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モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



お断り  画像フォルダがいっぱいになり 少しずつ削除しながら 更新を続けています。

 ここのページは画像削除しました。 申し訳ありません。 2018年9月26日 

 

 

今、ベランダで咲いている花たちです。 シランです。

 

アッツ桜・・・たった1個だけ あ~ どうなってしまったのかな? 小さいんですよ。 SDカードとの比較です。

 

寒菖蒲は すっかり終わったと思ったから 鉢を隅っこに追いやってたら また咲きました。 21個目です。

 

ガーベラは ずーーっと咲いています。 

 

 

友人ちから連れて帰った花たち 右からオルレア フーセンナデシコ ニゲラ です。 左の植木鉢は ずっと咲いてるワスレナグサ です。

 

オルレアが 小さいけれど咲きました。 大きく見えるように上から撮りました。 オルラヤとも言うようですが 言葉の響きが オルレアの方がずっと好きです。

 

ポリジーもまだまださいています。 右のほう 葉っぱの裏に 黒いのがいっぱいついてたから 虫になったらいけないので処分しました。 ごめんね。

 

石橋探訪で行った 原尻橋の付近の土手から 連れて帰った サボテンに 子供ができ バンザイの形になりました。

 

ベランダ―・ラベンダーも ずーっと咲いています。隣は大きくなり過ぎたシュウメイギクです。

 

桃に 今年も実がなりました。 去年初めて 食べました。 確かに桃でした。 🍑 🍑 6個あるけど 落ちるでしょうね~

 

最後に 下の花壇 嬉野温泉から連れて帰った野ばらです。

 

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二俣橋は 二俣渡  と 二俣福良渡 がほぼ直角にあります。 被災したのは二俣福良渡しの方です。

駐車場から一番に目に入る景色です。 ずっとずっと見ている大好きな橋ですから  被災が残念ではありまが、復元されたのはうれしいです。

 

被災した半年後に来たときの同じ場所 ことばになりませんでした、

 

震災の9日前の姿 

 

いつまでも悔やんでも仕方ないから・・ 復元の様子については 下の記事で案内板をごしょうかいしています。

 

河床に降りると・・・・ ここに3つの石橋と コンクリートの車道橋が見えています。 上に見える水色の橋が 石橋の年禰橋です。

川がほぼ直角に合流しているのが分かると思います。

 

二俣福良渡 が 左、手前 右が二俣渡(橋) ほぼ直角方向です。

 

目を細めると 並んでいるように見えます。 二俣福良渡の左に見えるのは車道橋です。

 

二俣橋を渡りながら 二俣福良橋を撮っています。

 

 

今度新しくできた 二俣福良渡しの石碑です。

 

 

今話題の ハート形 ここなんですけどハート形に見えますか?

 

 

そして 年禰橋 実際は4連のアーチ橋なんですよ。 年禰橋の向こう側には 小筵橋もあって 石橋の里です。。

 

手前に青い車道橋があるけれど実際は これが年禰橋です。

 

1か所から同時に三つの石橋が見える いかがでしたか? 若い方には ハート形も魅力的らしく この日も どこを観るのか聞かれました。

石橋の聖地 でいいと思うんですが 恋人の聖地 のほうが人が来るのかな?

 

 

 

二俣橋  ここです。  二俣福良渡  ここです。 それぞれ私の別ブログ 私の宝物 に たくさんの写真があります。



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実は桜の大窪橋に行った3月26日 二俣橋にも行ってるんですが 延ばし延ばしになっていました。

次回 二俣橋 復元の記事をUPしますので 事前に ご覧いただけると幸いです。 現地の案内板です。

 

 

 

 

去年11月17日に完成したんですね。 愛の鐘?は 石橋ファンとしては ???と思うけれど  写真の右下、これは自然だから・・・ ハート形で 若い方も来られるようです。  

 

 

上の中から 一部分 切り取ります。

 

被災した二俣橋を訪ねたときの記事です。  ここです。

 

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通勤時 もう会社までは3~4分 北九州市若松区 北湊埠頭 です。

時々 ここで停まって 若戸大橋を観てから行きます。

 


