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建築を旅する

i phone

2007-06-29 17:34:10 | Weblog
今日は、i phoneの発売日(米国)らしいですねえ。
ほっしい。ホームページに使い方のおされなムービーがあり、さらに欲しい。
これは、ほっしい!

ムービー観てると、この練り上げられた操作性、人間にいかに優しくあるか、自由であるかというマックの思想みたいなもの、気合いを感じた。すげえ。これが未来か!って感じ。
apple.com




セタビ

2007-06-23 03:27:47 | Weblog
ちょっと前になるけれど、先月、世田谷美術館に行ってきました。

ここは、近いんだけど、非常に久しぶりで、なんだったら10年以上行ってないと思われる。
何気なく久しぶりに行ってみっかいと言う事で見学に行く。

学生時代は、こういうのが建築と言うものであるような気がしていた。
今の、うねうね、透明の自由自在さはやはり無く、真っ当に大地に立っているマッス感が建築だった。
まあ、環八の途中にある、隈氏のポストモダンってアホだろって主張する例のやつとかの自由さはあり。


キテる。東京起柱計画! そういえば、M2出来たとき、中で展示観たよ!東京起柱計画!

手前の丸窓とかもよく見るとすっげえ。バーーッドデザイン炸裂!
悪いけど、この頃は、ほんと世の中なめとる東大生って感じがする。


セタビ。
学生時代に観に行きましたよ。
友達が1階にある市民ギャラリー的な所で、グループ展やってたってので小平から繰り出して来たってのもあったけど、お目当ては建築だった。
用賀で降り、用賀プロムナードを通る。用賀プロムナードも当時は新鮮で、かなり影響を受けたように思う。
ああいう、親水広場的なものが大好きで、絶対ああいうものがやりたいと思ったもの。
象設計集団。今だからこそ、いいんじゃないでしょうか。そういえば、そこにも同期が一人入ったけど、今何やってるんだろうか。
竣工:1986年4月ってことだから、これはまさにセタビに続く道な訳です。


世田谷美術館。
設計:内井昭蔵(Shozo UCHII)建築設計事務所
建築家内井昭蔵の代表作であり、内井はこの作品で毎日芸術賞・日本芸術院賞を受賞。

当時観たときより、小さく感じる。
あった、あの三角の意匠。
完全にライトだなあと思ってたけど、今観てもやはりその感じ。
天井の形状、低く伸びる軒のライン。マヤ的な感じの装飾。
やはり、ライトがやりたかったのか?
印象的な渡り廊下、それと、建物の周りに適時空間にアクセントをつける伸びやかな軒。
二次的な建築というか、庭作りのような建築というか、なにもない所に忽然とある建築を自然と調和させる手段としてうまくいっているなと思う。学生時代に好きだった事を思い出した。

今回気づいたのだけど、セタビの渡り廊下の逆三角形の意匠って、東京現代美術館(ゲンビ)のエントランスに似てる。
柳澤孝彦氏。ちょっとばれた?

セタビ。昔は屋根がグリーンで、今は赤だってことだったけど、自然にグリーンが赤になるんだ?
てっきりグリーンは緑青だと思ってた。
素材はなんだろう?

時代なのか、装飾が凝っている。
撮ってないけど、80年代テイストバリバリの手すりとかもあり。ダサっでは片付かない完成度があった。
真鍮がめちゃきれい。
当時はポストモダンの嵐だったろうから、こういう世界に向かったのだろうか。
とはいえ、非常に好きな建築家の一人ではあります。

展示は岡本太郎。うーん、やはりこちらもかなりキテます。時代を切り開いた天才であったなと思う。
特に、同時代の作家の作品もあったのだけど、やはり頭ひとつ出ている。
森の掟とか傷ましき腕とか初めて実物観た。いや、すごい。
二科展・太郎部屋が再現されてる。(間所(芥川)紗織、吉仲太造、村上善男、ジャン・アトラン)。
アンデパンダン展。
勅使河原宏の絵もあり。油描いてるんだ、時代を感じる。

熱き時代。
静かなセタビで熱く燃えました。















砧公園はいいすね。かめもごきげん。



住所:世田谷区砧公園1-2
用途:美術館
施工:1985.10
述床面積:8,223500m2



那珂川町馬頭広重美術館

2007-06-23 03:26:03 | Weblog
那須。
那須に行ったら是非とも行っときたい所は、やはり馬頭。
馬頭広重美術館。
設計は、もちろん隈さん。

石の美術館とロケーションはそんなに変わらないんじゃないかと思われる、古い街並。
ただ、ちょっとだけ山際にあり、すこし高台風で、気持ちいい。

やはり、これも唐突に写真でよく見る風景が現れる。
うーん、渋い。というか、なんだろう、この謙虚な感じ?
なんというか、機能的なというか、装飾が無いというか、なんか、養鶏場?

