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桜井市 初瀬道・忍坂道 万葉故地廻りサイクリング

2015年03月31日 | 旅行

         <桜井市 初瀬道・忍坂道マップ クリックで拡大>

 今日は、宿を朝早く出発し、桜井市 初瀬道・忍坂道 の 万葉故地サイクリングを楽しんだ。
コースは、自分で考えた万葉故地の主に初瀬道・忍坂道の全20ポイントからなるコースを巡る。

宿を7時半過ぎに出発、朝から絶好の陽気で、今日は一日半そでシャツで過ごせそうだ。


JR奈良線をホームで待って居たら、万葉歌人と歌で化粧された各駅停車が止まった。おもわず何枚かパチリ。
写真は額田王と”あかねさす”の歌が化粧されている。


桜井駅に到着し、駅前レンタサイクルを探し、なかなか見つからず少し手こずっってしまった。
古いパンフレットを頼りにしていたのが失敗。情報は常に最新にしておかないとと、反省!

桜井駅 8時57分出発。

1ポイント目.東新堂、桜井西中学校(記述略)を通過。

2ポイント目.大福、三十八柱神社に着く。9時17分。

2.大福、三十八柱神社
 聖徳太子伝暦(917)の注記により、推古天皇の小墾田宮(おはりだのみや)跡とも伝えられている。
欽明天皇の孫にあたる聖徳太子が青少年期を暮らした宮があったと伝わっている。


三十八柱神社


国道169号線を北上、右手に三輪山を望む。

3ポイント目.三輪、芝運動公園(記述略)を通過。


大神神社の大鳥居
高さ32、2メートル、柱間23メートルの偉容を誇り、車道をまたぐ鳥居としては日本一。材質は耐候性剛板で、耐久年数1300年と言われる。

ここから、ポイント外で大神神社を参拝しに立ち寄る。9時41分。
大神神社に来たのは4回目になるか。境内は広いので今日は拝殿参拝だけに留めたい。

ポイント外.三輪、大神神社
 日本最古の神社といわれている。ご神体は三輪山そのもので、本殿はなく、拝殿から三ツ鳥居を通して山に向かって拝む。三輪山は国を開いた大物主大神(大国様)が御魂を留めたという霊山。「パワースポット」と称されるよりはるか昔から「神の宿る山」として崇められてきた聖地である。


ここからは徒歩で参拝へ。


大神神社拝殿
三輪山をご神体とするために本殿がなく、拝殿を通して三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留めている。


拝殿と巳の神杉(みのかみすぎ)
大物主大神の化身とされる白蛇が棲むことから名付けられたご神木。樹齢500年とも言われる。蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされている。

4ポイント目.平等寺に立ち寄る。10時03分。
平等寺は今まで通過するばかりで、立ち寄るのは初めて。

4.平等寺
 中世近世を通じて大神(おおみわ)神社の実質的な神宮寺として栄華を極めた寺。
明治の廃仏毀釈令により一時崩壊したが、昭和52年3月に復興した。桜井市下の聖林寺にある国宝十一面観音像は明治の廃仏毀釈の際にもらわれていったとか。今はその復元像が置かれている。


山門をくぐり、


社殿を拝する。

5.磯城瑞籬宮伝承地(記述略)を通過。


ここから山の辺の道の海柘榴市へ続く道を進む。


金屋の石仏前の道

金屋の石仏


金屋の石仏のお堂
コンクリート造りの小堂に安置され、格子越しに拝観できる。


金屋の石仏
高さ2.1メートル、幅83.5センチメートル、厚さ21センチメートルの2枚の岩に浮き彫りされた像は、右が釈迦如来、左が弥勒如来とされる。鎌倉時代の作といわれるが、天平末期という説も。

6ポイント目.金屋、海柘榴市観音への入口に着く。10時33分。

6.金屋、海柘榴市(つばいち)観音への入口
 海柘榴市は「つばきち」または「つばいち」と読み、奈良県桜井市の三輪山の南西に所在して開かれた古代の市。『日本書紀』と『万葉集』にいくたびも登場して、大きな政治的事件やあるいは歌垣の舞台となり、古代の市としてはもっともよく知られた名前である。


