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モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



8年前の昨日、熊本地震で被災された方々へ 心よりお見舞い申し上げます。

 

二俣橋の後 上の道路に出たら すぐ右手に 小筵橋(こむしろ橋)が見えて それから 年禰橋(としね橋)の上部が見えて 左下には (豊野町の)山崎橋が見えるのです。  友人が 行く? と気を遣ってくれますが時間がなく、我慢して 一番会いたい大窪橋へ急ぎます。

大窪橋は、既に葉桜になり 橋の上部が桜色でした。

 

残念ですが 足場の悪い場所ですから 雨の日をやめて 桜に間に合いませんでした。

年賀状は毎年毎年 この角度の桜の大窪橋でした。そうか 過去じゃなく今年もでした。

 

被災した年の9月の写真です。パッと見て 特別変わってなかったから まずホッとしました。

会報で 上流側って書いてあった・・ ここかな~  こんなに丸いところあったっけ・・・?

 

今回です。

 

石橋の上から 都留川下流を観ています。無理やり桜の後ろから撮りました。

 

いつも思うけれど これが最後かもしれないから 案内板です、

 

 

案内板に書いてある 車通篇可ら須 (車通すべからず)の石碑です、

 

さぁ 帰り道はもうここを通りません 名残惜しいけど お別れです。これから阿蘇の方に行くのに霊台橋を 通っていきます。一本道で途中の石橋も寄りません。 霊台橋です。

 

右側の端っこに 建物が見えています。 そこで食事をしたことがありますが 今回はお休みでした。

 

これは震災後の写真です。 過去記事より 

高欄にわずかなずれ・・・ こういうのですね。 楔がはめ込んでありました。

みえますか? 小さな石がはめ込んであります。

 

今回 ここでも 桜は 葉桜になっていました。

 

上流から すごい水量です。  放流しているのかな?

 

熊本県美里町の 大窪橋と 霊台橋をご紹介しました、

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最初に 4月14日は 熊本大地震の日です。 8年前のことでした。 被災者の皆様へお見舞い申し上げます。

7日、日曜日 お天気は心配でしたが 熊本県美里町に石橋探訪しました。友人の運転です。

二俣橋は 3つの石橋を同時に観ることができます。まずは 二俣福良渡目鑑橋(ふたまたふくらわたしめがねばし) です。左端 地震で壊れ復元されたものです。

 

上の写真と見比べると ブルーシートの分欠落しています。後ろに見えるのは並行してあるコンクリートの端ですこの姿を見るのは 本当につらかったです。

 

これは被災前です。民家とも近く、花が咲き 趣のある石橋でしたが 壊れました。

 

これは今回の写真です。以前は河川敷に降りられたけど 左、まるで滑り台のようで 降りられません。ほぼ直角に曲がった 手前の欄干 小筵二俣目鑑橋(こむしろふたまためがねばし)から撮っています。

 

以前は降りられた 二俣福良渡目鑑橋左河川敷 から撮った被災前の写真です。3つの石橋が見えます。

左は二俣福良渡目鑑橋 右は 小筵二俣目鑑橋 その後ろに鉄骨車道橋の奥 年禰橋(としねばし)が見えています。

 

小筵二俣目鑑橋 この柔らかい感じが 私は好きです。ここは降りられるから下りてみますね。

 

下から見た所です。2つの川がほぼ直角に 合流しています。

 

ここは近年 ハート形に見えるということで 若いカップルにも人気のようです。愛の鐘なんてのもあります。

 

日が差したらのことで これは以前の写真 ハート形分かりますか?

