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球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

被災者の親族

2011-03-14 | マジメな話
発生から時間が経っているけど、結構色々な心の動きがあるので書いてみようと思う。
僕は東京にいるため初日にちょっとした揺れを感じたり、帰りに電車が使えなかったり、
今日では停電するのかと思ったらしなかったり、そんなちょっとした不便を被っている。

しかし、家族は違う。
原子力発電所付近に住んでいるがために初期から避難生活を余儀なくされている親。
さらに現状が現状なのでいつ家に帰れるか分からない。
仮に帰れたとしても家は壊れていないか? 今後の対応次第では放射線で不毛の土地にならないか?
他、津波に大部分の家屋が持って行かれた地域に住み、消息不明の義理の兄(になる予定の人)。

これまでの災害の殆どすべてのものは自分の枠の、自分の興味の外で行われてきたものだったが、
今回の災害は自分にとって十分に近い人を巻き込む形で発生した。
家族の中では、自分が一番安全な立場。末っ子だからか?
これまでは特番があってもテレ東のアニメを見ているくらい災害には無関心だったが、
今回は初めて災害の特番を一日中見る立場に立つことになった。
こういった特番って視聴率は低いかもしれないが見る人はがっつり見るものだということを、
経験して初めて知った。ということでここ数日は何をしながらもTVを点けている。
社会人になってから初の経験だ。まぁ、こんな地震自体30年来初だけどさ…。



2011/3/11
15:00から電話会議を控えた状態で電話会議システムを用意している最中、
突如足元が揺れだした。気づくと僕はフロア内で唯一呑気に歩いている存在になっており、
自分の危機意識の甘さを恥じた。ヤバいと思ったら手遅れということは体で覚えないとダメなのだと思う。
結局その後先方とは電話で連絡がつかず、電話会議は延期に。
次回の電話会議の日程も決まらないのはまずいので、"週明けに連絡ください"と書いた。
(3/14 23:53現在、回答が来たのかどうかはわからない)
両親の生存は確認できたが、メールの文面が殆どひらがなで書かれており、
何かしら異常があることを思わせた。

2011/3/12
昼一からオケの練習が二つあったが、団長相当の方の判断によって双方ともお休みになった。
これが当然のことなのか変わったことなのかはわからないが、
施設からお休みにさせてくれと言われていたらしく、当然なのかもしれなかった。
災害によって何がマヒしてどのような影響があるかもわからないものに対して
判断を下さなければならない任務は重いと思った。

大熊町の原子力発電所になんかあったらしく、3km圏に入っていた両親は
どうやら避難所での生活を余儀なくされたようだった。
もう実家にはしばらく住めなくなる可能性があるってことか?と思い気分が沈む。
俺の気分が沈んでも仕方がないだろ、と自分を鼓舞するが、対象が両親であったためか
その正論は通じなかった。

自分で動揺していることは簡単にはわからない。
何かを表に出してみると簡単に分かるらしく、それはオケの方に
"なんかあった?"と訊かれて初めて気がついたものだった。
昨日の件があったため生存確認メールを求められており、それに返信した際、
微妙に含みを持たせた回答をしてしまっていた。
そのやり取りが終わってから急激に元気がなくなり(もともとなかったかもしれない)、
もう何もしないで今日は静かに過ごせたらいいなと思った。
そして次の日も練習がお休みであるニュースが入った。
正直言って、助かったと思った。

それらの出来事を尻目に、とにかく心境は不安なようで、友人の元へ身を寄せた。
彼女らが学校を卒業するため、大きなケーキで4人でお祝いをした。
短い時間ながら笑顔に囲まれた時間を過ごすことができた。

ずっとTVを見ている。
枝野官房長官が原子力のことを色々説明していた。
プロじゃあるまいしまともに説明できる訳ないのに、一々説明している。
そのこと自体には好感を持ったが、まったく定量的でない話が続いたことには苛々した。
少なくとも理系の学生なら理解できる程度の話なので、ゲストの専門家はガンガン専門的な話をすればいいと思う。


2011/3/13
明日は仕事があるから、今日にホワイトデーのプレゼントを買う必要があった。
しかし、ただTVを見ていただけなのに昨夜は相当気疲れしたようで、
目が覚めたのは殆ど午後だった。副交感神経が卓越しており、くしゃみが出まくる。

川崎に出かけても最大のデパートと思われるラゾーナが地震のあおりを受けて休業していた。
横浜に出向くことに。そこで美味しそうなトリュフを見つけて、買った。ダスカリデスというとこの(ベルギー)。
甘くて、甘すぎなくて、おいしかった。

親からメールが来て、やはり避難生活をしていることがわかった。

明日は出張予定がある。先方から接待的なこと(飲み台を経費で出してもらうくらいだが)があるのだが
必ずこの地震のことは話題になるだろう。多分、俺の身の回りは大丈夫だったかと訊かれて、
全然大丈夫じゃないという本音を言うことはできないのだろうな。


2011/3/14
朝上司から電話があり、出勤に必要な電車が凍結していることを理由に今日はお休みになった。
今日はある意味楽しみにしていた出張があったのだが、それもこちらから先方にお願いしてキャンセルすることになり、
飛行機もキャンセルすることになった。よって昨日の心配は杞憂に終わった。うれしくない。
飛行機予約キャンセル料の840円を会社に請求するのが面倒だと思った。

また一日中TVを見ている。何のためなのか、それが意味のあることなのかと問われると
決して合理的な時間の使い方ではない。しかし、どうしてもそれをやめることができなかった。
わずかな進捗に一喜一憂し、自分の欲しい情報がいつ入ってくるかを期待しながら
通常のTV番組に合わせたレイアウトでそれぞれの芸能人が地震ネタのトークに付き合わされていた。
ウランとジルコニウムではジルコニウムの方が融点が高いはずなのに
何故先にウランが溶融しないのかがよくわからなかった。

僕の住む地域では昼から計画停電があった。
その間は寝ていようと思った。時間がくれば勝手にTVも電灯も消えて、眠れるはずだった。
しかし時間を過ぎてもTVも電気も消えなかった。よって眠りに就くことはなく、
なんていい加減な措置なんだ、と思った。
そのくせエスカレータを始めとするインフラ、企業や食堂、スーパーはきちんと省エネ、
停電を見越した営業時間の限定を行っていた。これは何なのだろう。

今日もTVをずっと見続けた。該当地域だけでなく、いくつかの他の地域にも適当に停電が発生し、
僕と同じように混乱する人がいた。実際は出勤していた人の方がこの辺は大変だったようだ。

渋谷の特集がやっていた。渋谷でもやはりエスカレータは止まっていた。
おばさんは"あっち(東北)が大変なのにこっちが頑張らなくちゃしょうがないじゃない"と言った。
そうやって人の良心を感じることができるのは数少ない喜びだった。
3日もTVを見ていると、アナウンサーやレポーターの優劣が分かるようになってきた。
しぜん実力のあるアナウンサーの手腕に期待しつつTVを見るようにもなってきた。
多分あと数日で終わるだろう。

明日はどうなるのだろう。電車は動くのかな。
地元の人たちから連絡は来るのかな。

原子力発電所に関しては悪いニュースしか来ない。一体何が起こっているのか…
どうか両親が家に帰れますように、俺が帰省できますように。あの墓へ帰れますように。

※書くネタがもっといっぱいあるのでまた後日。
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