案内板
特に桜井市の金屋付近は東へは初瀬道、北へは三輪・石上を経て奈良への山の辺の道、南へは飛鳥に通じる磐余(いわれ)・山田道、西へは難波に通じる横大路など、古代の東西南北の交通の要衝で、古代の人々が集い交流したことから市場が栄え、椿がたくさん植えられていたところから「海石榴市(つばいち)」と呼ばれた。


海柘榴市三叉路と万葉歌碑
紫は灰さすものぞ海柘榴市の八十の衢に逢へる子や誰れ(3115)
「八十の衢」とは、多数の道が合流した地点をさす。八十の衢である海柘榴市は、物品を交換したり商う市が立ち、男女が出会う歌垣が開かれた他に、さらに刑場となったり、駅家などの役所が置かれ、外国の使節を歓迎する儀式も行われた。

7ポイント目.佛教傳承地之碑隣到着。10時46分。

7.佛教傳承地之碑隣
 大和川堤防に建つ「仏教伝来之地」石碑。磯城嶋金刺宮に宮を置いた欽明天皇の治世に仏教は伝来した。


佛教傳承地之碑、左手に万葉歌碑




初瀬川、下流で大和川に合流する。

8.金屋、初瀬川畔
 初瀬川は大和高原を源に、桜井市を経て川西町にて佐保川と合流し、そこからは「大和川」と名を変え、大阪湾へと向かう。
海に面していない奈良県にとってこの川は、古の飛鳥時代より舟運に活用されてきた。
日本書紀によると、遣隋使 小野妹子が返答使 裴世清(はいせいせい)とともに帰国し、舟から飾り馬に乗り換えて飛鳥の都に向かったのもこの地である。


初瀬川から船で難波に至る通路が、かつての交易で大いに栄えた。
ここ海柘榴市は古代、人々が多く集う街だった。

9/10.慈恩寺・磯城島公園


川べりに万葉歌碑が点在する


欽明天皇磯城嶋金刺宮推定地
継体天皇の皇子。第二九代天皇。即位は,現在の定説では531年。571年崩御。磯城島金刺宮(しきしまのかなさしのみや)を都とし,在位中,仏教が伝来。また,任那(みまな)の日本府が滅亡した。

11.大三輪病院近く記述略)を通過。

ここから初瀬道、初瀬街道(国道165号線)を走る。
初瀬道は20年以上前に散策会に参加して訪れた懐かしい場所である。当時に比べ車道が整備され、交通量が増えた感じ。




12.脇本、春日神社近く(記述略)を通過。11時27分。
この先、車道が狭くなり、その割には交通量が多く、自転車で通るのは細心の注意が必要。脇をトラックが疾走する。

13.黒崎、白山神社、到着。11時39分。

13.黒崎、白山神社
 第21代雄略天皇の泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや)跡 と推定されているところ。
白山神社の近くの脇本遺跡から、雄略天皇の時代に近い6世紀前半の土器と石積み溝が、昭和56年に出土した。(雄略天皇が宋に遣使したのが西暦478年と推定されている。)さらに昭和59年の発掘調査でも12個の柱穴が発掘され、初瀬朝倉宮跡かと話題になった。


白山神社


「萬葉集發燿讃仰碑」
萬葉集が上掲の雄略天皇の歌から始まっていることにより、雄略天皇の泊瀬朝倉宮跡と言われる白山神社の境内に「萬葉集發燿讃仰碑」が建てられています。後ろの木陰に見えているのが雄略天皇の歌碑です。


雄略天皇の歌碑 萬葉集の巻頭を飾るこの雄略天皇の求婚の歌
籠(こ)もよ み籠(こ)持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この岳(おか)に 菜摘ます児(こ) 家聞かな 名告(の)らさね そらみつ 倭の国は おしなべて 吾こそ居(を)れ 敷きなべて 吾こそ座(ま)せ 我こそは 告(の)らめ 家をも名をも(萬葉集 巻1-1)


白山神社の北側の風景を撮ったもので、泊瀬の地が山に挟まれた谷間の地だが、山々は姿のやさしい低山が南面して続いている。3月春の芽吹きが始まった頃の紫にけむる木々がなんとも心地よい。山の反対を振り返ると今では脇をぬける国道165号線の車道が激しく、往時ののどかな風情がかき消されてしまった。

