球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

第九の原稿をだらだらと書く

2014-09-09 | オケと音楽
そして本題。
これが書きたかった。

googleドライブを利用してスプレッドシートに書き溜めていた原稿の持つ力が、あまり強くない。
人をうならせる力がない。我ながらはがゆい。
そこで、今一度オンライン執筆の原点に帰ってみることにした。
何故かとても落ち着くブログ。幸せ、幸せ、幸せ。
書きながら文字数が表示されることがとても快適。書いた文字の数だけ傷が癒えていくような、気分。
モチベーションがどうこうなんて議論は一気に過去の地平線を飛び越える…

書きたいこと。
・一般の方は4楽章だけ聴きに来る人が多いだろう。
 しかし、そのような、ぶっちゃけオケなんかにさほど興味がない人にも、
 第九の良さを、4楽章に至るまでの良さを知って頂きたいと思っている。

・4楽章は、それまでの3つの楽章を否定する。
 
☆4楽章のもつイメージ
 生のエネルギーの奔流、その延長でのSEX(完全なる飼育、の影響か)。
 多くの人間。わあわあ騒ぐ。年末にやる曲としての地位が未だ揺るがない
 怪曲中の怪曲。日本でも100年近く弾いているのかな?
 瞑想的な、神への祈り。
 個人的に全く宗教から害も恩恵も受けていない自分が好き勝手なことを書くが
 神の祈りをした後というのは、これでいいのだと思いながら
 生きるために他の動物を食べたりする。日本人が作曲した場合
 ここにコラールは入れられないように思う。文化が違う。
 
 僕はここにいていいんだ、といった瞬間闇が砕けて
 皆が拍手する謎のエンディングを迎えたアニメを思い出すが、
 今思えば第九のやっていることを(殆ど宗教感のない、セカイ系なんて言葉が出てきてもしまった)
 日本でやった場合の一つの決着のような気がする。

☆三楽章のもつイメージ。
 変奏曲は、自分の周りの空気をツタのように変える。
 僕の体に巻きつく情愛。僕の体に絡みつく感傷、僕の体に絡みつく、天使の吐息。
 天使の吐息はそのまま僕を包み込む。ゆっくりと体を横たえる。
 時が止まり、安らかな眠りにつく。幸せな眠りにつく。想像に溺れながら…

 そこが否定されなければならない理由だったのだと思う。
 際限のない柔らかな黄金の鎖は、
 個人的、どちらかといえば孤独で、妄想的で、
 決定的に、時間の停止を思わせる。

 四楽章との対比という視点では、三楽章が"静"で四楽章が"動"と言いたくもなるが、
 三楽章の持つ雰囲気は"静"では表現しきれない激烈な"静"である。
 聴いて寝たらもう一生目覚めない"停止"を思わせる。

 僕は過去に運命の原稿を描かせてもらった。
 その際にも、2楽章に多くの文字数を使わせてもらった。
 変奏曲が好きなのか、変奏曲がもたらすまとわりつくような空気が好きなのか、
 とにもかくにも筆者は3楽章のことだけで文字を使っていいならどんなに楽だろうかと思う。

☆2楽章のもつイメージ
 正直どこに力点を置いて書いてよいかまだわからない曲。文字を増やさないといけない。
 
☆1楽章のもつイメージ
 正統派の力強さ。歩が早くて力強いために、アンダンテに出来なかった。強くて大きい足音。
 
そうなんだ、一楽章と二楽章が何をイメージしていて、
どの部分が否定されなければならなかったのかの謎がまだ解けていない。
これを突き止めてイメージを完成させることで僕はこの原稿に片を付けることができる。

それはまた明日に書くことにしよう。リハビリ、おしまい。
コメント
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