モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



立門橋のほかにもう一つ重要文化財の石橋があります。。永山橋を訪ねます。
この橋も菊池の恋人です。。最初に目に入る姿です。!!!!





永山橋です。長さ61m 高さ17m
文政6年(1823)に架橋 文政12年流失。。明治になって架け替えられています。
(県重要文化財の案内板より) 石工は“我等が橋本勘五郎”です。
橋の両端の道までも美しい欄干が続いています。





勘五郎が明治4年東京に召され 皇居の二重橋 江戸橋 万世橋 浅草橋 などの
めがね橋を架け、当時の東京市民の生活の便をはかっている。
内務省の土木寮測量士の辞令をもらいその辞令には明治7年の日付で月給弐拾円と
書かれている(案内板より)

お金の値打ちは分からないけどきっと破格のお給料なんでしょうね。
そうであってほしいです。。

あぁ。。それなのに いつの世も政治家には。。。。

板垣退助 (1837~1919)
 江戸時代の板垣家は、土佐藩300石の上士。
 明治元年、議政官・参与、月俸600両。
 明治4~8年、参議、月俸500円。
 明治8年、征韓論に敗れて下野。
 明治29年、伊藤内閣の内務大臣、明治31年、大隈内閣の内務大臣、月俸500円。

伊藤博文 (1841~1909)
 明治元年、外国官・判事、月俸500両。
 明治2年、大蔵省・少輔、現米年450石(月300両相当)。
 明治4年、工部省・大輔、月俸400円。
 明治6~18年、参議、月俸500円。
 明治18~21年、総理大臣、月俸800円。
 明治23~24年、貴族院議長、年俸5000円(月417円)。



調べなきゃよかった!!!!!少ないっ!!!!!!少なすぎるっ!!!!






個人用のように大きなお家....あぁ。。。こんな贅沢あってもいいの??
橋の下の方の石も立派!!。。欄干がすばらしい。。。





往きながら順に撮ったのに帰りながら順にとって 帰れない。。去りがたい。。。

リンクの地図はniemonさんのHPよりお借りしました。

永山橋は ここです。


次に竹の牧橋に行きましたがここはまったく見えませんでした。(樹と草)
そして日も暮れそう、、いよいよ最後 岩下橋。。。

もうすぐと言うところで道の駅があり休憩したら あろう事か岩下橋のことを
忘れて帰ろうとしました。。。妹があきれます。もう私はすっかり抜け殻です。

岩下橋です。





今回の記事で石橋に新たに興味をもたれた方
立門橋(前回の記事) と 永山橋  どうぞお訪ねください。。
ただし 魂を抜かれるかもしれません。。。


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