先日、「日本人若手作家6人の写真展 現在のポートレイト」展に行って来た。
http://www.parthenon.or.jp/events/museum/051121/051121.html
場所は、パルテノン多摩。
多摩センターに行くのもずいぶん久しぶり、しかも目的を持って行くのは初めてかもしれない。
新宿から京王線で約40分。
ちょうど大雪の日に当たって、車窓からの景色は個性的とは言えない住宅街を綺麗に染めており、雪化粧とはよく言ったものである。
まあ、それにしても凄い雪だった。
北海道の雪とは違い、しっとりした牡丹雪。
実家の雪に似ていて、懐かしい気分になった。
パルテノン多摩は非常に厳格な感じでそこにあるのだなあ。
東欧の映画にでも出てきそうな、パルテノンと言うには、意外なほどさっぱりとして機能的な感じ。
象徴性はあるのだけれど、その辺が東欧っぽいところ。
「現在のポートレート展」
実は友人が6人の作家の一人である。
案内をもらっていたので、是非行こう行こうと思いつつ、結局最終日近くなってしまった。
落合佐和子 澤田知子 長島有里枝 藤澤卓也 蔵真墨そして、清真美。
長島有里枝と、澤田知子の名前は知っていた。
特に澤田知子の作品は、写真というか、どちらかと言うとパフォーマンスアートとして。
印象的だったのは、長島有里枝の「Family Portraits」。
家族写真なのかなと思もわせつつも、実は全く知らない赤の他人が親しげに居る。
奇妙でコンセプチャルな写真。
家族とは、他人とは。絆の凄さを再確認する作品であった。
澤田は、自分自身が様々な人々に扮して、自分自身を撮影する。
特徴的なその顔が、着衣と共にまさに百変化する。
立場や社会的な役割で、人間というのは傾向性をもって変化するのだなと興味深く見た。
まあ、単純に面白くもあった。
あとは、皇居に集まる、これまた特徴的な人々を写した藤澤卓也の作品も、皇居が呼び寄せる人物の面白さが出ていた。
やはり、それっぽいというか、戦後のかつての日本人的な人々であり、2005年撮影という事に驚きを感じる。
そして、清さんの作品。
彼女は、ポートレートという事をその人とその人を取り巻く環境といった事を一つの作品として、自分でチョイスし構成する。
コラージュの様に点在しているその人らしさの様な物を汲み上げて行く作業が面白い。
人物とともに、その人の内面が伺えるモノの数々。その人を構成するパーツでもあるのだろう。
そして、出来上がった作品が、どれも幸せを発散していて、彼女のパーソナリティがよく出ているなと思う。
たまたま、清さん本人が来ており、そしてその共通の友人、大学時代の10年以上ぶりにあう建築の友達も来ていた。
久々の邂逅は、一気に時間を縮め、昨日大学で会った様な不思議な感じであった。
最近、展示会づいているが、こういう出会いがあると、足を運んだ甲斐がある。
友人に限らず、作品の後ろ側にある、作者、人に会って行きたいものだ。
http://www.parthenon.or.jp/events/museum/051121/051121.html
場所は、パルテノン多摩。
多摩センターに行くのもずいぶん久しぶり、しかも目的を持って行くのは初めてかもしれない。
新宿から京王線で約40分。
ちょうど大雪の日に当たって、車窓からの景色は個性的とは言えない住宅街を綺麗に染めており、雪化粧とはよく言ったものである。
まあ、それにしても凄い雪だった。
北海道の雪とは違い、しっとりした牡丹雪。
実家の雪に似ていて、懐かしい気分になった。
パルテノン多摩は非常に厳格な感じでそこにあるのだなあ。
東欧の映画にでも出てきそうな、パルテノンと言うには、意外なほどさっぱりとして機能的な感じ。
象徴性はあるのだけれど、その辺が東欧っぽいところ。
「現在のポートレート展」
実は友人が6人の作家の一人である。
案内をもらっていたので、是非行こう行こうと思いつつ、結局最終日近くなってしまった。
落合佐和子 澤田知子 長島有里枝 藤澤卓也 蔵真墨そして、清真美。
長島有里枝と、澤田知子の名前は知っていた。
特に澤田知子の作品は、写真というか、どちらかと言うとパフォーマンスアートとして。
印象的だったのは、長島有里枝の「Family Portraits」。
家族写真なのかなと思もわせつつも、実は全く知らない赤の他人が親しげに居る。
奇妙でコンセプチャルな写真。
家族とは、他人とは。絆の凄さを再確認する作品であった。
澤田は、自分自身が様々な人々に扮して、自分自身を撮影する。
特徴的なその顔が、着衣と共にまさに百変化する。
立場や社会的な役割で、人間というのは傾向性をもって変化するのだなと興味深く見た。
まあ、単純に面白くもあった。
あとは、皇居に集まる、これまた特徴的な人々を写した藤澤卓也の作品も、皇居が呼び寄せる人物の面白さが出ていた。
やはり、それっぽいというか、戦後のかつての日本人的な人々であり、2005年撮影という事に驚きを感じる。
そして、清さんの作品。
彼女は、ポートレートという事をその人とその人を取り巻く環境といった事を一つの作品として、自分でチョイスし構成する。
コラージュの様に点在しているその人らしさの様な物を汲み上げて行く作業が面白い。
人物とともに、その人の内面が伺えるモノの数々。その人を構成するパーツでもあるのだろう。
そして、出来上がった作品が、どれも幸せを発散していて、彼女のパーソナリティがよく出ているなと思う。
たまたま、清さん本人が来ており、そしてその共通の友人、大学時代の10年以上ぶりにあう建築の友達も来ていた。
久々の邂逅は、一気に時間を縮め、昨日大学で会った様な不思議な感じであった。
最近、展示会づいているが、こういう出会いがあると、足を運んだ甲斐がある。
友人に限らず、作品の後ろ側にある、作者、人に会って行きたいものだ。