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古き佳き青春の歌謡曲5:旅の夜風

2009年08月11日 | 歌謡曲
 「旅の夜風」は、1938年(昭和13年)9月10日に、「悲しき子守唄」とのカップリングでコロムビアレコードから発売された。松竹映画「愛染かつら」の主題歌でもあり、当時としては80万枚を超す驚異的なヒットを飛ばした歌であった。
映画の中で、タイトルバックや、田中絹代演じるヒロインの高石かつ枝が新橋駅のプラットホームに駆けつけ、上原謙演じる恋人の津村浩三の後を追って京都へ行くも会うことが出来ずに、悄然と京都の町を歩くシーンなどで流された。
 歌は霧島昇、ミス・コロムビア。なお、戦後に藤原良・高石かつ枝、神戸一郎・青山和子の各コンビでカバーされた。

 「愛染かつら」という名前の由来は、長野県別所温泉の奥に北向観音という古刹があり、その境内に、愛染明王堂と並んでカツラの巨木が立っていて、川口松太郎は、別所温泉に逗留していたとき、この木を見て「愛染かつら」という言葉を思いつき、恋物語の想を得たとされている。
 
 私は「旅の夜風」の冒頭の伴奏部分が大好きで、マーチ風の溌剌とした元気の良いところが、当時の世相を活気づかせるのに一役かっていたように思う。


  (映画「愛染かつら」より、上原謙と田中絹代)


霧島昇、ミス・コロムビア
 字幕歌詞付。
映画「愛染かつら」より 


      旅の夜風
 
  作詞西條八十 作曲万城目正

 1 花も嵐も踏み越えて
   行くが男の生きる途(みち)
   泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
   月の比叡(ひえい)を独(ひと)り行く

 2 優しかの君ただ独り
   発(た)たせまつりし旅の空
   可愛い子供は女の生命(いのち)
   なぜに淋しい子守唄

 3 加茂の河原に秋長(た)けて
   肌に夜風が沁みわたる
   男柳がなに泣くものか
   風に揺れるは影ばかり

 4 愛の山河(やまかわ)雲幾重(くもいくえ)
   心ごころを隔てても
   待てば来る来る愛染かつら
   やがて芽をふく春が来る


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1 コメント

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☆「愛染かつら」と西條八十 (メロディ)
2018-06-05 11:31:41

愛の山河(やまかわ)雲幾重(くもいくえ)
   心ごころを隔てても
   待てば来る来る愛染かつら
   やがて芽をふく春が来る

やはり名曲ですね!
短い言葉で殊玉の言葉がさり気なく散りばめられている詩の世界。

なんでも「名曲?」の今、これが癒される本当の名曲!


最近の歌は訳の分からない「説明書き」が多い中、簡潔な言葉を縦横に使いこなせる詩の世界はいい。

☆愛染かつら三部作 (1938年公開、松竹)    
 主題歌 旅の夜風    霧島昇 ミス・コロムビア   (西條八十作詞、万城目正作曲)
 挿入歌 悲しき子守唄  ミス・コロムビア       (西條八十作詞、竹岡信幸作曲)
続・愛染かつら (1939年9月公開、松竹)
 主題歌 愛染夜曲    霧島昇 ミス・コロムビア   (西條八十作詞、万城目正作曲)
 挿入歌 朝月夕月    ミス・コロムビア       (西條八十作詞、竹岡信幸作曲)
愛染かつら・完結編 (1939年公開、松竹)
 主題歌 愛染草紙 霧島昇 ミス・コロムビア  (西條八十作詞、万城目正作曲)
 挿入歌 荒野(あれの)の夜風 ミス・コロムビア、二葉あき子 (西條八十作詞、早乙女光作曲)



愛染かつら三部作の6つの歌の中で、「旅の夜風」もいいが、映画とともに洗練されて来るように思う。

この映画の完結とともに、霧島昇、ミスコロムビア(松原操)は結ばれるわけだが、完結編の「愛染草紙」
の最後の二人のデュエットはすばらしい。

はろばろと はろばろと
愛の山河  きょう旅終えて
結ぶ縁(えにし)の 愛染かつら
花よ降れ降れ 寄り添う肩に
               (愛染草紙)

これは、映画の完結として、結ばれる二人への祝福であり、同時に結ばれる
霧島昇 ミス・コロムビア への祝福だが、このことは西條八十・自伝にもでている。

霧島昇は、藤山一郎、関種子、ディックミネ、松平晃、楠木繁夫、伊藤久男、李香蘭などとともに、「古賀メロディ」をささえた代表的な名歌手の一人である。

霧島昇がコロムビアレコード専属歌手となったのは昭和11年である。

苦学しながら東洋音楽学校(現、東京音楽大学)を卒業。東京音楽学校卒業で、ビクタ―に入社の藤山一郎がビクターから、古賀政男のテイチクへ変わった昭和11年の後、『婦人倶楽部』に連載された川口松太郎原作の同名小説の映画化、

