伊賀・水と緑の会 http://blog.goo.ne.jp/mtomiga?

川上ダムの予定地には特別天然記念物のオオサンショウウオが約1、369個体確認されています。この素晴らしい水と緑を残そう。

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室生ダムの今

2009-09-29 22:36:19 | 日記
                                    室生ダムサイトからダム湖を望む
雨の降らないこの夏に、室生ダムはアオコが発生して居ると聞いていたので見に行きました。伊賀から20キロくらい離れているところにあります。R165の室生寺入り口と同じところを入ってすぐです。近くの分譲地に住んでいる人が、一人犬の散歩に来てました。
昨日からの雨は、雀の涙ほどですから水位はグーンと下がって土手ののり面が裸で出ていました。「ダムは観光資源になる」などと水資源公団は言いますが嘘っぱち、ごらんのとうり一見しただけでゲンナリしました。川上ダム湖の景色も造られたらこうなるので、嫌なわけです。

ところでアオコですが、ダム湖のところどころにドロリとしたモノが浮かんでいたし、ダムサイト直下の水槽はあの高山ダム・月ヶ瀬を流れる川と同じミドリ色。はっきりいってひどいです。その下流はまるで水が少なくてしかも川の石という石には黒い苔が生えていました。苔が黒いんです、美しいはずありません。
水を貯めたら、こうなる。川上ダムはこうはならないと誰が言えるでしょうか?

名高き観光名所室生寺は、室生ダムで形無し。風光明媚な月ヶ瀬は、高山ダムでゲンナリ。観光資源を潰すのもダムだと言うことになってきました。

実は、きのうの映画の後,舞台で対談あり

2009-09-28 08:13:39 | 日記
                                    待ちに待った雨で潤う苔
映画「水になった村」の大西監督と、元官僚で前淀川水系流域委員会委員長の宮本博司さんと、第七劇場のスタッフはコーデイネーターとして3人が舞台に上がりました。

映画で写らなかったおじいさん・おばあさんの取材の様子とか、大西監督の思いが聞けました。ダムの恩恵を受けて暮らしている人に、電気・水を造っている現場でこんな人たちの暮らしがあったのよと、ただ知って欲しかったと。お説教ではなかった。だから、たくさんの人の心にしみこんでいくような映画ができたんだ。
いまもっともタイムリーな映画だったようで、100人位しか入れないちいさな劇場だったから補助席いっぱい出して、立ち見も出たようでした。

宮本さんには、ずきずきとした質問がヤッパリあって今が今だけに。
官僚だった宮本さんの人生を180度変えた出来事は、苫田ダムにあったそうですが、変わりたくても変われない人が圧倒的に多いのに、官僚としての宮本さんが180度転換したいきさつーこれは何というか、リアルタイムでお話聞けるなんてそうそうあり得ないことだと思います。
同じダム官僚の中で自ら命を絶った人のこと・ダム水没者の中にも同じく絶った方が居られることなど、宮本さんはドロドロした地獄を見て居られてなかなか私ごときには聞き取れない世界を生きておられます。

これは、もしかすると他国を攻め入った戦争と同じではないのか! 自分の手は汚さずにダム建設を命じて造らせた張本人や、そのダムで儲けた人はどこかできっと生きているはず。なにやら、本当の戦犯はぬくぬくと戦後を生き抜いたアレと似ているではないのか。そう思う。

これ以上代替え出来るダムまで造らせては、絶対にいけない。



映画「水になった村」を観ました。

2009-09-28 00:34:24 | 日記
日本のどこにでも居たおじいちゃん、おばあちゃんが出てくる映画だった。とても懐かしくなる映像で92分。監督は徳山村にカメラを持って入ったのに、じいちゃんばあちゃんと心が通じ合った仲になっていて、所々可笑しくなる会話があって笑った。でもなぜか物悲しく染み入ってくる場面があって、涙がでた。
中国山峡ダムの映画を今思い出したけど、またまた違う目線だ。状況も違うし。
徳山のじいちゃんばあちゃんは大西監督に出会ってしあわせを得たかも知れない、そう思った。

ずっとすすり泣きながら見ていた人も居ました。
伊賀の人たちとこの映画を観てみたい、そう思いました。

26日、13時から柘植で水と緑の集会・16時から大阪で脱ダムの集会に参加

2009-09-27 00:24:48 | 日記
同じ日の、しかも時間差はあったけれど同じ午後に2つ集会に行ってきました。柘植から大阪まで2時間掛かると見積もったので、柘植集会は1時間だけになりました。
まずは清水善吉先生の青山におけるオオサンショウウオ観察テレビ放映録画を見て、その後に政権交代した政治情勢を意見交換したりこれからの活動方針を話し合いました。柘植には多くの会員さんが居るので、柘植で集会しました。もう4年前になりますか、霊山の麓を散策して以来の柘植での集会でした。

大阪の集会は、関西のダム問題で活動している人々が参集。やはり今の情勢を意見交換しました。水道・治水に詳しい専門家も集まりました。
政権交代したからと楽観視はできることではないが、永く続いた自民党政権の末期に誕生した「淀川水系流域委員会」の存在は、大きな希望だった。そして政権交代が実現。マニフェストに掲げたことや公約したことがあんなに多くの選挙民に指示されたのだから、早速に着手して頂きましょう!と言うことで政府に要望してゆくことになりました。

ダムによる保証金は、水没者の生活再建になっているのか

2009-09-25 18:36:47 | 日記
保証金で先ず使われたのは、住む家だったようだ。その家が1年に100万円もの固定資産税を払うような豪邸を建てた人は一人や二人ではない。若い世代が同居するならともかくも、若い世代のほとんどは都会に出ていると聞く。
水没者に対して戸別のシュミレーションによる親身なアドバイスや相談を受ける「受け皿」があれば良かったのではないかとつくづく思う。地元自治体(旧青山町)は、「個々のお金の使い方に口出しできぬ」ともっともらしい言い逃れで腰が引けていたとしか思えない。。
お歳を召した方が、川上に住んでいた頃と比べて老いが早く進んだとか、健康だったのに病に倒れたとか、否応なく耳に入ってくる。保証金だけを渡せばすむ話ではないと言うことだ。移転者お一人お一人の「暮らしの構築」がどんなに大事なことか。

しかも、「だから早くダムを!」とダム事業者に促されたかのように移転者が叫ばれるのに接するたびに、その脈絡がどこにも見つからず居たたまれない気持ちにさせられてきた。
国交省・ダム事業者による過ちの深さと、住民のしあわせを一番に考えているとは思えない地元自治のありかたに、やりきれない想いが募っていった。

新政府は、このような実態をふまえているのだろうか。
143のダム見直しと一緒に、移転者の実態をちゃんと検証して貰いたい。もうこれ以上ダムによる水没移転者は出して欲しくないが、今後のために「お金だけではない暮らし再建のすすめ方」ビジョンをきちんと打ち出したらいいと思う。