工場団地? ですから そこから出てこられたオジサンが こんな景色もいいでしょう? っていわれました。

4月26日の事です。 背の高いのは 台船だそうです。浮かんでるんですね。


三つの台船のうち 一番右のは 近いうちにマレーシアに売られていきます。 とのこと・・


同じ形なら見分けられるけど どれですか?って何度も聞いたけど・・・ 間違ってるかもしれません。


茶色の って仰ったから この古いのでしょうね。

 

出社は週一ですから 2週間後の 5月10日です。 やっぱり若戸大橋


赤と白の柱の向こうは 皿倉山が見えています。洞海湾越しです。


気になっていた台船は? 私の思ったのに間違いなかったら あれですね~


相当古いようです。 異国に行っても 頑張れよ~

 

若戸大橋と 皿倉山が 両方見えるスポットなんです。


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グラバー園や大浦天主堂へ行く坂道は 両側にお土産店が並んでいます。 坂道の途中 目を引いた 祈りの丘絵本美術館です。

 

みえてきました。大浦天主堂です。

 

長崎の大浦天主堂  先日 の続きです。 世界遺産に登録される予定のニュースを聞いた5月4日 長崎に行っていた私と妹は 偶然行き合わせました。

 

  

 

境内です。 教会も境内っていうんだと この日、知りました。 キリスト教信者発見100周年記念碑 (1965年3月17日)

 

左 教皇ヨハネパウロ二世    右 プチジャン司教の像 

そもそも大浦天主堂に行こうと思った理由 小説からなんですよね~  帚木蓬生著 守教  プチジャン司教の事が書いてありました。

 

上の写真の 教皇ヨハネパウロ二世 の胸像の後ろに 十字架にかけられたキリストの像 

 

では 天主堂の中に入ります。 正面の「日本之聖母」像です。 (上から4番目の茶色の建物から撮っています。)

 

中は撮影禁止です。 浦上天主堂はロープがしてあり祭壇までは近づけませんでしたが 大浦天主堂は 椅子に掛けて 説明をゆっくり聴きました。 頂いた冊子のコピーです。

 

こちらも冊子からのコピーです。 信者でなくても立ち止まってしまいます。優しい気持ちになります。

旧羅典神学校も ゆっくり見学しました。 入口から見た大浦天主堂の側面。

 

旧長崎大司教館 こちらも見学 

 

上のテラスというか通路というか 手すりの向こうから撮った天主堂 ここを出たところで新聞社のインタビューを受けました。

どこから来たか 北九州です。  世界遺産登録か!のニュースを知っているか はい  ニュースを観たから来たのか? いいえ 

ではなぜ?前から予定していた  選んだ理由は? 小説   そのようなことです。

 

そして下に降りたところから撮った 写真 これが一番かな~ と4日の記事にもいれました。

 

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ショッキングなニュースが、友人の石橋進さん経由で 入ってきました。 通潤橋一部崩壊

ネットで・・・・産経ニュースより コピー

 熊本県山都町は8日、同町の国指定重要文化財の石造りアーチ水路橋「通潤橋」の一部が、高さ約3.4メートル、長さ約10メートル、奥行き約1メートルにわたり崩落したと発表した。2016年4月の熊本地震で被災し、町が復旧工事を行っている。

 町によると通潤橋を造る石垣が崩落したのは7日正午ごろとみられる。熊本地方気象台によると当時、周辺では1時間に約40ミリの激しい雨を観測したが、崩落との関連は不明。

 通潤橋は幕末の1854年に完成。山都町はその後の崩落は確認できていないとしている。

 

 

3月26日 桜の大窪橋に行ったあの日 通潤橋にも行ったんです。 でも桜や藤 花だよりや タイムリーな記事を書いているうちに延び延びになっていました。 通潤橋です。

 

工事中の見学をするために行ったんですが 当日は(見学ヶ所では)見られませんでした。

あしや会が前日行って見学してるんですが 私は行かれませんでした。

 

田んぼのあぜ道から  見えやすいところに行きました。 2年前の熊本大震災の復旧工事中 作業中の方が見えます。

 

あっ ロープに吊られて資材が来ます。 生コンかな?