昭和11年、テイチク黄金時代と言われる中、コロムビアはポリドールの東海林太郎の対抗馬としてデビューさせ、翌年「赤城しぐれ」(竹岡信幸作曲)がヒット。

昭和13年、松竹映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」を、既にスターだった、ミス・コロムビア(本名松原操)とコンビで歌い、あっという間にスターの階段を上り詰めた。

ミス・コロンビア(松原 操)は、明治44年北海道小樽市生まれ。昭和6年(1931)に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)を卒業し、クラシックの「声楽家」として活動していたが、コロンビアに口説かれ声楽曲も歌う条件で歌謡曲も歌うようになった。

昭和8年(1933)に『浮き草の唄』でデビューした“美貌と美声を兼ね備え”た歌手。

その一方で、本名の「松原操」としても『流浪の民』(関種子)や、『この道』『赤とんぼ』、国民歌謡『我が家の唄』『のぼる朝日に照る月に』などの声楽曲をリリースしていた。

『この道』『赤とんぼ』はちょうど「愛染かつら」と同時期にリリースの曲,いずれも聞きがいのある曲。ぜひ聞くことを勧めます。

流浪の民Zigeunerleben (Schumann)  日本発売:昭和11年1936)1月

石倉小三郎作詩、奥山貞吉編曲 独唱:関種子、松原操、内本実、青山薫 コロムビア合唱団、コロムビア・オーケストラ COL28642

彼女の歌聴いていると、かつて存在したが今はもう失われた日本女性の美徳、純情、可憐、清楚、貞淑といった要素をその歌唱の中に昇華し結晶化しているように思われる。

西洋音楽の歌唱において日本らしさ、日本的スタイルがここに確立しているとみることができる。

そして彼女以後、これ程、日本的な良さ美しさを感じさせる歌手は出なかった。


川口松太郎原作「愛染かつら」、その映画化にあたり、川口は「主題歌はぜひ西條先生に」と希望.

昭和13年夏、軽井沢にいた八十をコロムビア社のディレクターが訪ね、明朝までに完成をと依頼した。

八十の回想によると、その晩は酔いつぶれ、台本を一読したのは翌早朝。残された時間は2時間だった。

川口松太郎原作「愛染かつら」は、すれ違いで有名だが、母と子の情愛、『母の愛』をテーマとしたもの....

生みの親・育ての親の葛藤・・この歌の随所に「子守歌」という言葉がでてくる。

豊かになった今はほとんど語られないが、昭和30年代くらいまで、まだ日本が貧しかった時代、戦前ともなれば、生みの親が幼い子を育てられない‥ことはよくあったことでしょう。

西條八十の詩に「母の愛」にがある.。

川口は「主題歌はぜひ西條先生に」と望んだ。

昭和13年夏、軽井沢にいた八十をコロムビア社のディレクターが訪ね、明朝までに完成をと依頼した。八十の回想によると、その晩は酔いつぶれ、台本を一読したのは翌早朝。残された時間は2時間だった。

西條八十はその著「抒情詩と随筆・わが詩わが夢」のなかで自身の「母」を語っている。

また、<母の唄>は 大正11年に刊行された 詩集「見知らぬ愛人」に収録された作品です。・・

ある日の深夜 ねむれないままに夜更けの月をみたときの情況をうたった作品だそうです。
月の面に浮かぶ かぼそい雲に 添い寝の子供のあどけない目覚めを対応させて、
母親の清らかな愛の姿を描いた作品です。
西條八十のやさしい情感が伝わってくる作品だと思います。・・・


「愛染かつら」三部作、「純情二重奏」「純情の丘」「乙女七人」「愛馬花嫁」「夕の鐘」「リンゴの歌」(サトウハチロー)・・「この世の花」「哀愁日記」「越後獅子の歌」・・など多くの心に響く西條八十作品の名曲を世に送り出した作曲家万城目正、それは服部良一や古関裕而などよりずっと多く,[古賀メロディ」に次ぐものだと思います。

こうした多くの西條八十とのコンビ作など多くを世に送り出した日本歌謡史の中で忘れてはならない万城目正。。。

でもテレビの歌番組では、どうしたわけか、聞きたいこの重要な部分、万城目作品がポツンと抜け落ちててしまっているのはどういうわけか、おかしいと思います。


☆日本の大衆歌曲・歌謡曲の歴史
 http://www.10ch.tv/bbs/test/read.cgi?bbs=history&key=354361110
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