ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

アズマエビスの凱旋

2014-12-30 23:25:01 | 詩集湾Ⅱ(1993年5月20日)

ここは

この港のまちのへそ

港の奥の正面玄関

湾のまん中に浮かぶ島と

湾の東を区切る半島への

汽船の桟橋

そのまん前の公園

 

そのまん中の

初夏には淡いツツジの咲く丸い花壇の中心に沐浴する婦人の裸像が

大人しく落着いて遠慮がちに腰を落としている

 

その恥ずかしげな婦人の尻を

笑門来福

とばかりに満面の笑みをたたえ

じっと見つめるストレンジャーがいる

 

自らが竹竿で釣り上げた

マグロに乗ったエビス様

 

富はアダムスミス流の勤労により蓄積されるものではなく

野蛮人(文化を異にするひとびと)との交換によってヌレ手に粟みたいに生み出されるものだともいう

 

この異邦人のちん入者は

上代のアズマエビスの本家本元たる上つ毛の国から

中世以降の本拠地たる陸の国のこのまちに

昭和六三年五月五日こどもの日の午後

正式に姿を現した(設置のための準備期間を除く)

 

このスケベな笑みをたたえるジジィは

このまちに新たな富をもたらす

「世界一のマグロの貯金箱」の守護神だ

明るいマリンブルーの波の台座に濃紺の背中のバチマグロそれにまたがる黄色の前垂れ黒いエボシのエビス様

周囲の沈んだ色調にむけて自己主張する鮮烈な色彩

 

この公園の不法居住者たる

花壇に植えたまっ赤なサルビアと黄色やオレンジのマリーゴールドの無銭飲食者たる

木造金アミ張りウサギ小舎の住人

白いカイウサギたちは

合法的占有者たる

新参者

釣りびとストレンジャーの笑みに

恐縮しているだろうか

安心立命しているだろうか

 

かれは

先住者カイウサギたちの思惑とは無関係に

このまちを訪れる観光客たちが波の台座をのぼって百円玉や十円玉をマグロの口から放り入れるたびに

昭和六三年七月十六日(ちなみにぼくの三二歳の誕生日)午後除幕式が行われた

このまち出身の偉大な歌人・国文学者落合直文の歌碑に刻まれたうた

 

「さわさわとわが釣りあげし小鱸(おすずき)のしろきあぎとに秋風のふく」

 

を沐浴する裸婦の尻のむこうに盗み見ながら

 

「じゃらじゃらとわが釣りあげしバチマグロのしろきあぎとに硬貨(かね)の音する」

 

と本歌取りして自らの天職をまっとうする喜びにニタニタ笑いを一層笑いましている

 

ところでその十六日

公園の一隅にたつ

「青少年健全育成」の広報塔のまえに

日の丸と星条旗を背後にかざられた強化プラスチック製の二宮尊徳がまきを背負い歩きながら本を読んでいたが

こどもたちの模範たるかれ尊徳までが直文歌碑に追われて隣の狭い花壇に移転を余儀なくされたカイウサギたちに加勢して不法居住を決め込んだわけでもまさかあるまい

 

ああしかしなんともこの公園も

まるでこのまちの縮図のように

種々雑多にワイザツなものが

それぞれの存在を主張して

ザワザワと喧騒してしまったものか

大人しく落着いて遠慮がちな沐浴に似つかわしくない場所となりはててしまったものか

だがしかし

まちは喧騒するものだ

まちはワイセツなものだ

 

エビス様と世界一のマグロの貯金箱を設計した

やはりこのまちにすぐれて異邦人たる早大教授石山修武氏が

この公園のありさままでを射程にいれて

絵を描いたのであれば

このまちに富をもたらした根拠を知る

まさにかれ自身アズマエビスの福の神

であるのではないか?

 

※世界一の貯金箱は、湾内旅客船乗り場エースポート脇の内湾緑地公園から、その後、「海の道」に移された。

 二宮尊徳像はすぐにかたづけられ、うさぎ小舎もいつのまにか撤去された。

 

※詩集湾Ⅱ Ⅰ感傷旅行 から

 

2014年の注;これも、注をつければたくさん書ける。その後の変転、震災の津波の前と後の変転。石山修武氏のこと。落合直文の歌碑は、ここ内湾にあるのは「さわさわと~」なのだが、南気仙沼駅前には、例の恋人の歌碑がある。「世界一のマグロの貯金箱」自体も、今となっては知らないひとが多いかもしれない。このマグロに乗ったエビス様は、神明崎浮見堂の立ちエビスの像とはまた別のものであることは言うまでもない。エビス様とは何か、気仙沼にとっての意味は何か、なども書き始めれば、それなりの分量になる。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