球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

考えるな、感じろ

2006-02-27 | マジメな話
典型的な男脳であるといろいろな機械から診断される僕は、この手の言葉がはっきり言って嫌いだ。
あるいは、こういう言葉を使う人が好きでないといってもいい。

勿体をつけるなら、その言葉自体、聞き手が
「考えずに感じる」
感受性を開いていないと意味がない言葉だからである。
ちなみに感受性を開くってのは、先日執筆した記事の「ニュートラル」って概念と恐らく関連がある。

それでもこういうことを書かなくてはならないのは、
タイトルに書いたような作業が確かに必要らしいことがわかったからである。
結構最近わかる機会の多い事柄ではあるんだけどね…



今日から卒演の練習が始まった。
昨日の合宿で、トップを奪うつもりで弾かないとパート員としての責任も果たせないことを感じて
今日はトップを奪うつもりで、合宿帰りの熱い頭で合奏に臨んだ。
「そんなにやりたきゃやったらいいんじゃないですか」
なんて、言うんじゃねぇぞ4年生。

さて、今日は指揮者の先生による練習だった。
その中で気づいたことだが、その先生はイメージの伝達で要求を伝えてくることが多いタイプの先生であるということだ。

シェエラザードの1楽章の低弦の移弦の嵐は帆船が海をすべるプロローグ。
小説の最初と最後の音を強調して切れずに出さなくてはならないのは、
どんな波にもベースラインの高さが存在することと、
決して航海の間に水は止まらないからだ。そんな話。
(ちょっと自分の解釈も混じっている。)

他パートで、風が止む止まないという話もあった。



つまりそういうことなのだ。
イメージの伝達は、まず感じることをしなくてはいけない。
「なぜ海?風が止む?」
謎が残って合奏は終わる。

…いやいや、いいから、頭で海を描くんだ。風を止めるんだ。
些細な事に疑問を抱く感受性ってものはあると思うけど、
ここでは飛んできたイメージを無条件に受け入れて描く、謙虚さにも似た感受性の議論になる。

そういう考え方に意識的に切り替えたことで、頭は整理され充実感のある時間を過ごせたと思う。



よく後輩から「指揮者の先生について教えてください」と聞かれたものだけど、
文語的な要求をするタイプかイメージを伝達してくるタイプかで用意すべき感受性が若干変わってくる。
そういうことについて、話せなかったのが残念だなぁなんて今思う。

コメント
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