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建築を旅する

イサムノグチ展

2005-11-27 01:04:19 | Weblog
ようやく、イサムノグチ展へ行く。
久しぶりの現代美術館は、明日が最終日ということで、凄い混雑。
40分待ちでチケット購入、入場制限もあり。

小作品は見た事の無かったものも。
昔のものでは、スチールを切って曲げた感じのシリーズが美しかった。
あと、やはり石彫。
牟礼に移ってからの作品には気取りの無い遊び心がありつつも贅肉のない美しいものが削り出されていた。

エナジーヴォイド。

強烈だった。
見てはいけない物の様な、はち切れそうな、まさにエナジーのヴォイドであった。
張った、生きている様な、鼓動を感じるフォルムに何処までも感動してしまった。

全体的に作品は少なかったけれど、今まで見た事無かったエナジーヴォイド。
これにつきる。

92年に近代美術館であったイサムノグチ展を思い出していた。
あの時みた白い太陽と黒い太陽。
そして、エナジーヴォイド。
凄すぎる。

写真は外に出てから見えたエナジーヴォイド

中耳炎

2005-11-26 08:57:28 | Weblog
先日の韓国出張で、帰りの飛行機の気圧の変化に耐えきれず、中耳炎になってしまった。
急性中耳炎。非常に痛い、たまらぬ。
痛くて眠れないのは、骨折以来じゃなかろうか。
こまく破れたんじゃないかと思って、夜間の救急病院に駆け込んだら、「あー中耳炎ですねーお薬出しときます。」
呑気なもんだ。「こまくは?」「破れてないですけど、いっそ破れた方がいいんですよー。」
「なぬっ!」
なるへそ。後から調べたら、中耳炎はこまくを切開して膿を出す治療法があるらしい。
ともかく、今は別の耳鼻科に通ってお薬をもらってる。
抗アレルギーの内服は眠気がすごくて、夜9時頃寝てしまう。困る。

韓国

2005-11-21 19:03:24 | Weblog
先日、三日間ほど韓国に出張だった。
百貨店の改装をやる事に。
日本の百貨店と韓国の百貨店。
同じようだけれど、実際はそのおかれたポジションはかなり異なる。
過去、日本の百貨店の担って来た大きな役割は、新しいファッションを含めた海外の文化の啓蒙であった。
新しい服、新しい色、新しい暮らし。ワインなどを一般の消費者に大きく紹介していったのも、伊勢丹のバイヤーだったりする。ワインを飲む習慣のまだほとんどなかった時代に、フランスのシャトーに直接乗り込んでいって、買い付けて来たらしい。
当時を知る(というか、買いに行った本人)から聞いたので、そのようだ。
今は、気軽に海外の情報も手に入るし、実際に自分自身で舵取りをしつつ様々なライフスタイルを作るだけの文化度が日本にはある。
それぞれの物や、嗜好が専門特化もしており、専門の物は専門の店や、街に繰り出して買うわけで、そういった意味でも百貨店のもつ役割は、小さくなっている。
百貨店は、いまや、中途半端と思える品揃えと、奥行きでしか無く、ステイタスも低下していると言える。
やっぱり、百貨店の紙袋より、バーニーズとかがいいし、店もヒルズや青山のプラダとかで買った方が楽しい。

今の役割は、それこそまとまって買物が出来る利便性とか、サービス、あとは、行き慣れている気軽さでしかない。
大箱を抱える百貨店は、日本では半分くらい専門大店化していて、自社ですべてをまかない、情報を発信する力を持たない。
それは、人の問題もあるし、百貨店自身が今、自分たちの役割は何か?という暗中模索の時代に入っている。
突き抜けるには、そうとうの勢いが必要で、百貨をうたう限り、現状を打破するのは難しそうだ。

