには便利な表現だから使ってみるのですが いっつも違和感があったのです。
「広域処理する」と細野大臣が唐突に発言して 政府全体が動いて三重県に岡田克也議員がプッシュし 市長会・町村会で検討されて 鈴木知事が瓦礫を受け入れたいと表明しました。
三重県に瓦礫を受け入れて処分することが 被災地復興支援だと填ってしまっているようです。
岩手で26歳まで過ごした私は、震災後ひと月に1週間ほど今年3月まで岩手に入って居ました。
そこから見えてくる東北人とは
ガラガラと手荒くトラックに積まれて運び出される瓦礫の品々が 何処でどのように葬られるのか。
まるで遺品が手の届かないところに持ち去られる寂しさを 地元の人々はかみしめていました。
早く片づいて欲しいと言う気持ちに変わりはないようです。
しかし赤の他人に持ち去られる事で、2度目の被災をするようだとぼそっと言う現地の人々。
東北人は言葉にハンディを感じて上手く表現していません。でも私は同じ東北人だからわかります。
★放射能浴びたモノを持ち運んだ至る所で 迷惑かけるべなあ~
★いっそのこと 時間掛けてでも自分らで弔いながら少しずつでも減らしてゆくのが良いべ~
★見守ってくれたらそれでいいよお~ 片づいてきたなあって思ってくれたらそれでいいよお~
この様な想いが「いのちを守る森の防潮堤プロジェクト」として形になったのではないでしょうか。
今 たくさんの支持を受けて広がっています。
興味のある方は
こちらをご覧下さい。伊賀でも支援するグループが出来ました。
宮沢賢治が「雨ニモマゲズ 風ニモマゲズ 丈夫ナカラダヲモズ 欲ハナグ 決ステイガラズ イッツモスズガヌ笑ッテイル」と表現してます。
何をされてもおとなしい東北人の特性は、むごたらしい場面をいくつも見てきた歴史を持つ先祖からのDNAが、脈々と受け継がれているだけ。
決して何にも考えて居ないわけでは無いことを知ってください。
中央集権国家の下で米の石高(こくだか)が貨幣基準となりました。
ヤマセ吹く土地に米作は向かず東北の農家は疲弊しました。
娘の身売り、男どもの人足や飯米までが吸い取られて、戦前まで食うや食わずを強いられたのです。
東北の祭りが盛んなわけは、祭りだけは贅沢が許されていたからはじけるんだと民俗学で学びました。
この機会に東北への理解を少しでも深めてくれる人が、増えるとうれしいです。
ーーーーー8/26(日)朝日新聞大阪版声欄で掲載された 元原稿ーーーーー