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建築を旅する

早稲田大学芸術学校 公開講座

2011-10-27 16:51:12 | Weblog
一昨日、早稲田大学芸術学校 公開講座があった。

IFLA Japanの会長でもあるランドスケープアーキテクト高野文彰氏の講演会。
高野さんからお招き頂き、参加させて頂いた。


早稲田大学は創立100周年を迎えるらしい。


夜の講演会で、公開講座なので半分が学生、半分は外部の方といった感じ。

『現代作家論』というシリーズの講演で、今月が高野氏。

高野氏が辿ってきた、一作家としての足跡を時代を追ってスライドで紹介された。

アメリカのジョージア大学時代に授業でThe People's Parkという映画を観たらしい。





カリフォルニア大学バークレー校で起こった事件のドキュメンタリーで、映像には学生達が作った公園を破壊する警察や軍の姿が映る。
http://www.youtube.com/watch?v=n0Cp3PbzpZY

『1964年に出された、学内での政治活動禁止令に呼応する形で、言論の自由をもとめる学生が抗議運動を展開、その後も学生により活発な学生運動は1970年代初頭まで続き、1969年のPeople's Park に於ける抗議行動では学生の一人が死亡するという悲劇も起こった。』(wiki)

公園というものが、自由な精神を象徴し、しかしその存在が権力者の脅威ともなり、死者まで出す闘争の場所となっていた60年代。

ランドスケープアーキテクトとして人が集う場所について深く考えさせられる事件であったそうだ。


また、ローレンスハルプリンの話もあった。

自分も学生時代にローレンスハルプリンがすごく好きな時期があった。
懐かしい名前で、嬉しくなった。
彼の作品は、ランドスケープアートと呼べるもので、アースワークが好きで学んでいた自分としては、非常に影響を受けた作家である。







高野氏はその後、日本に戻って事務所をつくり、小さな公園を作る仕事を開始。

当時、ただデザインとしての公園を設計するのではなく、地域住民とのコラボレーションから産み出そうとしていた。
これは、The People's Parkに象徴されるように、権力に抗する時代の気質もあったのかもしれないなと思ったりした。
広く意見を聞き、取り込む事で、地域住民の公園に対する愛着がわき、結果、非常に価値のある公共空間が産み出された。

その後は海外の大きな仕事も手がけ、日本の現代のランドスケープの先駆けとして開拓の人生を歩んでこられたようだ。


色々とお話を聞いて、やはり、いいなあと思うのは、高野氏が人に注目し、人を巻き込みデザインを作り上げる所である。
町づくり、町おこしと言っても、形だけの都市計画があったところで、長続きはしないし、根本的な解決にはならない。

JICAのサモア国立公園でもその思想が生かされた。

それまでのJICAの一般的な活動、開発の仕事の場合、その多くは受注した日本のゼネコンが日本から資材も人も送り込み、完成したら終わりといったものだったらしく、その『奪い取る』形での開発は批判も浴びていたらしい。

しかし、高野氏は、地元の人たちに協力してもらい、彼ら自身が手作りで作業をする『自力建設』という方法をとり、公園や施設を完成させていった。

こうすれば、サモアに技術力と人材が育ち、本当の意味での成長の支援となる。

これは自然保護区の管理能力向上支援プロジェクトとして昇華している。


色々と素晴らしく、また先見性に富んだ作品を観る事が出来、刺激的な講演会であった。

あと、前からいいなと思っていたHondaの茂木の体験型の森も高野氏のプロデュースらしい。
http://www.twinring.jp/hellowoods/
素敵。

また、機会があれば、学んでいきたいと思う。



リカルド・レゴレッタ講演会

2011-10-21 17:12:38 | Weblog
今年の高松宮殿下記念世界文化賞が発表された。

今年の建築部門は、リカルド・レゴレッタ氏。



因に、
2007 ヘルツォーク&ドムーロン
2008 ピーター・ズントー
2009 ザハ・ハディド
2010 伊東 豊雄

2007年のヘルツォーク&ドムーロンから、毎年講演会をせっせと聴きに行っている。
多忙を極めているであろう、世界的な建築家の話をじっくり聞けるというのは得難い経験なので、毎年楽しみ。


今年も赤坂の鹿島で開催され、行って来た。

リカルド・レゴレッタだけれども、実はそれほど興味がある建築家というわけでは無かった。
氏はメキシコの建築家である。

メキシコといえば、フリーダ・カーロを思い出す、情熱的な国のイメージ。


因に、今のIFLA 国際造園家連盟の会長さんもメキシコ人の女性だ。

メキシコの建築家ではルイス・バラガンが非常に有名で、その自邸は、自分自身、死ぬまでに一度見れたら良いなあという建築の一つになっている。
なんといっても、世界遺産にも登録されている近代建築。