で、韓国。
韓国は、発展を遂げ、生活レベル、情報も日本とあまり変わりない。
しかし、やはり街を見て行くと、日本の多様で密で奥行きのある街とは違い、どこか散漫で途上なイメージは強い。
なので、未だ韓国の百貨店は成り立ち、更に、現代的な強さも持ち合わせており、日本の過去の百貨店とはまた違った魅力をもっている。
それは、なんだろう。
百貨店がもつ力とは、やはりそこに訪れる人のパワーに比例していて、旺盛な好奇心や、自己顕示のパワーが韓国の百貨店には充満していた。
韓国は、商業のほとんど全てと言っていいくらいを百貨店が担っていて、あとは、市場で買うくらいと言う事だ。



デザインは、ほとんどがアメリカや日本などの、外国人デザイナーが担っており、其の部分に関しては、非常に高いレベルにある。
国全体としては、それほど好況とは言いがたい状態にも関わらず、求められるグレードもかなりハイレベルで、素材や空間の大きさ、質も贅沢なものである。

韓国の百貨店は、象徴性をまだまだ持っているのであった。

まあ、でも、もう中国がもっと凄いパワーなんだろうなあ。
因に、中国に伊勢丹が新宿のメンズ館と同じコンセプトでの展開をやるらしい。
素材は、また凄いんだろうなあ。

日本頑張れ。

写真は、ポテトの杉本氏がデザインしてるレストラン街。新宿のシュンカンの上等版。


杉本博司展へ

2005-11-12 08:42:01 | Weblog
一昨日杉本博司展に行った。
森美術館 「杉本博司 時間の終わり」

空間がやはり、静謐で、それが杉本氏がインスタレーションとして捉えているもので。
空間自体も作品。
モノトーンの鈍く、しかし澄んだ光が交錯する空間に、同じトーンの写真が並んでいた。
一枚の絵(写真)に対する執着、質感というか、完成度が非常に高い作家だなと改めて思った。
一見、日本的なミニマリズムではあるけれど、意外と密度の高い西欧的な構成美を重んじている気がした。
それは、写真は瞬間の芸術だと思っていた自分にとって、新たな一面だった。

物理的に、二時間近くシャッターを解放して制作されている劇場シリーズは、その最たる物で、一見したミニマリズムとは裏腹に、非常にみっちりと詰まった印象がある。
それは、成功で、写真が不思議な、なんとも吸い込まれる様な空間を作っていた。

個人的には、やはり海のシリーズは好きだった。
以前に見た印象と変わらず、また新たな一面も見れた。

で、能舞台。
思ったより重厚で、厚みのある杉板(だとおもう)で制作されていた。
そして、思ったより大きく、広く、連続した板目と、角材の足にかかる光のパースペクティブが伸びやかであった。
その広がりの向こう側に穿たれた窓から見える景色のように、重たい海が横たわっている。
非常にシンプルで、非常に複雑な重さを感じる場所だった。
なんというか、いわゆる能舞台の持つ、松の書割りでありながら、深い広がりを感じる世界がそのままそこにあった。
スリ足の一歩が千里の距離を表し、橋掛りがあの世とこの世を繋ぐという、能の世界と、自身の作品との共通性を感じた杉本氏の感性はすばらしい。

夜だったにも関わらず、結構人が入っていた。
今度はスケッチショー。

なんだか、全然合わないんだけど、スケッチショー。

ヒルズは、今年もキラキラと美しく、LEDの光は、純度の高い光という物があるんだなと思わせ。
ビーンと来て、くらくらしてしまった。


mini色

2005-11-10 12:51:12 | Weblog
東京モーターショー、miniは、セブン、パークレーン、チェックメイトが出てたらしい。
ソーラーレッド、ロイヤルグレー、スペースブルーが基調色。
しかし、アメリカでは、既に、どのグレードでも全ての色が選べるらしい。
特別車で出すんじゃなくて、アメリカみたいに自由に選ばせてほしいなあ。
スペースブルーのクーパーとか、ソーラーレッド、ロイヤルグレーのSって実際に見たい。
日本は、ラーメンで言ったら取り敢えず、「全部のせ」が好きなんだろうなあ。
なんだか、BMにうまくやられてる感じがするぞ。
しかし、出たら出たで、欲しくなるチェックメイト。