 

最後に 石橋だと分かり難かった グレーの鉄骨の橋ですが その奥にみえるのいが 年禰橋 です。4連なのです。 一番奥に アーチの名残? 気持ちで観てくださいね。。

 

地震の前、自分には分かるけど ややこしい説明になり失礼いたしました。

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阿蘇に向かっていました。北熊本パーキングで 寄りたい所があるか友人から聞かれました。 私は思い浮かばなかった。

そしたら、 【御船インターで降りて大窪橋に行く?】って   行く行く 

 

そういうわけで やってきました・・・大窪橋 です。最初に上部が見えます。 かぶさってる枝は桜です。

 

石橋を渡りました。 毎年毎年桜の頃に行きます。 去年も誕生日に一人で行きました。  

でも 今年の桜は・・行ってない・・・  ヒガンバナが枯れています。

 

遠賀川の土手で転んだから 用心してこんな斜面を降りるのも 遠回り・・

 

石橋は人道で、 アーチの奥に見えているのは 車が通れる橋です。

 

 

その車道から撮っています。 これも桜です。 

 

最初の位置まで戻ってきて  上の方の写真で見える対岸にきて 撮っています。

 

向きが違うと感じが違います。 なぜ こんなにも 大窪橋ばかりが好きなのか・・

 

道路沿いの建物は消防署  車の手前 大窪橋の案内板  その隣 台の上に電子レンジ お弁当を温めるためじゃありません。

訪問者用に 石橋マップが準備してあって それが濡れないように 壊れたレンジに入れてあるのです。

 

いらっしゃいませ 今日はコメント欄を開けています。



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8月は暑すぎましたからね・・・そんなある日 友人と3人 プラネタリウムに行きました。宗像ユリックス 20分くらいかな?

今年はプラネタリウム100年記念の年だそうです。

 

ここは何度も行ってます。大人440円です。 涼しいし リクライニングシートで 癒されます。プラネタリウムの本体が展示してあります。

現在はこれよりも新しい機械です。

 

規格 見えますか?

 

写真はここまで  さぁ~ 始まります。今見える星 色々の星の話 面白いです。

 

 

宇宙には銀河が 2千数百億個あり その銀河一つ一つに2千数百億個の星があるそうです。数字で書いたら・・・・やめときます。

私 メモしてないし もしも間違ってたら失礼だから 検索してみました。

観測可能な宇宙の範囲だけでも2000億個の銀河が存在すると考えられていたが、2016年の研究では少なくとも2兆個は存在するという推定結果が報告されている。 大部分の直径は1000から10万パーセクであり、中には数百万パーセクにもなるような巨大なものもある。 ウィキペディアより 

 

4

 

プラネタリウム は2階なんですが 1階のホールも 少し高いのです。(床の高さの話) 出入口が少し下になります。

 

わっしょい わっしょい と掛け声をかけて 行進しています。みんなちゃんということ聞くから 先生って大したもんですね。

 

ちゃんと お神輿もありましたよ。拍手して ありがとう と送り出しました。

 

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お天気を気にしながらの一泊の旅 最終です。 日出町、ポツリポツリと雨が落ち始めました。 7月9日です。

 

馬上金山(現、杵築市)での金鉱石の採取成功により一躍富豪の仲間入りをした成清博愛が、大正4年に建てた別邸(パンフレットより)

 

お庭は 公園として誰でも入れます。 私達、同級生のCちゃんと、その姪っ子 裕子ちゃん(ずっと運転してくれた)3人は旅の最後・・・

 

広間からの借景 かすんで見えるのは 別府湾と高崎山です。

 

私 何でも顔に見える悪癖があるのですが・・・妖怪の顔に見えます。 大きな大きな沓脱の石です。

 

食事する大広間 灯りしか見えませんが大正時代の 彫金の施されたランプです。 

大きな富士の絵は 現、福岡市城南区出身の日本画家 今中素友の作品 (パンフレットより)

 

私は右から読むか左から読むかも分からなかったのですが 伊藤博文の書

國本とは 「国が一番の基であり国のことを考え。国のために尽くさなければならない。自分がそうであるように皆にもそうであってほしい」という願いが込められています。(パンフレットより)

 

