球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

救倒懸

2018-07-29 | マジメな話
検索すると漢文しか出てこなくなる上記の言葉。
その説明は後にして…

今日は母方の祖母の一周忌であり、群馬まで出向いた。
こちらの宗派は浄土宗であり、先週の真言宗とは色々とお作法が違う。
普段全く自分が何の宗教に属しているかなど意識しないが、
2週続くと、嫌でも意識してしまうところはあるのだろう。

細かい宗派のことまでは理解していないが、
単純に参加していて法要の中でやったことというのは…

真言宗(略式)… 自宅にて、真言交じりの読経、焼香、墓参り、お食事。
浄土宗 … お寺で読経と焼香。参列者全員に木魚が配布され、
     南無阿弥陀仏の言葉に合わせて、一斉に裏打ちで木魚を叩く。
     裏打ちなので、
     ナム~(ポン)アミ~(ポン)ダブ~(ポン)みたいなことになる。
     これらのことを一言で何と呼ぶのか分からない。

     少し不謹慎な話であるが、参列者が一斉に裏打ちで木魚を叩き出す様は結構シュールで、
     一部の家庭では、場の緊張感も相俟って、笑いが抑えられないなんてことがあったとかなかったとかいう話である。
     他、光明攝取和讃なる歌を歌う。その後お食事。

お坊さんの説法の中で、"お盆という言葉の由来は何でしょうか?"という問いかけがあって、
それに関係するのが題名の"救倒懸"である。

釈迦の部下に、何でも目で見ることができる神通力を持つ"目連"という者がいた。
ある日、彼の母親が亡くなり、彼は母親が無事に極楽に行けたかを見届けることにした。
しかしながら、極楽に母はいない。よくよく調べてみると、
母は、欲に囚われていたため餓鬼界で食事も取れずに逆さづり(倒懸)にされていた。
彼が祭儀を施して母を救うこと、"救倒懸"を、サンスクリット語でullambana(ウランバナ)と言い、
それが転じたものということであった。
(話は完全には覚えていないが、大体で書いている。厳密には違ったら失礼。)

線香の匂いと雨の湿っぽい匂い、
台風のかけらのような重い雲が空を覆う不思議な空気の中で法要は進んでいった。

更に祖母の家に約18年振り?くらいに訪問した。びっくりするくらい変わっている点が少なかった。
2Fのブラウン管のテレビは相変わらずブラウン管だったし、台所の冷蔵庫、
多分洗濯機もそのまま。本棚にあった漫画とプロ野球選手名鑑は未だに残っていた。
唯一、リビングのTVは今どきの物に替わっているかな、電源系がAnker系の物に置き換わっているかな、
というくらいの違いだった。物持ちが良いとも言えるし、時計の針が止まっている部分があるようでもあった。

しかし、それを久々に眺めることで、僕の心が色々と洗い流されるような、安らぎも感じた。
この安らぎは何だろう。多分それは、俺の心が帰れる場所と感じた安らぎ。

親戚の皆様、本日はどうもありがとうございました。



コメント
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