作品集でしか見た事がないけれど、その色が光が印象的で、空間の取り方やディテール、素材感など非常に引き込まれる魅力がある。
特に齋藤裕氏の写真集『カーサ・バラガン』はとてもとても素晴らしい。
齋藤氏によると、バラガンの色壁は、植物の緑との対比で考えられたものらしい。
メキシコシティの気候は、植物の繁茂に適していて、一年中緑がみられるとのこと。

ジャカランダやブーゲンビリア、メキシコの花はあでやかで美しい。
齋藤氏も指摘する様に、メキシコの建築のピンクは、緑に映える花の色なんだろう。





それで、リカルド・レゴレッタ。
とてもルイスバラガンに似通ったところがある。
水の使い方、色の使い方。
a+uなんかでは、昔から目にしていたが、実際どんな人なんだろうか。

登場したリゴレッタ氏は結構背が高く、すらっとしており、ズントーの印象にも少し似ていた気がした。
現在仕事のパートナーでもある三男のヴィクトル氏と二人で登壇。


最初に『どのように(建築を)次世代に伝えるか』を考えたいとの話がある。

冒頭は、日本の震災も含めた世界的な危機について語られる。
『人類の危機はチャンスでもある、大きく変われるきっかけとなる。』と。
ピンチはチャンスであると、激励を込めて話があった。

最初のスライドレクチャーは、自身の作品と、過去の遺跡などとの比較をした写真を元に。
繰り返し語られたのは、『ルーツ』という言葉。

『私はルーツを大切にしています。歴史的伝統を単なるノスタルジアではなく、文化の表現として現代に生かすのです』
(新聞記事より)

メキシコという強烈な光と奔放な色、そして特異な造形美。
そのような文化を根底に持つリゴレッタ氏の作品は、まさにメキシコを『ルーツ』としている。


その後は、今までの自身の作品の詳細をスライドを使いながらレクチャー。

設計は、内装から始め、何処に窓を持ってくるかなど、内側から、人から設計を始めるとの事だった。

クライアントとはかなり対話をし、決して、自分自身の作品を押し付ける事はしないと。
非常に謙虚な方だなあと思う。
クライアントにとにかく喜んでほしいと語られていた。

『建築は最高の仕事であり、建築は、パッションである。』
『常に最善を尽くす』
『クライアントの好みを深く考察する』
など印象的な言葉がつづく。


色に関しては、ロジックがあるのではなく、感情のおもむくままに使うのだけれど、非常にデリケートなものであると。
空間にどう作用するのか、緻密に検証をしなくてはならないと。色を変えれば、空間の質や建築の質も変化する。

一日の光で、色は変化し、当然地域や気候によって変化する。


レクチャーでは、非常に大きな邸宅や、文化施設など、おおらかで美しい光と色の建築を見る事ができた。
あっという間にすっと終わった。

少しも判らない事や、疑問に思う事もなく、その通りだなあと共感できるレクチャーであり、リカルドレゴレッタの人柄が出ている話であり、建築であるなと思った。

最後にいくつか質疑があったけれど、もし自分が聞くのならば、氏が若き日、37歳のときに完成させ注目を浴びたカミノ・レアル・ホテル・メキシコシティをどのような気持ちで作ったのか、聞いてみたかった。


既に、氏の全てが詰まっているホテル。
やっぱりすごい。

これも彼の原点であり、自身の作品のある意味ではルーツなんだろうな。


車のデザイン

2011-10-18 09:44:29 | Weblog
あたらしいBMW1シリーズが、先日発表された。

一度、代車で現行1シリーズに乗ったことがあって、その走りと質感に感動した思い出がある。
代車が終わり、MINIにもどったら、なんだかMINIがすっかすかの車に思えて、ちょっとショックだったことがある。
その辺りは、値段も全然違うので、ちびでもBMWって事だろう。


そして、新型の1シリーズ。

正直、初見は、大方の意見と同じく、『ええーーなんじゃこりゃ』って感じだった。

だっさいなあと。


しかし、車のデザインは不思議なもので、MINIも正直顔つきは、当初ださいなあと思っていたけれど、そのちょっと不細工なくらいが結構味わいで、よかったりする。

それよりも、エクステリア全体の存在感というか、シルエットというか、車としての造形的なポテンシャルしっかりあると、ちょい不細工がスパイスになって、実は長生きするデザインになってるんじゃないかなと思う。


そういう意味では、今回の1シリーズは、今までの1シリーズより全然ポテンシャルが高いのかもしれない。
あの顔にだまされて、よく見てなかったけれど、じっくり見ると、結構抜けのいいデザインで、良くなりそうな予感がする。


初代はあらためて見ると、ごちゃごちゃとしてて、BMWをむりやり小さくしたデザインに見える。


そんな事を思いながら、ネットを見てると、いい写真を見つけた。






よく見ると、フロントマスクはエッジの立ったラインを追加しているし、スポイラー形状も違う。
ちょっとした修正なんだけれど、思いっきり新しいBMWの小型スポーツの姿が現れた。

