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昭和歌謡三大メロディ・メーカー~その3(服部メロディ)

2008年06月03日 | 歌謡曲
 服部メロディは、ジャズやタンゴの洒落た味付けの曲が何ともいえない味がある。
 服部良一は1907年大阪市平野区に生まれる。和製ポップスの代表格である。
少年音楽隊から始まり、その後大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団。
1936年にコロムビアの専属作曲家となり、淡谷のり子の『別れのブルース』で一流の作曲家の仲間入りをはたす。中国の抒情を見事に表現した『蘇州夜曲』、モダンの余韻を残す『一杯のコーヒーから』、高峰三枝子が歌った感傷的なブルース調の『湖畔の宿』など、服部メロディーの黄金時代を迎えた。戦後は笠置シヅ子の『東京ブギウギ』などをヒットさせた。ジャズのフィーリングやリズムをいかし、和製ブルースの創作など日本のポップスの創始者としての地位を確立した。

 私の好きな服部メロディ:ベスト5

1944年「夜来香」(作詞:佐伯孝夫、作曲:黎錦光、歌:李香蘭)
    中国上海で李香蘭が中国語で歌った。
    その時ルンバのリズムにアレンジしたのが服部良一であった。
    戦後1950年に佐伯孝夫の日本語訳で歌われヒットした。
    李香蘭もいいが、テレサ・テンが歌っているのが好きだ。
1947年「胸の振り子」(詞:サトウハチロー、歌:霧島昇)
    素敵な一曲。戦争が終わった華やぎが伝わってくる
    ロマンティックなジャズ風が斬新である。
    石原裕次郎がこういう曲を歌うとなかなかうまい。
1948年「夢去りぬ」(詞:奥山靉、歌:霧島昇)
    1939年にHatterというペンネームで洒落たタンゴのアレンジで
    作曲したため、その後10年近くの間外国の曲と見られていた。
    服部良一がいかに世界的な感覚を持った作曲家であるかを証明する話だ。
    私はボニー・ジャックスが歌っているのを愛聴している。
1948年「東京の屋根の下」(詞:佐伯孝夫、歌:灰田勝彦)
    戦後の明るく希望に満ちた曲。
1949年「青い山脈」(詞:西条八十、歌:藤山一郎、奈良光枝)
    明るいこの歌は「日本の歌ベスト」のトップに選ばれたことがある。

 《この一曲》 夢去りぬ

         奥山 靉作詞
         服部良一作曲 

    夢いまだ さめやらぬ
    春のひと夜
    君呼びて ほほえめば
    血汐おどる
    ああ 若き日の夢
    今君にぞ通う
    この青春のゆめ
    さめて散る花びら

    過ぎし夢は はかなく
    消えて悲し 今はただ
    君がやさし 面影
    むねにえがき 今日もまた
    ギターを弾きて 歌うは
    君の大好きな あの歌
    今はせつなくひびく 恋の思い出よ

   ※ああ 若き日の夢
    今君にぞ通う
    この青春のゆめ
    さめて散る花びら

 蘇える青春の日々が甘美な調べに乗って、語っているかのようである。
 タンゴの調べも良いが、歌詞もまた良い。私はこの曲が大好きである。

(写真はCD「浪漫街道 特集:服部メロディ」のジャケット)

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