球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

言葉の輝き、10um

2012-09-28 | たぶん難解な話
人は標なしに生きていくのはなかなか辛いので
いわゆる"名言"に自分の思いを乗せて行動の推進力を得たいと考えることがあるが、
その名言というのが、キラキラしていればいるほど人に大きな推進力を与えるかといえば別の問題だ。
人の心に響くかは輝きと受け手が感じ取った厚みの積で決まる。

で、大抵ものの本にあるような言葉というのは受け手(つまり僕だ)の感受レベルがメッキばりの薄さのため
大して残ることもなく、消えていく。

大枠としては、言葉と自分との相性みたいな話かな。



命題:今やるべきことを頑張る
これを達成したいとする。そして、今現在はあまりやる気が出ていないとする。
モチベーションを探しに言葉探しの旅に出る。
ものの本で、"一度きりの人生、今この瞬間はかけがえのないもの…"
という言葉を得たとする。(多分僕はそういった言葉をどこかで読んだり聞いたりしたのだろう。)
美しい言葉だ。しかし、一度飲み込んでしまったらその輝きがもう見えない。
胃の中で色々混ざってしまったのだろうか。多分、大して共感していないんだな。
もう少し生命の危機が見えてくるとまた別かもしれない。

一方、最近の仕事などで感じている、"今携わっていることは、あまり長くは続かない。
ここである程度以上の力を得られるかどうかが、この分野での人生トータルの自分の実力になる。
この数週間で出来なければ君は一生今のままで終わる"というトゲトゲした感覚の方が
自分の行動を促す力は遥かに上だった。

人付き合いにしたって、"今交流の有る人との関わりは、あまり長くは続かない。
ここである程度以上親交を深め、信頼関係を築けるかどうかが、この人と一生の付き合いになるか決まる。
この数週間で特に親交が深まらなければ、ここまでの付き合いだ"なんて適当に書いてみるが、
どうにも耳が痛い気がして仕方がない。

探し物は結構だが、キラキラした言葉は使い道というのが決まっている。
これまでの感覚では、落ち込んだ気持ちを上向きには出来るかもしれないが、
人の低次の欲求には応えるかもしれないが、高次の欲求を満たすことはできない。

あれ、言葉と自分との相性の話をするつもりが言葉の機能の話になってしまった。
まぁいいか。



ちなみに金でメッキをするときはNiなどでバリアをしておかないと半田に金が食われていつの間にか
金が消失していることがある… というのはちょっと別の話だったかな。
 
コメント
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