14.出雲、桜井東中学校北初瀬川沿い(記述略)を通過。

15.東中学校西門前狛川沿い 12時06分。

15.東中学校西門前狛川沿い


万葉歌碑と初瀬川


初瀬川も川幅が狭くなってきている。

今来た道をリターンし、脇本の朝倉橋を渡り、忍坂道に入る。
忍坂は今回が初めての訪問場所。期待大である。


朝倉台付近


振り返り、初瀬の山々を望む 脇本(左手)・黒崎(右手)


忍坂(おっさか)に到着。忍坂の案内板。12時45分。
忍坂は桜井市の東部に位置する万葉故地、忍阪は忍坂山山麓にそって細長く広がる日本最古の地名としても知られる集落。奥の山は多武峰か。
 
石位寺へ、ここで昼食をとることにした。途中のコンビニで買った”とろろ入りざるそば”、空腹に沁みておいしい!
ここからは忍坂の集落が一望でき、日当たりで人がいない静かな場所だった。

石位寺
 小さな会所寺だが、本堂の裏に小さな収蔵庫があり、日本最古といわれる石仏(石造浮彫伝薬師三尊像)が安置されている。


石位寺の石段


本堂


本堂の裏に収蔵庫があり、日本最古といわれる石仏が収蔵されている。(今回見学できず)


ここから眺めた忍坂の家並み


舒明天皇陵への分岐点


神籠石(通称:ちご石)
 神武東征の時、天皇がこの地にいた八十建(やそたける)を討つとき、この石に隠れ石垣をめぐらし矢を持ち楯とした大石という伝説がある。石の大きさは高さ約2.5m、幅約1.5m、厚さ約1mの規模で自然石そのままではなく加工が行われているのがわかる。石室の天井の石だったものか。


舒明天皇陵(段ノ塚古墳)
上八角下方墳として名高い。舒明天皇は日本書紀によると舒明13年(641年)に崩御され翌々年の皇極2年(643年)に「押坂内陵」に改葬されたとある。

16.忍坂、鏡王女墓近く
 鏡王女は、はじめ天武天皇の妃で後に藤原鎌足の正室となった関係で談山神社とのつながりが強いようだ。


せせらぎ脇の万葉歌碑
細い道の横を静かに流れるせせらぎの傍に万葉学者犬養孝揮毫の鏡王女の歌碑がある。これほど風土にぴったりくる歌碑も少ないと言われている歌碑だそうだ。
「秋山乃 樹下隠 逝水乃 吾許曽益目 御念従者」わずか三十一文字の中に、内に秘めた女心を見事に詠いあげているという。
意味は、秋山の樹の下を深く静かに流れる山清水のように、あなたが思っている以上に私はあなたのことを深く思っています。


鏡王女墓
ぽっこりとした古墳になっており、周囲の景観も万葉の時代ってこんな感じだったのかな?と思わせてくれる静かな佇まいである。

17.忍坂、生根神社(記述略)を通過。
18.下、聖林寺石垣 到着。14時24分。
国宝の像は以前参拝したので、今回はパス。

18.下、聖林寺石垣
 聖林寺は国宝の十一面観音立像を所蔵することで知られる。


聖林寺


聖林寺石垣と万葉歌碑

19.上之宮、春日神社(記述略)を通過。14時32分。

狭い街中の道路を走っていたら、自転車が止まった際に、足をつく地面がえぐられており、自転車毎ころんでしまい、家の側壁に頭の側面をしたたか打ってしまった。ころんだ時、足からゆっくりだったのが幸いで、大事に至らなかった。
サイクリング終盤の疲れと無理が重なったようだ。今後の要注意点だ。

20.桜井、市立図書館庭(記述略)を通過。14時51分。


桜井駅への帰路、三輪そうめんの生産所がみえる

このあと、駅付近で道に迷い、時間をつぶしてしまった。
桜井駅周辺は北口・南口に分れ、方向指示版もなく、何回来ても迷うところだ。
途中、何人にも道を聞き、駅に着くことができた。

桜井駅到着。 16時。

全20ポイント:約25Km。(所要時間:約7時間)

今日はわりとアップダウンがあり、また交通量の多い狭い道路で神経をつかったので、昨日にくらべ倍の疲労を感じた。
それでも当初のプランから割愛した場所もあり、それは別の機会に譲ろうと思う。

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