 

 

お仕事お疲れ様です。   

 

どこが壊れたのでしょう・・・ 作業中でなくて怪我がなくてよかったですね。

 

この町は八朔祭りの【大造り物】が有名です。藁だと思います。【美女と野獣】という題のついた2017年の作品、語呂合わせで 避暑と移住 と書いてありました。

 

平行3棟造り民家 山都町指定文化財です。

 

建設者 布田保之助の像です。 1854年架設 162年後に被災 その復旧工事をしている164年後 作業を見つめているようです。

そしてまた 高さ約3.4メートル、長さ約10メートル、奥行き約1メートルにわたり崩落 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

国の宝だと思います。 この通潤橋が 崩壊の原因がわかってまた元の姿に戻りますように 願って、祈っています。

 

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田川市 夏吉という地区の 若八幡神社をご紹介します。祭神 仁徳天皇 応神天皇 神功皇后 の三座 

4月29日 ず~っと同じ日の事を小出しにしています。 というのも ついでに書くようなことじゃないんですよね~。


友人と二人です。 藤寺と興国寺で消化不良だったから・・・参道橋を思い出して行きました。。

橋の横におられた方が 神様はいませんよ ってなんとなく なんとなく なーんとなく お呼びでないムード 

でも階段の上を見たら女性が落葉掃きをされてます。 上りました。


お参りをした後 帰ろうとしたら「神様はいないけど ぜひぜひ・・」 とお茶のお接待を頂きました。

神様が帰ってくるまで30分 どうぞ 見ていってくださいって・・ 待つ間 神社の縁起や この周辺の古墳の話とか・・・

そして やがて 帰ってきました。 車でした。。


お邪魔だから お礼を言って帰ろうとしたら ぜひ見ていってくださいって・・・ いいのかなぁ~  

ご神体?を下ろされ 梁や柱に当たりそうなものを取り外されました。


てっぺんの金色の飾りも取り外して、 拝殿のしめ縄も持ち上げて、 これはやっぱり男性だけだそうです。

女性は夏吉区の法被の方です。 本当に親切で 手際よくて 誰の許可も受けずに 私たちをもてなしてくださいました。


息を合わせて さぁ~ 


女子禁制だと思って、ましてよそもんだし、下から拝ませて頂こうと思ったら・・・・  そしたら その女性 甲斐甲斐しくお仕事なさる中で ここはそんなことないんですどうぞどうぞ って  宮司は女性ですよ・・・・とおっしゃいました。



神様が戻られる部分は 幕を張られます。 ここでまた どうぞどうぞと言われ 結局 拝殿で皆さんと並んで儀式を拝見 


儀式が終わりました。 神様のお乗り物は 倉庫にしまわれます。


ヨイショ・・・


台車 が倉庫から出されました。 これにはびっくり タイヤもハンドルも付いてますよ。 手水舎の右の建物が、台車ごと御神輿をしまう場所です。


さっ 無事に台車に収まりました。 この写真と 上の方の縦の写真 よくご覧になると 履物が全部前向きです。 前向きで上がって下さいって言われました。

きっと神様にお尻を向けないためでしょうね。


神官の笛と太鼓を聴きながら・・ 世代交代のためご子息に(きっと権宮司さん)作法?を伝授されてるのも拝見

さぁ帰ろうと思ったら 宮司さんを紹介しますからって 女性はさばけています 結局宮司さんにも ここに座っていろんなお話を聴きました。


さ~ ホントに帰ろうと思ったらこんどは 宮司さんが ちょっと待って・・・ おさがりが残っているかも って お餅を頂きました。

大きな丸いお餅をケーキのように切ってあります。


偶然ですよ。 この日の筑豊ドライブ 直方石炭記念館でも 若八幡でも ・・・お餅を頂いたからじゃないんですよ。  

偶然の出会いに本当に  心に花がさいたような一日でした。

 

 

 



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直方石炭記念館を後にして 川も遠賀川と英彦山川に分かれ 田川方面に行きます。

途中気になる景色が・・・同行の友人は知っていましたが 私は初めて・・・ 道路から三連水車が見えます。

 

【もち吉】・・・お煎餅屋さんの施設でした。 そう言えば この日石炭記念館で頂いた紅白のお餅は もち吉さんのお餅でしたよ。

 

裏に回ってみます。 仕組みが見えます。  コトコトコットン コトコトコットン 仕事にはげみましょー 

 

隙間から・・・

 

コトコトと・・サラサラと ・・・・ 心地よい音が響きます。

 

直方市から田川 に入ります。 ここは 福智町 興国寺です。 お話上手のご住職に会えるかな?