グレイッシュになってしまっている木がそうさせるのか。

しかし、やはり、そんな訳は無く、近づくとそれは繊細で可憐な構造物であった。
浮世絵の美術館。木と、和紙。風と空気と光が抜けて行く。
浮世絵は世界でもまれな、物理的に儚くも弱々しい芸術作品であるらしい。
たしかに、ごく薄い紙に版を重ねているだけである。

それにしても、ちょっとあっさりしたものだった。
雑誌等で見ていた複雑に光と反射が綾なす空間というよりは、単純な平面に軽い建築。
供え物の様な、ふっと置いただけのような空間。



藤森氏がガラスよりも軽い感じと言ってた木のルーバー。
たしかに、ガラスが重い固まりに見える軽さがある。
皮膚感覚的な軽さというか、弱さというか、脆さというか。
儚い建築ですな。
儚い軽さというのがあるんだなあ。

光が美しい建築であったし、天井からの光が、大谷石の採石場の様に、印象的であった。
やはり好きな建築。

しっかしやりきってますな。

ここもソフト面がいまいち。地元っこも、いいアートショップとか、カフェとか観て勉強しないと。
それにしてもソフトクリームのオブジェ(看板)の存在感がすさまじい!
イケイケの建築物ときっちりタイマンはれてます。














隈研吾氏ホームページより。

『安藤広重の大量の肉筆画・版画を中心とした4300点あまりのコレクションを収蔵・展示するための美術館。』

『美術館は、町のシビックコアを結ぶ「広重街道」をまたいで計画される、81m×27mにわたる大きく単純な切妻型の建築のボリュームである。そのボリュームを徹底して細かい断面のルーバーで構成した。これは、建築をルーバーという細かいスケールに粒子化することで、柔らかく包み込まれながらも外に開かれた公共空間を実現させる試みであり、かつ広重の浮世絵世界に近づく試みでもあった。ルーバーは地元産の八溝杉を遠赤外線燻煙乾燥+不燃防腐処理したものを使用した。ルーバーの断面は30×60mmの断面形状でピッチは120mmとし、建物の各部位(屋根/外壁のフッ素鋼鈑のハゼピッチ、床の芦野石、内壁の手漉き和紙スクリーン等)の基準寸法はルーバーとの取り合いを考慮し全て120の倍数で構成されるように決定した。
広重の作品に見られる、細い線と小さな点による自然の織りなす繊細にして曖昧な表情とその流動を、建物全体に徹底して表現し、建築自体を自然環境の中に浮遊する粒子の雲のようなものにしたいと考えた。』





作品名 那珂川町馬頭広重美術館
期間 1998-2000
所在地 栃木県那須郡那珂川町馬頭
主用途 美術館

敷地面積 5,586.84



チンク

2007-06-08 22:15:13 | Weblog
久しぶりに恵比寿のミスタークラフトへ。
知らない間に1Fは無くなっており、寂しいなあ。時代っすかね。
恵比寿はすこしづつ店も増え、人気スポットになって出店したい店も増えて来たってことだろうな。

チンクを購入。アバルト。ブルーグレーとレッド、素敵な配色。

ずるして携帯で撮ったから画質がわるいな。

自分のミニもこんな感じに深化していきたいところ。

因に、チンク、新型チンクが出るっていうんで、そのオフィシャルのCGを加工してアバルトバージョン(ライトも光っております。)を作ってみた。
色はツートーンがいいだろうな。カフェレーサー風にゼッケンも背負いアバルトの文字も勇ましく。


こんな風に出来るんだったら、ニューチンクも楽しそう。

今日は、ヒルズにも寄ったので、ニューミニも乗ってみる。
椅子が全然ちがう。尻が喜んでる感じ。これは嬉しい。まあ、スタイルは自分のミニがいいけど。
ただ、クーパーSはスタイルもまずまずで、もう一台くれるなら欲しい。
いや、やっぱり現行最後のあだ花、サイドウォークのSかな。

石の美術館

2007-06-07 06:20:43 | Weblog
那須、石の美術館。
先日の那須への旅行の際に念願叶い、ようやく行く事に。

栃木県那須町。旧奥州街道沿いの小さな集落、芦野地区の古い石造の米蔵を再生利用するプロジェクトとの事。
このあたりは、同じ様な蔵が散見されるが、大谷石のみでなく、この石蔵は芦野石という特産のもののようだ。

本当に、田舎の旧街道筋によく見られる様な、古びた看板や、小さな商店などしかないような集落。
石の美術館は、やはり、忽然と現れる。



大小3つの石蔵を残しつつ、石蔵が水盆に浮かぶ様に見える水の庭の様な外部空間を路地の様な橋を歩いて巡る。
街道からの寄り道がそのまま美術館の展示空間となるような工夫。
あえてガラスという石と対になる素材は選ばずに、同素材である石(芦野石)を用いつつ、軽く曖昧な空間を目指したとのことである。
『モダニズムから敬遠されてきた素材を、粒子化という操作によって、軽く曖昧なものへと変換させる』と隈氏。
石は、40mm×120mmの断面形状にして、石のルーバーとしている。
また組積造から、わずかな粒子である石を抜き取る事により、重苦しかった組積造の壁面を軽くしていると。
設計はあたかも音楽的で、楽譜を選ぶ様に石を組んでいったそうだ。
一部、白大理石をスライスしてはめ込み、明かりが漏れる仕様になっている。