美味しかったですよ~ 豊後牛・・グルメリポーターじゃないけど やわらか~い

 

ごはん お味噌汁 漬物  デザートは フルーツ おいしかった。。

 

不思議なもので お腹いっぱいになると もう帰ろうよ・・・・ 通り道で 赤松橋が見えました。 これは知ってました。

 

流れが激しいです。7月8日、9日  8日の朝 嘘のように晴れていたので、出発したのですが このランチの時に小雨が降りだしたから 帰ったのがよかった。

長々と お付き合いいただいた 大分の旅 お終いです。 ありがとうございました。

 

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豊後大野 私は方向音痴で 行きたかった犬飼町の石橋は 友人たちに却下されたかと思ったら 出発点に戻って待望の石橋探訪です。

まずは 神宿橋 (かんじゅく橋) を ご紹介します。川は柴北川です。

 

んんん~ ここからでは 半分しか見えない・・・

 

長さ 27.7m 径間 22.7m 拱矢 6.6m 幅 3.4m 架設年 大正10年(1921) 山口祐造著「九州の石橋をたずねて」より

 

次にご紹介するのは 両村橋(りょうそん橋)です。 かなり手前から見えたので 私は下車して歩いています。車は先で待っています。川は同じく 柴北川

 

石橋の写真は それぞれ「私の宝物」にも たくさんUPしています。

 

 

親柱 柴北川 ですね。

 

バス停も 両村橋です。どこにでもあるけど 旅先で見ると懐かしい雰囲気です。

 

長さ 28.6m 径間 21.1m 拱矢 7.0m 幅 3.9m 架設年 昭和14年 

   ( niemonさんのHPより お借りしました。)

 

3番目にご紹介するのは 樋の口橋です。

 

ちょっと分かり難いけど 緩やかなアーチの下に 河床の石が見えています。

 

上部はこういう風に水路になっています。

 

 

長さ 29.0m 径間 20.6m 拱矢 5.1m 幅 3.7m 架設年 大正12年(1923) 山口祐造著「九州の石橋をたずねて」より

 

最後にご紹介するのは 宮脇橋 です。 阿蘇神社です。 宮脇橋は 少し離れています。

 

可愛いですね。この橋だけ 川は柴北川水系黒松東川 です。

 

親柱は、みやわき橋 向こう側の親柱は 参宮橋 でした。

 

長さ 2.8m 径間 1.8m 幅 1.5m 架設年 大正15年 (niemonさんのHPよりお借りしました。)

 

ふ~ やっと1日目の予定を終えて 別府のホテルに向かいます。 ホテルは庶民の味方 AZ

温泉は近くの立ち寄り湯 250円 きもちよかった~ この日(7月8日)約12,000歩歩きました。

さぁ~ 明日もお天気になりますように・・・

 

 

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まだ大分です。豊後大野緒方町、原尻(はらじり)の滝に行きました。スマホの写真です。

 

デジカメです。 右上と中央下の方に 人がいるのが わかるでしょうか?

 

少し大きくしますね。

 

上まで来ています。

 

 

手前につり橋があるけど高所恐怖症で渡れず この石の道を歩いて 反対側から見た写真 以前行った時のものです。

 

友人とその姪っ子、裕子ちゃん は休んで 私は急ぎ足で 原尻橋が見えるとこまで行き 遠いんですが 撮って トリミングしました。

 

原尻橋です。 5連の石造りアーチ 長さ 73m 架橋 大正12年(1923年)

以前 原尻橋まで行って 渡ったこともあり、その時の写真です。 いいカメラを持っていきました。


 

アーチの橋は 滝の方にもあります。

 

橋の向こうには 茶店があります。 青いポストはなんでしたっけ・・・

 

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豊後大野の旅  宮迫の石仏を探しています。 でもなんと石橋が見えます 鳴滝橋です 

 

大通り沿いで 私は15年前にも 通りかかって見つけています。

 