 

山門を入るとすぐ 石橋の桁橋があります。 池には小さい魚がいっぱいいました。

 

本堂には鍵が掛かって・・・・ 猫ちゃんがお留守番 1年歳をとってます。

 

藤寺 定禅寺っていうんですが すぐに忘れます。みんな 藤寺 っていいます。

4月15日に行った時の写真

 

この時 八重が・・・・この状態

 

一重は こんなにきれいでしたが・・

 

・・・・で 29日 行ってみました。 お祭り期間中で 露店で 400円の焼きそばを食べて 暫し ボー―っとしてました。

上と同じ場所の 29日・・・ 甘茶があったからいただきました。 誕生仏にもかけて・・・

 

なぜボー―っとかといえば・・・ 八重の藤は 終わっていて それどころか15日の写真ですでに 終わったところだった・・ 一重より先に終わってた・・・がっかり

 

 

興国寺も 藤寺も がっかりだったから 時間があまり 田川の神社に行くことに・・・

 

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早朝から所用で長崎に行きました。 早めに用事が棲んだら 大浦天主堂へ行く予定でした。

帚木蓬生 産の小説 守教 からです。

2時ごろ 用事が終わったため 路面電車で・・・

 

 

今日 たまたま  潜伏キリシタン 世界遺産へ・・・・ 大浦天主堂など12か所  決定される見通しになったと ニュースで報じていました。。 

 

今日の 大浦天主堂です。 今帰ったばかりですので また日を改めて UPしますね。

 

 

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除幕式が始まる前 何せ、私たちは1時間以上早くついてますから ゆったり椅子に掛けています。 そしたら ガイドさんが来られました。

ポストカードを持って 今度は私の宣伝 って仰ったから 最初は写真集か何か売ってるのかしら と思ったら違いました。 

大正10年ごろの直方駅 人力車がいます。

 

 

人力車は直方が始まりだそうですよ。ポストカードの裏面です。

ガイドさんは人力車に乗っていらっしゃったそうで、今でもチューリップ祭りなどのイベントでは 人力車を持っていくそうです。

 

除幕式も無事に終わり、前回と違い今回はお祝いだからと入館料100円を支払ってますから 中も見学しました。人力車を観る約束しましたからね。

 

 蒸気機関車の事や 色んな資料 の展示室

 

壁の写真 ズームします。 筑豊の5大炭鉱王  この部屋でそろって会議をしたそうです。 

左から伊藤伝右衛門  堀 三太郎  麻生太吉翁  安川敬一郎翁  貝島太助翁  どうして左二人は翁がないのかな? ご長寿なんだけど・・・

 

二階にも展示室があります。階段もレトロです…

 

炭鉱の断面 これは へ~ でした。

 

窓からは ピッカピカの C11131 蒸気機関車が見えます。 後ろの建物は 桃の花の見事だった 多賀神社です。

 

レスキュー隊が訓練するために (人為的に炭鉱事故の状況を作って 救助する訓練)北海道の炭鉱 海外からも来たそうです。

前回もご紹介しましたが2階から見た方が全容が見えます。

 

県花・ 県木 は知ってましたが県の石 もあるんですね。 福岡県の石は 石炭 それはそうでしょうね。

 

直方石炭記念館 最後にご紹介するのは 入口にある 直方碑 設計者は高村光雲 

私の写真は論外ですが 碑文は読み取ることはできません (ガイドさん) だから A3用紙にびっしりの説明文を頂きました。

一部分 詩文を現代風にしたものを ご紹介します。

 

遠賀・鞍手・嘉穂地方は土地が大きく広がり、山には鉱石があり、野には穀物が実る。こういうところを天府(土地肥え、自然に財物の多く産する地)というのだ。直方はその中心にあり, 河による船の運航に便利で、また鉄道も通っている。船や車が集まるので、いろんな物産が集散する。一千軒の家が栄えている。しかし昔は丘と野原だけでキツネや兎の住むようなところだった。ここに来てこの地を開いたのは黒田公だった。今日の繁栄はそのおかげによるものだ。 どうすればその恩に報いることができるか。それは各人が全力をあげて勉めることだ。

 

 

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