かなり暑い日でもあり、天気もよかったので、乾いた石の質感と水面のコントラストがくっきりしていた。
結構まわりは洗濯機などを外に出してる感じの普通の民家だったりする。
まずは、大きな石の蔵が立派だなと思う。これが、農協の米蔵だったところらしい。



この辺りの風習なのか、天井以外全て石で作りきってるので、ピースとしての存在感があり、ピュアでよろしい。
モダンな隈建築にもぴったりな感じ。
展示が何故か赤いとんがりコーンの彫刻であったので、かなりそれが幅を利かせているので、なるべくそれが無い状態をイメージしてみる。





思ったよりも、こじんまりとしている。だいたいの建築はそうだけど、写真が広角だったり、トリミングの仕方だったりして、写真の方が数倍よく見えるのはしょうがないのかな。特に隈氏の建築はフォトジェニック。



デジタリックな石組みは、たしかに粒子化した素材を組み直したという言葉のまま、空間にリズムを与えている。
ただ、このリズムが無くなってしまうとこの空間自体はそれほど感動的でも無く、やはり非常に重要なデザインである。
なんとなく最近の各種ルーバーなり、石なり、スチールの型抜きなりの視覚的なパターンが勝負のものが多い。
いやいや素粒子化の結果必然的にかような形状に落ち着いているのだってこと?いや、けっこうカッコ重視だな。多分。
なんていうか、こういうのって建築として本質なんだろうかな?と疑わしい気持ちになることもあるけれど、建築がそもそも人に与える影響の大部分は、感覚的な要素であって、素材感、色、形なんかは不気味で不愉快よりは、綺麗で心地いい方がいいに決まっている。



そういう意味では、かっこいいとは思った。でも、デザインパターンとしては、出来た当初からそう思ったけど、どっかありきたりだし、かっこいいに決まってるパターンなのがいかがなものか。
しかし、ちゃんと見てみると意味があるのかもしれない。
場所によって疎密がコントロールされていて、密な平面は背負いたくなり、粗な壁面は表のイメージがなんとなくする?
茶室前の溜まりの空間は、密、エントランスの石蔵に接する壁は対比で粗。奥の大きな蔵へ向かう壁面は、上昇感のある向きのパターンで自然に奥の蔵へ視線を誘導する。
ルーバーも一番長手の壁面で使われており、アウトラインを規定されずに広がるイメージで建築の存在をさらに軽快にしている。のかもしれない。たぶんスタディしまくって決めてるんだろう。



展示自体は、まあ企画展だから展示によるのだろうけど、もっと抜けの良い展示方法を考えてほしいところ。
全体に建物に比して展示やカフェなどのソフト部分が力不足な感じは否めない。しょうがない所かな。もったいなし。

茶室などもある。しかし、これは、ちょっとどうかな。間接光が人工的で、せっかくの石の茶室というのが、変に作り込みすぎていて、そこまでしない方が良いんじゃないかなと、正直思った。
ただの石の蔵の中にゴザでも敷いているくらいがちょうどいいんじゃないだろうか。茶はそれほど詳しくないけど、そぎおとす精神として。芦野石は焼くと色が変わるらしく、そういう意味では面白い。石の可能性を追求すべく、竹の林みたいに繊細に使う勇気は買います。でも石だからどっか無骨。


なのでどっちかいうと、展示室の方が茶室的ストイックさを感じた。水が内部にも入っていて、面白い。
ただ循環がうまくないようで、これは改善してほしい。安藤建築でも、水盆がメンテ仕切れずに水藻だらけで結局水を抜いてしまっているものも結構見たし、水は魅力的だけど注意が必要だな。
映画の椿三十朗に出てくる邸宅の中に流れる清流のようにしてほしいものだ。澄んだ水が正義だと思う。

外部空間で、夕暮れ、もしくは夜に石の建築が水面に映り込んで浮かぶ風情が一番いい瞬間だろうな。
水が石の構造に軽さを与えてくれるのだろう。
日本人は、やはり、土地にがっつり根が生えた建築は違和感を覚える。
床が浮いている様な風情、そういうのがちょうどいいのだろうなと思った。


「石の美術館」
建築 :隈研吾建築都市設計事務所
構造 :中田捷夫研究室
施工 :建築/石原工務店、石工事/白井石材
所在地 : 栃木県那須郡那須町芦野
用途 :美術館
主体構造 :組積造
竣工 :2000年