たれ目でも全然気にならない。かっこいい。

この車、造形ポテンシャル高い。

予感は的中したんじゃないか。


デザインって微妙なもんだなあ。

IFLA Japan

2011-10-13 17:06:41 | Weblog
一昨日、IFLA Japan主催の『Ariya 'Narm Aruninta 講演会+パーティー』にお招き頂き、参加した。

IFLAとは、International Federation of Landscape Architects 国際造園家連盟(略称イフラ)の事で、世界のランドスケープアーキテクトを代表する組織で、UNESCO(ユネスコ)からの認定を受けた唯一の世界規模の団体だそう。

http://www.ifla-japan.net/

ホームページによると、
『IFLAの目的は、IFLAに加盟する各国のランドスケープに関わる
グローバルな課題への提案、および私たちを取り巻く環境の計画、
デザインや、その運営、管理に持続的に関わり、人類にとって快適で、心地良い環境の創造、
育成に貢献するランドスケープアーキテクトの専門性を発展させることにあります。』

とのこと。


当日は、ランドスケープに携わる方や、造園、建築、インテリア等々、様々な職種や年齢の方が集まる、有意義な会合となった。

今回の講演会の登壇者であるAriya 'Narm Aruninta さんは、IFLAタイの代表の女性。
タイのランドスケープというと、バンコクなどの公共空間を思い浮かべるとちょっとピンとはこなかった。
ただ色々考えると、そういえば、プーケットのアマンプリなどがイメージできる。

実際に、タイでは、都市計画的なものよりも個人的な空間や、リゾートホテルなどの環境デザインが盛んらしい。
また、講演の中で、水上マーケットなどでも有名な水上生活の話が出ていた。
タイはこの夏、過去50年で最悪の深刻な洪水被害にみまわれている。

チャオプラヤ川の流域が大変な被害のようで、アユタヤは被害甚大とのこと。

15年ほど前、タイに一人旅をした事があったけれど、ボートでチャオプラヤ川(昔はメナム川って言った)やその支流を登って行くと、水面すれすれに建つ民家や、ボートハウスも沢山あり、バナナの木などが美しく、豊かな暮らしが見て取れた。
しかし、アジア特有の自然に開かれた生活環境で、もろく影響を受けやすい建築群だけに、今回の洪水は非常に心配である。


水上生活に関しては、ランドスケープアーキテクトの視点からも様々論じられているようで、タイの文化として残しながらも、水質を含む衛生面、また安全面等は改善していく必要があると。




近年、都市環境を見直す動きのなかで、建築の分野でも緑化の推進などランドスケープ的な要素を重視する人が増えて来た。

ただ建築というスケールでは、大きな都市環境を変えて行くのはなかなか難しい。
都市計画として考えて行くには、行政が動く事と、それを統括するランドスケープアーキテクトの存在が必要になってくる。
いわゆる道路沿いの環境を改善していく取り組みを本気で行って行く必要もあるだろう。








フレデリックバックの天才っぷり

2011-10-06 11:33:36 | Weblog
10/2まで東京都現代美術館で開催されていた、フレデリックバック展。

それが好評のため、10/3(月)まで一日延びたよとの情報を得て、最終日、急遽行ってみた。


最近の現美は、ジブリと長谷川さんのキュレーションのテレコテレコって感じだけれど、今回はジブリ系。


正直、フレデリックバックは、『木を植えた男』を五年かけて1人で描いて、アカデミー賞をもらった人。ってイメージしかなかった。


展示会では、『木を植えた男』をインスタレーション的に上映していたけれど、それも初めてまともに観た。

思った以上に、長編(といっても30分程度の短編映画)で思った以上に良かった。
小説を読んだ後のような、なんというか、輪郭の定まらない光の映像が、イメージの世界がそのまま映像化したような、夢を見ているかのような、不思議な幸せな時間であった。

てっきり、木を植えた男が主人公かと思っていたけれど、旅人の目線で客観的な自分が見つめ続けた『羊飼いの男』の話だった。


ストレートに気持ちに染み入る様な作品で、これは、宮崎駿も虜になるわなあと思った。


展示は、それから怒濤の質量で迫ってくるものだった。

幼少からの画家としての一面、青年時代の絵を生業とした時代、そして、テレビなどのメディアへの貢献。
そこから、アニメーターとしての開花といった構成で、どれもこれも、恐ろしくクオリティーとエネルギーを感じるもので、おおよそ1人の人間の仕事と思えない様なものであった。


若い頃のスケッチがとても良くて、好きになった。
達者で地道で誠実な感じがした。
目線が愛情深く、非常に美しくもあった。


非常に感銘を受けたし、とても高揚感を覚えた。

しかし、あまりの仕事量に、閉館時間とあいなり、最後は駆け足での鑑賞となってしまった。

次は札幌芸術の森美術館で来春の巡回らしいので、もう一度見たいなあと思う様な、素晴らしい展示会でした。



フレデリックバック。格闘の人生、尊敬します。


注染の手ぬぐいがあったので、思わず購入して退館。

最近の現美はいいなあ。