美しい石橋です。 15年前はこの橋を歩いて地元のお婆さんとお話しています。 きっと私、その時のお婆さんの年になったでしょう。

 

緒方川に架けられた、5連アーチの石橋で、大正11年(1922年)の架設。 橋長は50mです。

そのお婆さん(笑)から 体験された2度の水害の話を聞きました。 

 

 

読み取れないけど 触ってみたら なるたきはし と書いてありそうです。

 

こんな道を通ったならば 鳴滝橋 見つけてくださいね。 左に架かっています。

 

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読めますか? 1000000000000000000000000000000000000 私はもちろん 読めません。(下のほうに参考のリンクあり)

 

虹澗橋(こうかん橋)  澗(かん) 2度目ですから 漢字は読めます。 で  の意味を調べたのです。

たに たにみず 谷にかかる虹のような橋    他に・・・・数字の単位 というのが目につきました。

 

大分県 三重町を移動中に左折4㎞❓ の標識があり すごくいいよ と誘って 寄り道してもらいました。

なんか大雨が降ったら壊れそうで心配になります。

 

 

また面白いこと・・・橋部と下のアーチは 勿論一体ですが 上の滑らかな曲線は 言ってみればデザインなんでしょうか。橋の欄干ということではないようです。

 

大野市三重町側に車を置いています。 橋を渡ったら臼杵市なんですね。

 

臼杵市に向かって 渡っています。

 

澗どのくらい?
 漢字文化資料館 面白いです。 恒河沙 ごうがしゃ 阿僧祇 あそうぎ 那由他 なゆたは、お経で すごく大きい・多い 意味で読んだことありますが 数字ではわかりません 
 
澗は10の36乗を表す単位。
10の36乗を計算した答えは、1000000000000000000000000000000000000になります。 0が36 あります。
 

 

虹澗橋のたもとには、架橋の経緯や工事の過程などが刻まれた「虹澗橋記」と題する石碑があります。現在、石碑は下半分以上が土砂に埋もれ、碑文は一部しか確認できません。しかし文字数や字体がほぼ一致することから、この碑文の原本とみられる書軸(臼杵市所蔵)が残されています。(ネットより)


 

 

臼杵市に来ました。 虹澗橋の真ん中で 羽を広げているのが 同級生です。

 

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6月23日 テレビを見ていて とっても嬉しいニュースがありました。 通潤橋が国宝に指定される・・・

通潤橋 (熊本県山都町)

写真は 過去投稿した、私の別ブログ【私の宝物】から コピー貼り付けしています。写真は29枚もあります。

 

2020年8月29日  震災復旧工事完了後 初めての訪問です。放流の瞬間 今、水が出た所です。

 

2018年3月26日  震災で被災した部分の復旧工事中です。

 

石材などは 上から・・・

 

2017年 石橋に興味がなくても 八朔祭には大造り物が出ますが今年は中止でした。

以前の大造り物 くまモン の向こうに通潤橋は見えています。

 

近くの商店街には去年の大造り物がいくつも展示しておりました。 この写真は2017年に行った時のもの

美女と野獣でした。

 

2015年2月6日  翌年に大地震があるなんて思ってもない2015年 静かな通潤橋です。

 

 

 

 

 

2008年4月2日 放水中は 水路に人がいるはずだから撮っています。人がいるってことは 放水する。。。



ほらね~ 










2005年   秋ですね~






 

私も上を歩いています。





 

建設者 布田保之助像です。 石橋ファンとしては 石工と大工棟梁が1番大事と思っていたけど偉大な庄屋や大庄屋がいないとできなかったことが分かりました。

 

橋長 75.6m 橋幅 6.3m 橋高 20.2m 架橋:嘉永7年(1854)
石工:棟梁 宇市、副棟梁 丈八(橋本勘五郎)、甚平、他のべ2万7千人 (niemonさんのHPより抜粋)

通潤橋の構造 です。

 




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