ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

炉辺の語りは

2013-03-20 23:06:57 | 嫌いだ嫌いだ
その昔
市場には魚が揚がり
猫は魚を跨ぎ
ひとは
炭火を起こして
魚を焼く煙を立てる

貰いものの魚を

近隣は
食料を分け合う
醤油を貸し借りする

半世紀前の日々の暮らし
そこから話は始まって

えんえんと
えんえんと
炉辺の語りは
夜長をかけて

ここは親子ではなく
ぜひとも
一世代は空けて
昔々のことを
今は目にすることのできない
昔々のことを

株価が何年前の水準に戻ったとか
円とドルの価値が何年前の水準に戻ったとか
そんなことで
暮らしが良くなるものなのか

おらそんなごど知らね

豊年満作だとか
大漁だとか
それで暮らし向きが良くなるとか
そんなことも知らない

いろりの傍らで
火にあたりながら
火を守りながら
昔がたりを聴く
そんなことは
お話の世界
でしか知らない

冷暖房の通気管
四角く曲がりくねった板金の工作物が
図面通り正確に作製できるので
大きな仕事が途切れずに舞い込む
それで
暮らしが安定する
それは
知っているかもしれない

床屋の技術がしっかりして
弟子もたくさん抱えて
それで
暮らしが楽になる
それは
知っているかもしれない

大西洋のマグロがたくさん取れて
冷凍技術も優秀で
満船にしたマグロが高値で売れて
2度も航海に出れば
新しい家が建つ
そんなことは
聴いたことがある

株が高くて
暮らしが良くなる
実際に売り買いしたひとだけでなく
われわれにも
波及する話だと

はた迷惑な話だ

だがそれが
現実の話らしい
現実
だろうか

最新の画像もっと見る

コメントを投稿