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建築を旅する

匠明

2010-10-29 16:52:32 | Weblog
ある尊敬すべき方から、日本建築を勉強するなら、『匠明』は是非読んでおいた方が良い。

と言われた。

『匠明』




これは、

『建築物の各部の比例を「木割」といい、このような比例は時代によって変化し、各時代それぞれ特定の比例を持っている。そのため建築史家が年代を推定する要点となる。本書は、東大建築科教室所蔵の「 匠明 」と題する木割書の復刻、解説版。慶長13年(1608)の平内政信、同15年の平内吉政の奥書があり、桃山時代に書かれたもので、完備した木割書としては日本最古のもの。日本建築の意匠を分析的、歴史的に研究する一番の足がかりとなる。』

そうである。


日本最古の木割書。
木割とは、柱間を基準にして各部材の寸法を比例的に決定していくシステムとの事らしい。
京間などもそれにあたる。時代によっても変化していくものだという。
各時代は、それぞれ特定の比例を持っている。

匠明の現代版の監修をした、太田博太郎は「建築史家が遺構から年代を推定するのは、細部の曲線や、構造技法などにもよるが、時代によって木割が違っている点が、決定の要因」と語る。

太田氏によると、木割書は、最古のものは室町時代に出来ていたらしく、江戸時代には多く作られた。
そして、江戸時代には広く流布した。明治以降、木割は設計の自由を拘束され、創造力を失わせるもので、江戸時代の建築が美しくないのは木割のせいだ!と排撃されたらしい。

「しかし、この非難は当をえていない、木割の第一の利点は、これによることによって、著しく醜いものが作られることを避けうるということにある。これはいわば教科書であり、教科書の役割は、低い方の程度を挙げることが第一の目的である。」と続く。

そうだろうなあ。
構造的な決まりであれば、仕方の無いところもあるけれど、これはスタイル、その時代の様式の決まり事である。
ただ、色んな職人が精度の高い仕事をする為には、やはり、一定のルールや基準があるほうが、芸術的にも高みに達する事ができると思うので、これは、使い方次第なんだろう。

京都の西陣織の反物も、完成までには20を越えるプロセスがあり、それぞれの工程が専門家によって分業化されているらしい。
企画を考え、糸を紡ぎ、染め、織り、絵付けを行ったりするのだけれど、それぞれが別々の専門の職人が一度きりの人生の中で精進し、クオリティーを挙げて行くことが、20の全ての行程で行われる為、一人の人間では到底到達しえない芸術的高みに達することが出来る。


「木割書によって創造の自由が拘束されるのは、拘束される側の罪であって、木割書そのものの罪ではない。」と。

なるほど。

著者の平内政信は、天正11年(1583)生まれであり、活躍したのは、江戸初期。
幕府作事方大棟梁に登用される。

父とともに、15年かけてこの『匠明』を著す。

日光東照宮の寛永度造営にも参画した。




これは、非常に気になるし、今でも『匠明』は手に入る。


とても高価な本ではあったけれど、ここは一つ手元に置いて読んでみようと購入し、今日、届いた。



ひと言でいうと、難解。

それに、江戸初期の書物だけに、レ点の嵐。

根気よく見て行くと、本当に木割の説明文の様である。

これは読み物というより、歴史的資料、教科書なので、はいその通りと見て行くしか無いんだろう。
根気よく攻めて行きたいと思います…。




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