ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

経世済民

2013-03-23 23:37:11 | 嫌いだ嫌いだ
世をおさめ民をすくう

世を乱し民をおとしめることをねがうひとはいない
特にそんなことを考える政治家はひとりもいない
私腹を肥やすために政治家になった人間は
古今東西ひとりもいない
政治家が須らく私利のため働くなどというのは
俗説に過ぎない

しかし
主張を広報するチラシ1枚作成するにもお金がかかる
チラシ1枚持って共感する主張を伝えてくれる秘書ひとり
食べさせるにもお金がかかる

親の遺産がたっぷりあるとか
前半生で政治資金と生活資金を貯めこむことのできたひととか
主張に共感を呼んで広く薄く十分な資金を集金できる有名なひととか
であれば
ことのはじめから左うちわで
政治的主張を議論するのみで
政治家を続けることもできるだろうが

このへん
どうなんだろうね
政治活動に必要な政治資金を
苦労して集めるといううちに
ポリティカルに正しいお金だけで十分に事足りる
ともいえないひとが現れる確率というのは
どのくらいか
みたいなこと

ある人物が
ある政治家の人物力量にほれ込んで
まとまった金額を寄付する
それが政治資金規正法上の上限の金額を超える
という場合に
政治家はどうするんだろう
あるいは
有能な秘書は
どんな工夫をするんだろう
あるいは
金額が上限を超えていないとしても
その人物が
法に触れたり
触れてはいないかもしれないけれども
触れている可能性もあるとかないとか
そんなことを
表から裏からいろいろ氏素性を調査してからでないと
受け取らないとか
そんな慎重な振る舞いを必ずするものだろうか
どうなんだろう

昔からの知り合いで応援してくれているひとだからと言って
まったく
法に触れたことをしていないなんて確証は困難なのだから

そんなことに長い時間を費やすのであれば
秘書としては
政策の調査に時間をかけるべきではないのだろうか?
どうなんだろう

だから
国家予算で
政治活動に必要な費用の一定部分はまかなう
たとえば必要な人数の秘書の人件費など
というのは
実は不当な話でも何でもないのだが
世の中の有権者は
このあたりちょっと勘違いしているひとも多い
んじゃないだろうか

おっと
実は
経済学とは何か
について
書くつもりだった

経済学にもとづいて
政治を行う

これはどういうことか

経済学は世の中の在りようの全てをカバーしているわけではない
ある公理に基づいて
演繹して結論を導き出す
ある原因からひとつの結論が導き出される
この原因をインプットすれば
この結果がアウトプットとしてゲインされる

だが結果に対する原因というのは実は単純ではない
全世界的な様々な要因が絡み合う
結果に対して大きな影響を及ぼす要因というのは
そう単純には限定されない

だが
経済学は
影響を及ぼす要因を限定する
計算式を立てて解くためには
方程式を立てるためには
未知数を何個かに限定しなければならない

もちろん
経済学は
まったくあてずっぽうに
計算しているわけではなく
それなりに
大きな影響を及ぼす要因を探し
妥当な未知数XYZ…を設定し
方程式を立て
解を得ている
それに間違いはない

しかし
この地球上の
さまざまな要因は
数えきることができない
どんな想定外の変数が
実際には生じるか
だれもわからない

方程式を立てるために
設定した未知数以外の
大きな影響を及ぼす要因を
あらかじめ数えきることはできない

経済学には常に危険が伴う

あ違うか
むしろ
金融工学には
常に大きな危険が伴う
というべきか
すべての経済学の流派に
危険が伴うわけではないか
主流の経済学には危険が伴う
というべきか

政治には
経済学から見たら障壁としかいえないもの
が必要なのではないか
経済学を実現しようとする政治は
危険なのではないか

経済学が
世をおさめ民をすくう学であろうとする
ということは疑いのないことと思う
どんな経済学者も
世を乱し民をおとしめるために
経済学者になったなどということはない
と思う

だが
経済学が
ある公理に基づいた
方程式を解くことである
という限界を
忘れてはいけない
この限界を忘れた経済学者は
そして政治家は
世を乱し民をおとしめる危険性をはらむ
ということを
わたしたちは
忘れてはいけない

というのは
もちろん
ひとつの見通しであって
仮説に過ぎない

この仮説の後に
緻密な論証を行う
というのが哲学者の仕事
なんだろうな

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