ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

江ノ島~稲村ケ崎

2015-02-11 13:44:28 | 詩集湾Ⅱ(1993年5月20日)

新宿から小田急線のロマンスカー朝一番片瀬江ノ島行きひとり降りて

波という名の裸像寝そべる短い橋を渡り

マクドナルドのモーニング・ソーセージマフィンセット390円食べる

マッシュポテトのフライと薄いコーヒー

髪の長い女と小太りの若い男が並んで座って夜が明けたような顔している

江ノ島が砂州のうえの自動車橋と歩道橋の向こうに見える

気仙沼は遠い

黒いカバンが重い

 

砂浜に

人影はない

夏は終わっている

パステルカラーのペンキで塗りわけられたベニヤ張りの海の家が解体され砂のうえで焼かれている

割りバシや発泡スチロールのトレイが無数に砂に埋もれている

ネズミ色の砂(まるで廃油に染められたように― と言っては公平でない)

江ノ島ではサザエと婦夫まんじゅうを売っている(夫婦でなく)

江ノ島神社は有料エスカレータで辺津宮~中津宮~奥津宮と宮めぐりする(筋金の入った「俗悪」が島をおおっている― という言い方は公平でない)

婦夫まんじゅうはお土産に四箱買った

美味かった

 

江の電で鎌倉に向う途中「稲村ケ崎」で降りてしまった

「稲村ケ崎」を目の前にした国道沿いのファミリーレストランは妙に浮足立ったひとびとで混みあっていた映画を見たに違いない

新田義貞縁りの「稲村ケ崎」はつまらない岬だった岩井崎や竜舞崎より数段格が落ちる髪の長いミニスカートの女の子がふたり歩いていた妙にはしゃいでいた映画を見たに違いない

黒いカバンが重い

 

「稲村ジェーン」はつまらない映画だった全然絵に出てこない二十年に一度の忘れられたビッグウェイブが都合よく二十年ぶりにやってきたのに二十年それを待ちつづけた団塊の世代の男たちは怖くて乗れねぇやのせりふ一言で降参してしまうでも女優がかわいいし音楽がいいのであきはしなかった

 

鎌倉駅までの海沿いの国道を四キロメートル歩いた

「湘南」は幻想のなかにしかない

と勝手な他所者は決めつける

由緒ある若宮ブールヴァードは並木が見事なだけで都市計画から取り残されている

 

詩集湾Ⅱ 第Ⅴ章何処へ… から

 

2015年の注;気負いというか、若気の至りというか。気仙沼は湘南に対抗するのだという宣言、決して負けていないぞと言い立てる。国立公園の自然の景観という意味ではまったくそのとおりであるし、港町としての風格みたいなものも目指すという意味で。

 このときは国立公園地内の美化とか環境とかに関するシンポジウムがあって、ブレッド&バターの岩沢さん(幸矢さんか二弓さんかどちらだったか忘れたが)とかに交ってパネラーの一人として参加したのだった。パネラーなどというのは初めての経験だったと思う。

 ブレッド&バターといえば、ユーミンの作詞作曲の「あの頃のまま」は、当時のLPレコードでずいぶん聴いた。(私の友人の三井物産の社員とか、放浪のミュージシャンとかを重ね、私自身をどっちつかずの真ん中に置いて。)

 黒いカバンは、実際、黒いカバンを持っていたのだが、いうまでもなく泉谷しげるは意識している。

 「婦夫(めおと)まんじゅう」について、わりあい最近のこと、江ノ島辺りのひとに会う機会があって聞いてみたらご存じなかった。今もあるのだろうか?夫唱婦随ではなくて、婦唱夫随。ネーミングについては、まあね、というところだろう。

 「湘南」は、鎌倉時代からの歴史があるし、昭和に入っても、裕次郎や加山雄三があって、さらにはサザンがあり、ユーミンもあって、そして今に至るわけだ。(最近の鎌倉の観光課長のドラマとかも含めて。)素直に学ぶべきは学ぶ姿勢が大切である。しかし、一方、若気の至りも大切であると思う。

 あ、そうそう、薄いコーヒーはもちろん「ドーナツ屋の薄いコーヒー」。ここではハンバーガーショップだが。


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